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恋をなぜ釣り船に例えたのか

知らせて悔やむ恋 わが恋は三島が沖に漕ぎ出でてなごろわづらふ海士の釣船 西行が読んだ和歌ですが なぜ西行は海士の釣り船に例えたと思いますか? 恋心を相手に伝えなければよかったと後悔する恋の歌 私の恋は、強風の名残により高くなった波にもまれる三島の沖の海士の釣り船のようだ と訳してみました 相手って実際にいたんですかね…

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noname#232424
noname#232424
回答No.1

激しくアップダウンを繰り返す事物として,当時はジェットコースターが製造されていませんでしたから(笑),自然物の「海の波」が真っ先に浮かんだんじゃないでしょうか。 葛飾北斎の「富岳三十六景」の1つに,神奈川沖の大波にもまれる小舟の構図があります。歌中の「三島」はたぶん静岡県三島市だろうと思いますが,場所的に近く,太平洋の荒波という定番のイメージがあったのかもしれません。 漁業をしている海士であれば,当然に気象の知識は豊富に有しており,強風のあとで海が荒れることを知っていたでしょう。それにもかかわらず漕ぎ出してしまった(恋を告白してしまった)自分の行為を,「こんな結果(失恋)になることをわかっていながら,なんておれは馬鹿だったんだ」と強く後悔しているように,ぼくには読めます。

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  • 31192525
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回答No.4

belphegormukuroさん、こんにちは。 「なごろ」には「別れた」という意味もあります。  浅学の為どんなシチュエーションで読んだ歌か知りません。したがって私見ですが・・・  なごろわづらふ  「名残の波で難儀する」と「別れた後で恋に患う」  海士の釣船    「釣り人の船」と「想う人を釣った(告白した)自分の胸騒ぎする心」  とも、とれますが。。。したがって、思う人は「いた」または「かつて居た」のではないかと。  

noname#232424
noname#232424
回答No.3

No.1の補足。 西行は12世紀の人物なので,海(沖合)で漁業をするといえば「釣り」,なかでも手で直接に糸を操る手釣り漁法を意味したと思います。規模が大きくなる網漁はやれなかったでしょう。 だから,海士の船といえば「釣船」に限定される。「いさり船」でもいいですが,音数が合わなくなります。漁法の「釣り」にはとくに意味はないと,ぼくは思います。

回答No.2

狂言だと思いましたが若旦那とお供の者が「オカ釣り」をする話があります。 若旦那 「つーーろか! つーーろうか!!」 お供の者「つーーれーたか? つーーれたか??」 女性は首尾よく釣れましたが・・・ってな感じでお芝居は終わりました。 なぜ釣りかはわかりませんが、お芝居や言い伝えなどから「恋=海士の釣り船」 とひらめいたのでは?(時代が違うかな?)

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