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ゲットするとかオープンするは日本語を貧弱にしないか

最近テレビなどでカタカナ語にするをつけて使う場面によく遭遇します。すでにチェックするなどという言い方は定着していますが、こういう言葉は日本語を貧弱にしないでしょうか。やたらにめっちゃとか、めちゃくちゃという形容詞がはびこっていますが、どこか関係があるようにも思うのですが…

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回答No.5

No.4です わざわざお礼を記入していただきありがとうございます。 当初のご質問からはズレますが、お礼にいろいろご提案がありましたので愚考してみました。 >漢字も新しい偏など日本から発信してもよいかなと思います。 これと同じことをヴェトナムでやっていました。 現在のヴェトナムではローマ字表記していますが、ヴェトナムというのは歴史的に漢字圏の国です。 編とつくりをヴェトナム流に新たに組み合わせるという手法でした。 ただ体系的に行われていなかったことから、現在では解読不能となってしまっています。 日本でも峠、辻、畠、枠、躾、働、凩、など国字と呼ばれる和製漢字があります。 魚の名前などすべて国字です。魚を常食していた日本ならではのことです。 >与党や野党の政治政党も新しい漢字を提案したらどうかと思います。 これに近いことを李朝朝鮮でやられて生まれたのがハングル文字です。 いくつかの形状を組み合わせた文字ということでは漢字の発想の域を出ていません。 ただ、せっかくの独自の文字も卑しい文字とされて、両班などの知識階級では使われませんでした。 両班どうしの遣り取りや公文書などは全て漢文で書かれ続けました。 会話は朝鮮語、文章は中国語という状態が日本が統治するまで続きました。 現在の韓国では漢字教育をしていませんので、韓国の若者は自国の歴史書が読めないという事態になっています。 戸籍での氏名は漢字であるために、自分の正式な名前が書けない若者が増えて社会問題化しています。 言葉というのはコミュニケーション手段ですので、王族や官吏などが人為的に上から押しつけても普及しません。 宗教の社会的な影響が大きかった中世までは聖典つまりキリスト教で言えば聖書イスラム教ではコーランが言葉や文字が普及するのに大きな役割を果たしてきました。 現代のように宗教の社会的な影響がうすれた状態では、自然発生的に生まれて淘汰されて残って行きます。 現代の若者がよく使う絵文字も女子高生が仲間内で使っていたものが普及した結果です。 留学生や観光客が面白がって出身国へ持ち帰って今では世界中に広がっています。 新しい言葉を作り出すという点では女子高生というか若い女性が天才的な才能を発揮します。 女房言葉も宮中の若い女官の間の言葉でした。 前例だの常識だの理論だのに拘る男性には無い才能です。 現在NHKが使っている共通語は明治時代に江戸の旗本の女性が使っていた言葉を基にして作られた言葉です。 現在カタカナ語が蔓延しているのはコンピューター関係で使われている言葉が全てカタカナ語のままで日本語化してしまったことが大きく影響しているかと思います。 若者の間ではメールの交換が常態化しています。 ここで使われる文章として長文は使われず全て短文です。 大学生でも論文が書けない学生が珍しくなくなっています。 卒業して社会人になって一番苦労するのが報告書や他社と交換するビジネス文書の作成だという新人が後をたちません。 このような状況下で普段耳にしているカタカナ語を撲滅するのは至難の業です。 新しい文字や言葉を普及させるのに女子高生に期待しないのであれば新聞が一番手近な手段ではないでしょうか。 新聞記者は文字や言葉を徹底的に鍛えられています。

kaitara1
質問者

お礼

再三にわたって大変為になるお話を伺えました。大切にすべきは言葉ではなく人なのですね。

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  • tarohkaja
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回答No.11

