• 締切済み

哲学をお聞きします。

あなたにとって "生きる" とは何ですか? "生きる" と言っても色々あります。 夢の実現の為に金を稼ぐこと、 結婚して生涯のパートナー幸せに暮らすこと、 仕事で成功する為に今を耐え忍ぶこと、 色々あると思いますが、あなたに取って "生きる" とは何ですか?

みんなの回答

回答No.8

復讐だよ。 死んでいて当たり前の私が生きる活力だ。 正当なことでね、殺されかけたことがあるんだ。 私が生きようとする限り、私を殺そうとするものが死に続ける。

  • nToTn
  • ベストアンサー率28% (28/99)
回答No.7

命を次の世代につなぐこと。

回答No.6

islamglyphliw1さん こんばんは。No.4です。 朝、出がけにどたばたしている時に、回答したので誤植を訂正します。 ショーペンアウアー → ショーペンハウアー 「創造」と行為は、 → 「創造」という行為は 今日も精一杯、頑張って疲れたので、寝ます。おやすみなさい。 https://www.youtube.com/watch?v=FZtBwlxL0Aw

回答No.5

学齢前六歳、74年前から考えてきました。 最近、確信しました。 自分と世界を讃し、謳歌することです。 それは尽くし、そして人の為になる事です。 それは自己と人の発達を願う事です。

回答No.4

islamglyphliw1さん おはようございます。 私の場合は、「今の創造」です。 ショーペンアウアーやニーチェやベルクソンが言いたいことは、同じで「今の創造」が大事と言っているのではと思います。 もっとも、私は哲学者になるわけでなく、すべての著作を読むのは時間的に無理で、ざっと読んで、かじった程度における私の見解です。 人間、ネガティブな思考になりがちですが、これは生物学的に進化の過程で、天敵から身を守るほうが、餌を得ることより種を残すのに大切であることから、接近より回避というネガティブな行動を起こすように脳に刻み付けられているからだとも言われています。 しかし、過去のことを悔いてばかりいても、過去の事実は変わるでしょうか? 今を懸命に生きる。 しかし「創造」と行為は、そんなに楽なものではありません。 額に汗をかかなければならない。 今を創造する行為の繰り返しが未来を作り出すという確信。これが私の希望です。

回答No.3

量子論的世界像において、有限な存在性(=宇宙)は、認識されることによって派生しています。 換言すれば、「自我仮説(心)と時空仮説(存在)が、(不確定性原理の相補的不確定性を介して)相補分化している=全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完である」という事なのです。 認識する事と存在する事が同根である時、生きる事は存在する事だけではなく、認識を深める事を包含し、生きる目的に於いて物質的繁栄は部分的要素であって、真の生きる目的は「人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)」となります。 まとめると、下記のようになります;        存在すること           ↓ 生きること    +   認識を深めること    ↓                ↓ 組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及    ↓                ↓ 自律的社会行動(生産)× 社会生命的自覚化(愛) (エントロピー増大の反力としての反エントロピー) 1. 我等は、認識する個体である。 2. 我等の生存は、意志の結果であり、幸福の追求としての本質を持つ。 3. 幸福とは、認識に於ける意志と、その達成の認識により成る。 4. その個体的追求は、生存と認識に於いて為される。 5. その環境的対応は、生存は生産として、認識は学習として現れる。 6. より大なる学習は、より大なる社会的生産を可能にする。 7. また、より大なる生存に於いて、より大なる認識は可能になる。 8. これらの過程の認識とその意志化は、最大の生存と最大の認識に於ける、完全な充足を実現する。 9. そして、それらの統一的計量は、認識の深まり及び有効エネルギーの不可分な指向として、反エントロピーとして求められる。 10. 反エントロピーとは、宇宙の起源としての、絶対無=無限不確定性の潜在(有限)たる認識の自我仮説性(時間性~進化)の定性化である。 11. 潜在的認識性に対する相補的環境は、その認識の有限性による相補性の非自覚化により、他律的対象(=時空仮説)化する。 12. その他律的環境への反エントロピーの敷延は、自己矛盾として生じる環境を、その先入たる、仮説的時空性に於ける個体的有限性を、超越する意志化により、補償するものである。 13. 換言すれば、真理の限界は、愛により補完され得る。 14. 先述の要素との対応に於いて、真理とは認識の深化であり、愛とは社会的生産への意志に他ならない。 15. 宇宙の原理的本質は、自我成立の為の相補であり、そこに於ける完全な自覚に基づく完全な意志は、真の環境としての無限性=完全な自由を保証される。 16. この、利己と利他、あるいは唯物と唯心を包含した、完全な“自己”完結的過程には、金や地位といった外的価値、また主義・宗教他いかなる権威も介在し得ない。 17. 我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.2

有機体は自己原因・自己目的だから、生きることが原因で結果です。 生きる目的は生きることです。 それ以外のものは余計です。 「生きるといってもいろいろあります」と言っていますが、いろいろあるとしても、みんな余計なことで、生きることは生きること、それ一つしかありません。 夢の実現のために金を稼ぐといっても、生きることが失われたら、無意味です。 結婚して生涯のパートナーと一緒に暮らすといっても同じです。 仕事で成功するために今を耐え忍ぶといっても同じです。 生きることが失われたら、無意味です。 人間以外のものならば、何のために、という目的があり、そのための手段に意味がありますが、人間は自己目的で、生きることが目的だから、そのための手段は無意味です。

noname#228784
noname#228784
回答No.1

難病で日々、体のメンテナンスと体調不良に忙しい私としては。 生きるとは、やりたい事をする事。 まだ経験していない事を、社会通念と好奇心のバランスを取って 経験してみる事です。 自分の興味関心の度合いで考えると、 そこに結婚はありませんw 「縁があれば・・・」っていう、オマケくらいかな?w それよりは、体が動くようになって 自由に外出できるようになって、色んな事をしてみたいですね。 それが生きる目的です。 まずは普通に、仕事をしてみたい。レジバイトでも何でも良いから。 それで、100%の自活をしてみたいですね。 あとはもちろん、レジャー施設や観光地へ、体調に気兼ねなく出かけて満喫してみたい。旅行ですね。^^ そう考えると、生きるとは 厳密には・・・ 「日々の体調不良と向き合いながら、30分~数時間で不規則に変わるデータと体調に合わせて、薬とホルモンの調整を繰り返す事」 という事になるでしょう。 うーん・・・ わかっちゃいたけど、我ながら つまらん人生だ・・・。 でもこの平凡でつまらない感覚こそが「この体で生きる自分にとっては」幸せでもあるということを、私は既に知っている。 体調・病状の増悪時にはつける薬もなく、息も付けないのだから…。 お金が足りないだけで、本を読む身体的な余裕のある今を、大事にしたいね。