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日本人にイスラムが合わない理由

キリスト教が日本で広まらなかった理由は何でしょう

みんなの回答

回答No.13

文化・風習がやはり中東方面のものだし、日本には合わないように思います

回答No.12

皆さんが仰るように。 違う他と多を認める民俗学。つまり多神教であり、多宗派の仏教。 様々な信仰。 イスラムの性格とは違うんですね。 親鸞が法然と違う宗派を創る意思があったか?実は自分はずっと法然の教えを継いでいるという思い。 どの宗派の修行僧も違う宗派のお寺にお世話になれる。 こういうことは日本以外の民族性では、多分忠誠心の問題になるのかな。 でも日本ではそんな問題にはならない。 そういう民族性ですからね。

  • daiamon3
  • ベストアンサー率20% (7/34)
回答No.11

踏み絵

回答No.10

そもそもアジア圏は多神教のところが多いですね。日本は多神教の神道があり、そして同じく多神教の仏教が伝来しました。なので一神教は合わなかったのでしょう。個人的には一神教の神様は厳しい(時に冷酷)ですよね。たくさんの神様がいて寛容な多神教のほうが私は好きです

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.9

> 日本人にイスラムが合わない理由  「合わなかった」理由ではなく、現在形でのご質問ということなのであれば、回答は、ほかの方々もお書きの通り、現在の日本は多神教・偶像崇拝で固まっていて、なんら不便・不都合を感じていないから、というものになります。  人間、「変える」ということには大きな努力が必要です。時間もかかるし、費用もかかるし・・・ 。既婚者の皆さんなら、相手の生活に合わせて自分を変えるのが、いかに大変かはご存じでしょう?  ヤマメなど、川での生存競争に負けた個体が海へ逃避します。強いものは川に居座る・・・ 変えなくて済むなら、変えない、というのが生物本来のありかたですから、それに従っているわけです。  余談になるのかもしれませんが、過去においてイスラムが日本に広まらなかったのは、日本へのルート上にインドや中国があって、イスラムの「武力」が止まってしまったのが原因でしょう。  イスラムは、圧倒的な武力をもって各地の都市を囲む城壁を取り囲んで、「改宗か、納税か、死(戦い)か」と選択を求め、選択を迫られた側の「死ぬのも納税もイヤだから、改宗でいきます」ということで急速に広まりました。  囲まれた国が多神教だったり偶像崇拝だったりしても、社会を根絶やしにして、絶対神信仰で社会を作りなおすのです。日本だって、改宗を拒否してお寺も神社も書籍も全部土の中に埋められて、天皇皇族も皆殺しになっていれば、多神教も偶像崇拝もなかったことになります。「合う」「合わない」の問題は生じません。  現実には、インドや中国攻略に手間取って彼らが日本に気がついたころには、すでに武力に格差が生じ、イスラム諸国が攻められる立場になっていたため、上記の戦略が取れなくなっていました。その結果、日本は相変わらず多神教、偶像崇拝の国です。 > キリスト教が日本で広まらなかった理由は何でしょう  直接には、徳川幕府が禁止したからでしょう。  徳川幕府が禁止したのは、欧州が、すでにキリスト教をアジア侵略の道具・手先に使っていた(日本が最後)のが原因ですから、まあ、手先になってしまったキリスト教のミスが原因だと言えるかもしれません。  もう1つ、明治維新の直前、薩長側も幕府側も、キリスト教国(英仏)の「戦争援助の申し出」を断ったことが挙げられます。これが大きい。  「日本人のこつは、日本人どしで決めもす」「冗談じゃねぇぜ。自分の尻は自分で拭くのが日本人の作法よ」と言ったとか言わなかったとか。  この点、白村江の戦いなどなど、事あるごとに他国の勢力を自国国内に招き入れて、他国どうしを戦わせて自分は高みの見物を決め込んだ国とえらい違いです。  援助を求めて勝っていれば、恩に着せられ、日本中に教会が建ち、キリスト教がもっと繁栄していたのではないかと思われます。  そういう重大な異変でもなければ、自分流の生き方を変えないのが、生物だという話は既に書きました。  かくして、日本はいまだにキリスト教国とは言いがたい状況です。<二拝二拍手一拝>

  • chibareal
  • ベストアンサー率11% (26/217)
回答No.8

太古から神道や仏教があったので、他の宗教がとくに入る余地はなかったのだと思います

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (417/1292)
回答No.7

日本は八百万の神ですから、一神教は本能的に受け入れないのです。 七福神の内、日本生まれは恵比寿天だけです、他は外国から来ました。 帝釈天はインドの神様です。 江戸時代まで、お寺と神社が同じ敷地内に建てられて居る所は 数多有りました。 生まれたら神社で御祓いを結婚式は教会で葬式は、お寺で、 大晦日は、お寺に、正月は神社に詣でる、など一神教の世界 ではありえない事です。 八百万の神に生まれて良かった!!

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

1,ある程度、文化文明が発達していると、   もはや、他の文化、宗教を受け入れることが  難しいのです。    例えば、インドなどは、英国の植民地になりながらも  キリスト教国家にはなりませんでした。  中国も同じです。    これといった確固たる文化文明が無かった、フイリピンとか  中南米にはキリスト教が、インドネシアなどには、イスラムが  浸透しました。  韓国は厳しい儒教の縛りから逃れる為、キリスト教が浸透した  と言われています。 2,日本には天皇がおり、天皇が司祭する神道が行き渡って  いました。  キリスト教やイスラムと天皇の共存は難しかったのだと  思われます。

回答No.5

 フランシスコ・ザビエルがキリスト教を日本に伝えたのが1549年です。 まだ470年しか経ってません。 仏教伝来は550年位なので、1470年ほど経っています。  あと1000年経てばキリスト教ももっと布教しているかもしれませんね。

回答No.4

キリスト教にはクリスマスなど商業的に盛り上がれる行事があり、にわかならある程度浸透していると思いますが、イスラム教にはそこまでの派手な行事がないというイメージがあります。 実際はラマダンは日没後ド派手なんですけど、日中は絶食はね。。。 またイスラム教は日本に入ってくるのが物凄く遅かったのですね。明治になってからで、本格的には戦後です。 そして仏教やキリスト教のように強引な布教活動をしてこなかったというか、出来なくなっていたようです。 歴史を見るとイスラム教は武力で中央アジアまで勢力を伸ばしてきました。 が、中国やモンゴルが強く極東アジアまでは浸透出来ず、日本に入ってくるのが遅くなったと考えられます。 また普通のムスリムは強制的に布教することは良くない、静かに受け身的な布教を美徳としている方が多く感じます。 ISなどのテロ集団は言語道断だと思っているようです。 本当のムスリムは優しい人たちなんですよね。 そして義理堅いのです。 一度助けたことをいつまでも感謝してきます。 ・・・近くの某半島の国とは正反対ですね。 一昔前は難民、今はテロでイメージが悪いですが、本当の彼らの姿をお互いに知ることが出来れば、もう少しはイスラム教も日本に根付くかも知れませんが、やっぱり先に入ってきた宗教が強すぎて、そう簡単ではないですね。 イスラム教は猫好きな宗教だと勝手に思っています。 なので、猫ブームな今、猫好きな点を強調すれば・・・って偶像崇拝禁止なので難しいかも。

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