No8、No9、No10です。 わたしは、立てあげるという表現は容認できません。

kaitara1
質問者

お礼

わかりました。

  • tarohkaja
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回答No.10

No8、No9です。 自動詞と他動詞という問題もさりながら、主語が一致していない、ということが大問題なのです。立つ主体とあげる主体がくいちがっていることが、語法的に成り立たない理由です。 立てあげるという言い方については、立てるもあげるも他動詞である、どちらの主体も一致している、 ところが、立てるという動作とあげるという動作が結びつくのか、という疑問があるのです。 違った言葉でたとえますと、食べると続けるならば食べ続けると結びつけられます。走る、飛ぶ、はどうですか。食べ走るも食べ飛ぶも無理でしょう。 自動詞他動詞、主語、ということ以前に事象としてあることかどうかです。それが一致していればよいのではありません。 立ち上げるが蔓延していますが、これの自動詞他動詞と主語をそろえると、立つを立てるに言い換えるのではなく、立ち上がるの使役の用法で「立ち上がらせる」となります。 立てるとあげるは一つの動作として結びつくか、 わからないではないですが、表現としてはよくないでしょう。 設立するとか、組織するとか、いろいろあった言葉を、全部立ち上げるにしてしまったことが劣化だと、外来語等では劣化にはならない、日本語はそんなにヤワでないというのが8での回答でしたが、ついでに申し上げた立ち上げるについてキャッチボールできたのはありがたい次第です。

kaitara1
質問者

お礼

立ち上がる、からできる立ち上がらせる、は正しいが、立ち上げるは、たてあげるが正しいというのが私の納得するところでした。

  • tarohkaja
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回答No.9

No8です。 「たてあげる」が正しいのではないかというお説ですが、 「立てる」に何故に「あげる」がつくのでしょうか。 「持つ」には「持ち上げる」と、「あげる」がつく理由があります。 「立つ」には「立ち上がる」と、「あげる」ではなく「あがる」がつきます。 「立てる」にはどういうわけで「あげる」がつくのでしょうか。

kaitara1
質問者

お礼

私なりに理解するところでは、二つの動詞を組み合わせて作る複合動詞の場合、自動詞は自動詞と、他動詞は他動詞としかつなげないという法則があるのではないかと思っています。立つは自動詞ですから、自動詞である、あがるが付き、立てるは他動詞ですから、他動詞である、あげるが付くのが正しいとすれば、自動詞である立つに、他動詞である、あげるが付くのはおかしいということになるのではないでしょうか。もちろん既に立ち上げるが正当なものとして広く流布されていますから、いまさらおかしいということもないとは思いますが・・・。

  • tarohkaja
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回答No.8

ichikawa2017様のご意見に、いろいろな示唆を受けました。 ただし、新聞記者はあてにならないと思います。「新聞記事における文章構成の特殊性」があって読点の位置が日本語の規範にはならない、起承転結などの構成でなく同心円的に話題を広げていく書き方が、新聞以外では規範にできないと思います。 カタカナ語で貧弱になるほど、日本語の骨組みは脆弱ではないと思います。 しかし、「立ち上げる」の蔓延は、間違いなく日本語を劣化させると思います。 「勝利をおさめる」「勝利を得る」が、団塊の世代のなかの日本語能力の乏しい者たちが「勝利する」と言い始めて、1970年ころには笑われていたけれども、10年たたずに定着し、おさめる人も得る人もいなくなりました。 これは、まだしも語法的にこじつけは可能です。 ところが、「立ち上がる」を使役につかえば「立ち上がらせる」になりますが、「立ち上げる」は行為の主体が一貫していませんから、劣化が始まったと言わざるを得ません。 カタカナ語では、日本語は劣化しないと思います。日本語はそんなにヤワではない。「持つ」は「持ち上げる」となるが、「立つ」は「立ち上がる」~「立ち上がらせる」となり「立ち上げる」とはならない。こっちの方こそ劣化です。

kaitara1
質問者

お礼

劣化は別のところにあるということですね。立つの例では立ち上げるでなく立(て)上げる、が正しいのではありませんか。

noname#228945
noname#228945
回答No.7

表現の選択肢が増えるんだから良いのでは? 外来語ってのもまた日本語の文化でもあります。

kaitara1
質問者

お礼

おっしゃるように豊かになればよいのですが、それまで豊富にあった言葉が使われなくなるということはないでしょうか。ゲットとかオープンなどに対応する日本語の単語はたくさんありますね。何でもめっちゃなどという形容詞か副詞かを多用する風潮などにも共通する現象のような気がするのです。

