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なぜ日本では仏教の原理主義は台頭しなかったのか
イスラムやキリストには教えを徹底して守るべしとする勢力がありますが日本にはありません 日本で神や仏や預言者や聖者が信頼されず法と科学が絶対となった理由はなんでしょう
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- 雪中庵(@psytex)
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キリスト教やイスラム教のように、強力な教義や 厳しい戒律を持つ一神教が普及する背景には、 西欧の遊牧文化の自分勝手さや大陸系の我の強さを 押さえ、社会行動をとらせるために、為政者や 地域コミュニティ(モラル)に利用されたという 面がある。 それに比べて東南アジアの稲作農耕文化圏(特に 労働集約的で地域コミュニティの強いジャポニカ米 稲作農耕地域)では、宗教の力によらずとも集団 主義的なので、古代の儀式宗教的なアニミズムの まま残ったのだ。 「法と科学が絶対となった」のではなく、そもそも 集団主義的=周囲に従属的なので、自分の中に 自発的な原理や思想は必要がないだけだ。 (思想がうさん臭く捉えられ、沈黙は金、出る杭 (自己主張)は打たれる)
- koosaka
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日本で法と科学が絶対になったから、日本で仏教の原理主義が台頭しなかったわけではありません。 原理主義というのは、一神教であるキリスト教とイスラム教しかないんです。 仏教に原理主義というのはありません。 一神教は他の宗派をブッ倒せ!といいますが、仏教はたくさん宗派があっても、平和的共存です。 日本では神道と仏教は神仏習合といい、対立せずに融合しました。 仏教にしろ、神道にしろ、預言者とか、聖者なんていません。 仏陀は、仏教の始祖ではありますが、聖者ではありません。 違うのは「悟り」を啓いたというだけです。 仏陀とは「悟りを啓いたもの」という意味です。 本名はゴータマ・シッダールタです。 私たちが仏陀を尊敬するのは、「悟り」を啓いた人だからで、聖者だからではありません。 そしてもちろん、神道は自然が神さまで、山や樹木や川や岩や、そういう自然神です。 山河草木が神さまだから、それを聖人とは言いません。
- eroero4649
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奇しくも回答者さんが現れていますが、日本における原理主義的な宗教は日蓮宗特に日蓮正宗となります。 日蓮さんは日本のお坊さんの中でも唯一といっていいくらいのバリバリの原理主義者で、他の宗派にケンカを売って回りました。あの宗派はファ〇クだ、この宗派はクソだ、俺様だけが唯一正しく我を崇めよ、と説いて回りました。 一般的に日本人は、こういう人を苦手としております。空也さんや親鸞さんみたいな穏やかな人を日本人は好むのです。あるいは一休さんや達磨さんみたいな周囲に迷惑かけない変わり者です。 原理主義的な考えそのものを日本人は嫌うんですよ。 質問者さんは「現代の日本では法と科学が絶対となっている」とお考えのようですがそんなことは全然なくてですね。みんな正月になったら初詣に行くし、子供が生まれたらお宮参りするし、結婚するときゃキリスト教徒でもないのに牧師さんの前で永遠の愛を誓うし、死んだら何の疑問もなくお坊さんを呼ぶのです。 もし法と科学が絶対で宗教を全否定なら、宗教的行為そのものを否定しないといけないのです。でもそんなに積極的に否定してなくて、ふわっとしているじゃないですか。だから私はそういう日本人を「何でもあり教」と呼んでいます。何でもありだから、原理主義はなじまないのです。
- hekiyu
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日本の基本的な宗教は神道です。 文科省によると、信者の数は1億1千万です。 仏教は9千万です。 神道は日本古来独自の宗教で、仏教もこの 神道の影響を受けて、日本流にアレンジされて しまいました。 この神道は多神教で自然発生的に誕生したものです。 これに対し、仏教とかキリスト教、というのは教祖が 唱えたのが最初で、その意味で人工的に誕生した 宗教です。 神道には教義も経典もなく、信者であるとの自覚すら 不要の宗教です。 だから、神道にアレンジされた仏教は原理主義的に ならなかったのです。 経典も教義もないから原理主義になりようが ありません。
- mei109tamayou
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小生の奉ずる日蓮正宗は「100%原理主義」です。これはハッキリ云えます。 だから「日蓮正宗富士大石寺顕正会」、「正信会」、「創価学会」を「破門」したのです。日蓮正宗第66世管長細井日達上人猊下曰く「日蓮正宗以外のものが広まっても、それは広宣流布とは云えないのであります」と明確におっしゃっています。どういう意味なのか、「わからんパッパラパーが多すぎる」のです。 日蓮大聖人からの血脈を器から器へと受け継がれたのは「日蓮正宗御歴代の御法主上人猊下」だけなのです。「その内容を公開しろッ!!」などと云うことは「トンデモないこと」としか云いようがない。「顕正会」、「創価学会」なんか「893」と云った方がいいようなことしている。「正信会」も「分裂騒動」起こしてる。アレで「宗教団体」と云えるのか、小生は「そうは思えないのです」
ない訳じゃないけどね。 今も続いてる宗派だってあるけど。 しかしまぁ・・ もし、「ない」とするならその理由は 「鳴くまで待とう、ホトトギス」の家康が最後に長い治世を収めた(それが可能だった)歴史、国民性にあるんじゃないでしょうか。 あるいは、主だった大きな原理的宗派は その都度 時の政権によって淘汰・抹殺・改変されてきたから 今現在に残っていないという事かもしれませんね。 日本には「和して同せず」という言葉もありますし。 同時に「良くも悪くも空気を読む(読めないヤツは袋叩き、つま弾き)」という変な国民性もあります。 結果、お上の「右へ倣え」が成立しやすいために、大きくなれなかったんじゃないかな。 時の権力者ってのは、どの国でも大抵「俺様一番。宗教だって、俺様風味に変えてしまう」という性質があるようですから、原理主義は存在しても、大きくなれなかったのでしょう。