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姓名の間に”の”を挟む慣習
蘇我馬子は「そがのうまこ」平清盛は「たいらのきよもり」源頼朝は「みなもとのよりとも」 という風にある時代までの人の名は姓名の間に”の”を付けます。 しかし足利尊氏を「あしかがのたかうじ」とか徳川家康を「とくがわのいえやす」とは あまり呼ばないようです。 いったいいつ頃の時代からどういう理由でこうなったのでしょうか?
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江戸時代以前は、天皇から与えられたものを姓、自分で名乗るものを苗字といいます。平信長(たいらののぶなが)と呼ぶと時はのを入れ、織田信長と呼ぶときはのはいれません。勿論天皇から与えられたはずの姓も、系譜の改竄などが多々あり、実際には相当胡散臭いのが実際だと思います。 この理屈からいうと正しくは豊臣秀吉(とよとみのひでよし)だそうです。
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- koon1600
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まず、姓と苗字の違いをはっきり分かっていないとどうしようもないとおもいますし・・・ただ、この質問、コピペになってしまいますので、URLで回答します http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2416158 のNo6(私の回答)で氷解するかと思いますので、よろしくおねがいします。 ほかには http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2208886 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2239491 なども参考にしてください。
- johnnyblues
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「蘇我」「平」「源」「橘」「中臣」などなど、いずれも氏(うじ)ですよね。 それに対して 質問者さんが挙げておられる「足利」「徳川」は家の名とでも言うのでしょうか。 鎌倉期ぐらいから室町期にかけて氏の意識が薄れ、家の方が意識されるようになったのでは?それに伴い家の名を個人名につけて名乗ることが多くなったのではと思います。そして、イエとの結びつきの場合はウジとの場合よりも直接的なためわざわざ「の」を入れなかったのではと思います。 ちなみに足利も徳川も源氏ですね。したがって正式には「みなもとのたかうじ」もしくは「みなもとのあそんあしかがたかうじ」(源朝臣足利尊氏)などと名乗ったのではと思います。 自信なしではありますが。