noname#232424
noname#232424
回答No.6

ご返事ありがとうございます。 >アルファベットには意味がないことが大きな問題ではないでしょうか。漢字には意味があるので思考の基礎になりますがアルファベットでは何も考えられない。 たしかに漢字には表意文字という特徴があります。しかし,大学入試問題で「カクトクするを漢字になおせ」と問い,底辺大学もふくめて正解率がどれくらいになるのか,あぶないところでしょう。漢字はたくさんの種類があるため,中国人自身が困って発音がおなじ「机」と「機」をいっしょにしちゃいました。 「ゲットする」という連中の問題は,日本語も英語もできない(と推測される)ことです 笑。「英辞郎」でgetをひくと,下記のたくさんの意味があります(省略して引用)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【自動】 着く、達する 〔~の状態に〕なる、〔~するに〕至る 【他動】 ~に至る、~に到着する 得る、自分のものにする、買う、手に入れる、入手する、確保する、調達する◆「得る」、「受け取る」という意味の一般的な動詞で、受け取るものは勝手にやって来るものでも、進んで手に入れようとしたものでも構わない。 〈話〉〔相手の言ったことなどを〕頭の中に得る、理解する、分かる◆【同】understand ; comprehend 〈話〉〔人を〕連れてくる、呼んでくる、迎える 〔人に〕~を取ってくる[買ってやる] 〔説得や交渉をして自分の代わりに人に〕させる ~の状態にする 〈話〉やっつける、殺す、仕返しする、報復する 《野球》~をアウトにする、~を三振にしとめる 〈話〉苦しめる、悩ませる 〈話〉〔解答などを〕導く、出す 【名】 《ユダヤ法》離婚証書 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 連中には,これらの半分も使い分ける脳味噌はなかろうと思います。 >米魂和才か米魂米才の時代なのかもしれません。 いや,都合のいいところだけしか直輸入していないと思います。欧米の伝統的な思想や精神,古くは中国人のそれらも,ぼくら日本人は「はしょり」でしか学ばなかったのです。

kaitara1
質問者

お礼

長所は同時に短所でもあり得ますから、良い方向に行ってほしいと思います。パソコンの発達で漢字の欠点である過剰な複雑性がずいぶん解消されたのではないでしょうか。石川九楊さんは別の形で日本語の現状を憂えておられますが…

回答No.4

>こういう言葉は日本語を貧弱にしないでしょうか。 カタカナ語が日本語を貧弱にしているのではなく、現代の日本人が使う言葉が貧弱と言うか語彙が不足しているなために起きている現象です。 但し、外来語をそのまま使うという習慣は歴史的な日本語の特徴です。 漢字を元にした仮名文字が生まれる前には、古事記や日本書紀にみられるように、漢字の音だけを流用してやまと言葉を表記していました。 中国語である漢字は元々表意文字でしたが、この漢字の持つ意味を無視して音だけを流用したのが万葉仮名です。 やまと言葉には抽象概念を表す言葉が非常に少なかったことから、中国語つまり漢字で表記された言葉がそのまま使われました。 現在熟語と呼ばれている言葉がこれです。 現代でも仏教の禅宗で使われている禅語が日常的に広く使われています。 カタカナ語を従来の熟語で言い換えても所詮外来語だということです。 一方で中国語である漢文を読むのに当たって「かえり点」と呼ばれる記号を付記することで日本語として読んでしまうということをやりました。 この方法の発明のおかげで中国語をわざわざ翻訳することなく読みこなすということができました。 日本以外でこのように外国語を自国の言葉として読み取るという国も民族もありません。 明治時代の初期にに欧米の書籍を読む際にこの漢文のかえり点のような手法が使えないかということが一時検討されたことがありました。 非常に難しいことから断念され、単語を翻訳した熟語が盛んに作られました。 和製漢語と呼ばれるものがこれです。 文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、電話、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義など沢山あります。 新聞などはこの和製漢語なしには一行も書けないでしょう。 現代の中国に逆輸出されていて中国の新聞などもこの和製漢語なしには成り立たなくなっています。 韓国も同様です。 これに対して中国では独自に翻訳用の言葉を作ろうと努力されています。 カタカナ語を貧弱な日本語と感じられ、童謡や文部省唱歌の歌詞を豊かな日本語と受け取られておられるのではありませんでしょうか カタカナ語を止めるとなると、この和製漢語を新しく作る必要があります。 これには、漢字に関する知識を豊富に持っている必要があります。 常用漢字などと使う漢字が制限されている現代では非常に難しいでしょう。 やまと言葉には抽象概念をあらわす言葉が少ないので、延々と説明文を書くあるいは話すということになってしまいます。 日本語の特徴の一つに「~する」という言葉を使うと名詞であれ形容詞であれ外来語であれ全て動詞として使うことができます。 電話する、FAXする、スマホするなどがこの例です。 これがカタカナ語を安易使うことを助長しています。 >やたらにめっちゃとか、めちゃくちゃという形容詞がはびこっていますが、 「めちゃくちゃ」というのは元来の日本語です。 これを短縮したのが「めっちゃ」です。 このように言葉を短縮するというのも日本語の特徴です。 室町時代に宮中で生まれた女房詞などにその例が見受けられます。 現代ではパソコン、スマホなどカタカナ語に多く見受けられます。 個々の事象を議論するよりも、小学生に英語を教える時間があるのであれば、自国の言葉を徹底的に教えることが言葉の乱れを防ぐ最良最善の方法でしょう。

