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板門店について

地図で板門店を見てると軍事境界線よりも南に位置していますが、実際に板門店を訪れてみると板門店の中心で南北の境界となっていました。 地図上での軍事境界線と実際の境界線(板門店)はなぜずれているのでしょうか? よろしくお願いします。

みんなの回答

  • KITAIKKI
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回答No.3

たしかに軍事境界線と板門店の境界線はずれていますが、これは朝鮮戦争当時、煉獄国側と北朝鮮・中国軍との休戦会談が初めて行われたときの事情に由来しています。当時休戦会談が行われたのは当時の韓国領土であった交易都市の開城でしたが、少しでも南側に自国の支配地を伸ばしたい北朝鮮は、休戦会談の破棄や延期を脅しの材料にして、その会談場所を開城から16,7キロ南の板門店にしました。 当時板門店は両軍の最前線が対峙していた場所でもあり、またすでにアメリカ本国からなんとしても休戦協定を結べと支持されていた連合国司令部は、会談の継続を望むあまり北朝鮮の申し出を受け入れたという経緯があり、それが既成事実化し今日まで続いているというわけです。もともと38度線という名称は南北分断のシンボル的な意味合いで使われているだけであって、実際たしかに板門店は38度線を南に割り込んでいますが、半島東部の軍事境界線を見れば逆に韓国側が大きく北側に張り出した形になっています。 地図で見ると分かると思いますが、朝鮮半島を南北に分断すると言われる38度線は当たり前ですが一直線に引かれています。でも実際の軍事境界線つまりは国境ですが、これはくねくねと蛇のようにのた打ち回って半島の南北に引かれています。 これは休戦会談の協議のなかで両軍が軍事境界線を線引きする際、お互いが自軍の支配地を主張したため、その接触ラインを受け入れ合った結果です。 その際中立地帯の板門店の線引きをどうするかということになったとき、北朝鮮は領有地の拡大願望から、連合国側は実際の軍事境界線(つまりは国境ですね)を目の前にしての休戦会談を嫌ったという、双方の利害が一致した事情もあったと言われています。 休戦センターとも呼ばれる板門店は休戦協定によって設立された休戦機構の本部でもあり、中央をラインで仕切られたテーブルがある会議場は、いわゆる休戦センターのシンボル的なもの以外の何物でもないと思えばいいかと思います。とはいえ、板門店そのものも単なるシンボルに成り下がっていることは、現在の休戦センターがほとんど機能していないことを見れば明らかですよね。北朝鮮は板門店一帯は自国領土だと言い張っており、相変わらずの厚顔無恥ぶりを見せています。 ちなみに当時休戦会談をどこで行うかが話し合われたとき、連合国側は当時韓国に来ていた中立国ノルウェーの病院船か元山という町の沖合いにある離島を使おうと考えていたのですが、やはり北朝鮮の強硬な反対にあってあっさりこの案を引き下げました。実際には北朝鮮はこのとき北朝鮮は休戦会談にすがらなければ生きていけないほどの死に体だったのですが…。当事者たちはいまでもこの案を強硬に主張すべきだったと悔やむことしきりといいます。 当時から現在に至るまで板門店は連合国と北朝鮮双方の共同管理という中立地帯になっており、ここは北でも南でもない極めてあやふやな場所です。言い方を変えれば軍事境界線は実利の境界線であり、板門店の境界線は会談当事者たちを区切るための単なる目印、あるいは観光客用と考えればいいかもしれませんね。

  • fixcite
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回答No.2

昭文社の世界地図でも見てみましたが、確かに少し南側に板門店を示す○がありますね…。 (1)実際に人が住んでいる場所の地名としての「板門店」、(2)政治的に共同警備区域として位置づけられている「板門店」を分けて考えると理解できるのではないでしょうか? 地図に載る○とか◎というのは、人口ベースでみた中心(1)です。観光旅行で見に行く板門店は南北韓の共同警備区域としての板門店(2)です。ここじたいには人がいないので○も◎もありません。人が実際に住んでいる「板門店」となると南北韓の宣伝村等でしょう(北の「自由の村」と南の「平和の村」)。南側も230人程度の小村ですが、北側は実質の人口すら明らかでない、偽装軍事基地(?)の疑惑すら持てそうな不自然な集落のため、地図上は少し韓国よりに○を設けたのではないしょうか? 尚、南北韓にはもともと同一集落だったところ分断の50年を経て同名の別集落として発展している例が結構あります。地図にも都市として載っている大規模集落の例としては鉄原(チョルウォン)・金化(キムファ)等ですが、いずれも南側のほうが軍事境界線に近いところを公式の市役所所在地等としているようで、○があるのも南側のほうが境界線寄りです。 日本が共産国として存続していれば、少し違った地図になっていたかもしれませんが…(韓国や板門店自体が存在しなかった可能性も含めて)。

emn
質問者

お礼

ありがとうございます。 それではやはりあの板門店の中央にあるブロックが地図上の軍事境界線と同一ということですね。

回答No.1

>地図で板門店を見てると軍事境界線よりも南に位置していますが もしかして北緯38度線と勘違いなさっているのではないでしょうか? 板門店は38度線よりわずかに(およそ5km)南に位置しています。手元に韓国で発行された地図があるのですが、軍事境界線の上に板門店(パンムンジョン)の文字(もちろんハングルで)が見られます。 私も学生時代に板門店を訪れたことがあります。あの緊張感は日本ではまず味わえないでしょう。

emn
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり板門店が軍事境界なのですね。

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