>「痛かったです」は正しい日本語でしょうか?
――正しいです。 (「←これも何かひっかかりませんか? “です”がくっつくことに不自然さを感じる向きは、“です”を省いて、「正しい。」と言い切るべきでしょうか? 何か高慢な印象を与えるようで、これまた何か好ましくないところがありはしないでしょうか?)
ガチガチな、国語原理主義者とでもよばれるべきような人は、
「痛(いと)うございました」という言い方こそが正しい、と主張すると思います。しかしこの言い方はもう、我々現代人の感覚に沿ったものとは言えないでしょう。
「痛うございました」――こんな言い方をしたら、失笑を買ってしまったり、何か狙うところがあって意図的に擬古的な物言いをしているのだと思われてしまったり、悪いことには、「仰々しい言い方をしやがって、こっちのことを馬鹿にしてやがるのか?」という思いを起こさせてしまうのではないでしょうか?
言葉とは、川の流れのようなものです。今では三日月湖となってしまっている、かつては川の流れであったところを、「こここそ本来の川であったのだから、この三日月湖をこそ川と呼ぶべきだ」と主張しても、むなしくはないでしょうか? もはや使われていない語法を、「これこそは本来の正しい表現なのだから、この廃れた語法をこそ正しい言い回しとすべきだ」と主張するのはそれと同じようなことではないでしょうか?
リンク先によれば、「痛かったです」と同じように、「痛いでした」も正しい用法ということになります。
「痛うございました」は現代人の感覚にフィットしていない。かと言って新参の「痛いでした」にも「痛かった」にも違和感を覚えさせられる ――ということは、日本語はまだまだ不完全な言語である、ということが示されているのかもしれません。それは日本語が未来を擁している、ということでもあるのではないでしょうか? 不完全な人間が存在していていいように、完璧でない言語も存在していていいのでしょう。と言うより、完全な人間も完璧な言語も、そんなものはこの世には皆無でしょう。完成していないからこそ、存在し、生き続けていられるのだ、とも言えるのではないでしょうか?
【総括】
>「痛かったです」は正しい日本語でしょうか?
――正しゅうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 変だけれど、まあ容認、という感じだとわかりました。