kaitara1
質問者

お礼

深い思索の成果をご披露いただきました。要するに良いことが結果として得られればよいということでしょうね。極端に言えば、漢字も新しい偏など日本から発信してもよいかなと思います。電子関係を表す偏など考えたら面白いかなと思います。もっとも雨冠でよいのかもしれませんが、ワープロなど雨冠の下に書くなどいかがでしょうか。もっと高級な抽象的概念などもカタカナ語を直輸入するよりよほど日本語に定着すると思います。NHKや与党や野党の政治政党も新しい漢字を提案したらどうかと思います。

  • msMike
  • ベストアンサー率20% (364/1804)
回答No.3

》 こういう言葉は日本語を貧弱にしないでしょうか 同感です。「該當する日本語があるのになあ~」と苦々しく思つてゐます。 ちなみに、私自身は英語に慣れ親しんでゐるので、片假名語を耳にしたり見たりしても、殆どの場合痛痒を感じません。

kaitara1
質問者

お礼

子供番組にまで英語が侵入しているのは米国の策略かと思います。日本兵がアメリカの将校に突撃命令を英語で出される像がありありとします。

  • jack-a3
  • ベストアンサー率38% (309/805)
回答No.2

個人的には、こういうのを柔軟に受け入れる日本語の奥深さに関心します。 日本語って表意と表音の両方を取り入れた言語で、そのため漢字の単語を見て意味が想像できる一方で、擬音や擬態語が豊富、そして外来語を簡単に取り込むことができる。「携帯電話」から「ケータイ」のように略語化や記号化も得意。こんな言語はなかなか珍しいです。 質問者さんの文章にある「テレビ」だって、登場当時は受け入れられない人がたくさんいたはずです。『略さず「テレビジョン」って書け』とか、『いやいや「受像機」って書け』、みたいな議論はあったことでしょう。でも一般名詞化して辞書にも載るようになった。一方で『チョベリバ』とか『あげぽよ』なんてのは一般化することなく消えていきました。 ゲットするとかオープンするが生き残ろるのか消えるのか分かりませんが、日本語における表現の多様化が進んでいると考えれば、むしろ日本語の貧弱化とは真逆の方向だとも言えませんか?

kaitara1
質問者

お礼

テレビはモノですが、動詞のようなものには違う面がないでしょうか。きちんとした文章を書く場合などゲットするというのは使いにくいし、あいまいにならないでしょうか。おっしゃる意味での日本語の柔軟性は私もその通りだと思います。中国語には仮名がないため簡単に音訳した外来語を作りにくいと聞いたことがあいます。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

個人的には嫌いで,「ゲットする? ちゃんと日本語で入手するとか獲得すると言え!」といいたくなります。しかし考えてみると,「入手する」・「獲得する」もサ変動詞であり,前が英語か漢語かのちがい。そうつっこまれると,ぼくはうまい反論を持たない。 「昨夜,オークションをチェックドのとき,何年もハブウォンテッドの骨董品をみつけてさ,さっそくガットだ」。ここまで進むと,まずいかもしれませんね。しかしその前に,ぜんぶ英語で言うほうがはやい 笑。 けしからんのは,阿呆役人が米国から直輸入の概念をカタカナ英語で表現すること。「ガバナンス」だの「アカウンタビリティ」だの,なんだい?

kaitara1
質問者

お礼

歴史的には漢語か米英語かの違いかと思いますが、アルファベットには意味がないことが大きな問題ではないでしょうか。漢字には意味があるので思考の基礎になりますがアルファベットでは何も考えられない。菅原道真が和魂漢才と言ったのを幕末の志士が当時の事情に合わせて和魂洋才と置き換えたと聞きました。現在は和魂米才ではなく、むしろ米魂和才か米魂米才の時代なのかもしれません。