> 日本人にイスラムが合わない理由
「合わなかった」理由ではなく、現在形でのご質問ということなのであれば、回答は、ほかの方々もお書きの通り、現在の日本は多神教・偶像崇拝で固まっていて、なんら不便・不都合を感じていないから、というものになります。
人間、「変える」ということには大きな努力が必要です。時間もかかるし、費用もかかるし・・・ 。既婚者の皆さんなら、相手の生活に合わせて自分を変えるのが、いかに大変かはご存じでしょう?
ヤマメなど、川での生存競争に負けた個体が海へ逃避します。強いものは川に居座る・・・ 変えなくて済むなら、変えない、というのが生物本来のありかたですから、それに従っているわけです。
余談になるのかもしれませんが、過去においてイスラムが日本に広まらなかったのは、日本へのルート上にインドや中国があって、イスラムの「武力」が止まってしまったのが原因でしょう。
イスラムは、圧倒的な武力をもって各地の都市を囲む城壁を取り囲んで、「改宗か、納税か、死(戦い)か」と選択を求め、選択を迫られた側の「死ぬのも納税もイヤだから、改宗でいきます」ということで急速に広まりました。
囲まれた国が多神教だったり偶像崇拝だったりしても、社会を根絶やしにして、絶対神信仰で社会を作りなおすのです。日本だって、改宗を拒否してお寺も神社も書籍も全部土の中に埋められて、天皇皇族も皆殺しになっていれば、多神教も偶像崇拝もなかったことになります。「合う」「合わない」の問題は生じません。
現実には、インドや中国攻略に手間取って彼らが日本に気がついたころには、すでに武力に格差が生じ、イスラム諸国が攻められる立場になっていたため、上記の戦略が取れなくなっていました。その結果、日本は相変わらず多神教、偶像崇拝の国です。
> キリスト教が日本で広まらなかった理由は何でしょう
直接には、徳川幕府が禁止したからでしょう。
徳川幕府が禁止したのは、欧州が、すでにキリスト教をアジア侵略の道具・手先に使っていた(日本が最後)のが原因ですから、まあ、手先になってしまったキリスト教のミスが原因だと言えるかもしれません。
もう1つ、明治維新の直前、薩長側も幕府側も、キリスト教国(英仏)の「戦争援助の申し出」を断ったことが挙げられます。これが大きい。
「日本人のこつは、日本人どしで決めもす」「冗談じゃねぇぜ。自分の尻は自分で拭くのが日本人の作法よ」と言ったとか言わなかったとか。
この点、白村江の戦いなどなど、事あるごとに他国の勢力を自国国内に招き入れて、他国どうしを戦わせて自分は高みの見物を決め込んだ国とえらい違いです。
援助を求めて勝っていれば、恩に着せられ、日本中に教会が建ち、キリスト教がもっと繁栄していたのではないかと思われます。
そういう重大な異変でもなければ、自分流の生き方を変えないのが、生物だという話は既に書きました。
かくして、日本はいまだにキリスト教国とは言いがたい状況です。<二拝二拍手一拝>