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東洋人の悩み
西洋で数百年かけて熟成された「個」の確立、自然と対峙する人間、科学技術、産業技術、資本主義といった非常にインパクトの強い自然観を、近代に入って怒涛のように押し寄せられてきた東洋人の内面でどう止揚させるか、真剣に向き合い、悩み、模索してきた日本の哲学者、文学者は戦後の方でどなたかいらっしゃいますでしょうか? 例えば大正期においては漱石の「行人」の一郎の苦悩がそれを物語っているかと思います。 戦後というと私の乏しい知識の限りでは例えば「資本主義の限界」を説く京大の佐伯啓思さんが挙げられますが、ちょっと国体主義に傾倒している感もなくないです。
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古代ギリシャでは、「個人」というのは、存在せず、「個人」を作ったのはキリスト教でした。 フーコーは「性の歴史」という本で、1215年、カトリックの「告解制度」で人間に「内面」ができた、その結果、「内面」を持った「個人」というものが歴史に登場したと言っています。 つまり個人が他人と違うのは、個人が他人とは違う固有の「内面性」持ち、その中に住んでいるからです。 そして評論家・柄谷行人は「日本近代文学の起源」で、日本人に「内面」ができたのは、明治半ばの言語改革によるもので、明治以前の江戸時代には、日本人に「内面」というものは無く、「内面」というものがなかったので「個人」も存在しなかったと言っています。 私たちは人間であれば誰であろうと、いつの時代であろうと、「内面」というものを持っている、また個人というものがある、と考えていますが、実際は、「個人」といい「内面」といい、人為的、あるいは歴史的に形成されたもので、いつの時代でもあるというものではありません。 したがって、「個人」というものも、人間の「内面」というものも、時代が変わり、状況が変われば、いずれ消滅することも当然あるわけです。 わが国は明治になって西欧文化を輸入し、江戸時代になかった「個人」というものを作り、また西欧の近代哲学でいうところの自我とか主体を作り、個人を確立し、自然を改造し、支配し、科学技術、産業技術、資本主義といったインパクトの強い、自然観、つまり西欧の機械論的自然観を導入し、これまでの日本の有機体論的自然観を駆逐し、ぜんぜんこれまでになかった東洋人の「内面」と「個人」と自我・主体を作り、それで西欧の真似をして帝国主義でアジア諸国に侵略し、アジア諸国を植民地化してきましたが、太平洋戦争が敗北に終わると、これまで唱えてきた「個人の確立」とはいったい何だったのか?という反省が起こり、明治以来のドイツ観念論で学校教育してきたことから、京都学派の西田幾多郎やその弟子たちのいう個人よりも国家を!という思想に反発して、英米流の反・ヘーゲルの哲学を我が国に導入し、それを教育してきました。 いわゆる、個人でなく、自我でもなく、主体性でもなく、アンチ・カント、アンチ・ヘーゲルの思想です。 機械論的自然観に代わる有機体論的自然観の復興であり、デカルトの心身二元論の否定であり、そしてカント・ヘーゲルの「同一性」の哲学の否定であり、それに代わる「差異性」の哲学の台頭です。 戦後哲学の代表といえば、故・大森荘蔵とその弟子たちの思想です。 故・大森荘蔵は戦後東大の教養学部哲学科で、現代に活躍する多くの弟子を育て上げました。 野矢茂樹・中島義道・飯田隆・丹治信治・大庭健・村田純一・土屋俊・・・・・・という哲学者たちです。 その特徴は「言語論的転回」以後の哲学を唱えていることにあります。 自我もなければ、主体もない、個人もいない、内面もない、という。 あなたは「東洋人の内面でどう止揚させるか」と言っていますが、止揚させるのでなく、否定です。 漱石の「行人」は、明治期の作品で、どうやったら「個人を確立するか」という悩みでしたが、戦後にはその逆、どうやったら個人を否定するか?ですから、漱石の悩みはもはや時代錯誤というべきです。 そして佐伯啓思も、しょせん二流の思想家に過ぎず、故・大森荘蔵門下の哲学者とは比ぶべくもありません。
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- SPS700
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1。真剣に向き合い、悩み、模索してきた日本の哲学者、文学者は戦後の方でどなたかいらっしゃいますでしょうか? いるでしょうが、戦争で西洋に負けたあとですから、なりを潜めていたのかもしれません。 2。戦後というと私の乏しい知識の限りでは例えば「資本主義の限界」を説く京大の佐伯啓思さんが挙げられますが、ちょっと国体主義に傾倒している感もなくないです。 占領者の西洋、それに遠慮する出版界、それに気を使う学会、それに反するのは国体主義と見る傾向、などに押されて、伸び悩んだのではないかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。 確かに、戦前、戦中、終戦直後は時代背景から我が国の哲学はどうしても「国体」に傾倒する向きがあったのかもしれませんね。 戦後の哲学者も萎縮するか、なりを潜めて表に出なかったことが影響しているというのも頷けます。
お礼
返信が遅れて申し訳ありません。 非常に詳しいご回答ありがとうございます。 「哲学者は?」と質問しておきながら、恥ずかしながら勉強不足な私にはとても高度な内容で、koosakaさんのご回答を把握できるよう、もっと勉強しなくてはと思いました。 「個人」というのは、一神教であるキリスト教の「私」と「神」との契約関係に由来するものなのですかね? それ以前の古代ギリシャのプラトンの説くイデアというのも、ポリス、国家という社会空間を説いた話で、「個人の内面」ではないということでしょうか? 日本には明治期まで「個人」とか「内面」という概念はなかったとすると、江戸時代までの日本人は、「自己」と「共同体の生成」、「自然の生成」が密接不可分で、自己実現とか幸福の追求とかいった発想自体が全くなかったと考えられて、興味深い所です。(それ以前に食べていくことだけで精いっぱいだったとも考えられますが) 「神の国を国家として地上でどう実現させるか」といったドイツ哲学(カント・ヘーゲル)の反発で、「国家を」でもなく、「個人」でもない「差異性の哲学」というのは初めて聞きました。 大森荘蔵というのがその代表なのですね。 自我の、個人の、内面の、主体性の「否定」というと、とても東洋的、禅的な思想のような気がしますが、それが一般市民、大衆の思想にまで、教育や社会制度にまではまだ行き渡っていないのかな?…勉強不足のためそう思いました。 あまりに高度なご回答で、きっちりとしたお礼にならず申し訳ありません。もっと勉強してきっちりとしたお礼ができるようになりたいと思います。