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靖国神社と戦死の関係
靖国神社には国のために戦って戦死した人がまつってある、と聞きました。これを正確に言うと、戦争中に戦地で死んだ人がまつってある、と考えていいのでしょうか? だとすると多くのA級戦犯は戦後死んでいる(東条英機など)ので「戦死した人」の中には入らないような気がしますが、どうでしょうか?どうしてA級戦犯は靖国神社にまつられているのですか?
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A級戦犯に限らず、第二次大戦後の連合国による軍事裁判で戦争犯罪人として死刑になった方は、講和条約成立後の1950年代に、法律によって「公務死」として、戦死と同じ扱いになりました。連合国による復讐の矢面に立ち、法廷で戦って死んだという考え方でしょう。よって、戦死者と同様に、靖国神社に合祀されています。合祀されたのは、公務死認定からはだいぶ後の1975年だったと記憶します。 実際、ソ連による軍事裁判では「ソ連に対する敵対行為、スパイ行為」でB級戦犯・C級戦犯として処刑された人も存在するようです。敵軍に敵対して何で戦犯にされるのか分かりませんが、「連合国による復讐」と考えれば納得できます。 1950年代の、独立を回復した日本では、「戦犯裁判は連合国のでっち上げ。戦犯にされた人は戦争の犠牲者」という考え方が普通でした。ですので、戦犯裁判による死者を公務死とする法案は、国会ですんなり通りました。 こうした動きの中心になったのが、社会党の代議士であったというのも今では信じがたいことです。
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「A,B,C級戦犯」などの呼び方は、戦勝国が勝手につけた呼称であり、国際法に違反して勝手に裁いたのがこの極東軍事法廷なのです。 但し、講和条約を受諾していますからこれらを公式に主張することは控えなければなりません。 4番さんの「URL」に在りますが、東条英機は日本の敗戦に対しての責任で自害を試みたが失敗したことを2週間ほど前に彼の孫に当たる女性がテレビで言われていました。 ですから、東条が靖国神社に祭られることが何も不自然ではありません。しかし、政治家が公に口にすることが出来ないのです。
- yuhkoh
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祭神の多くは戦死した軍人でしょうが、「対馬丸の学童」「ひまゆり部隊」それに従軍看護婦など、軍人以外の方も祀られています。また昭和20年8月15日で戦争が終わったと普通は思われていますが・・・ 樺太(日本領)に上陸したソ連軍の情報を本土に通信する任務を行っていた「樺太真岡郵便局」の電話交換手の女性9名は、優勢なソ連軍の前に“昭和20年8月20日"集団自決されました。最後の電文を伝えて・・・ 「皆さん これが最後です さようなら さようなら」 稚内市にある「氷雪の門」は彼女らの慰霊の為に作られました。彼女らも靖国神社に祀られています。まあ、アメリカとの戦いで亡くなられた「ひまゆり部隊」は、さまざまの思惑で有名ですが、ソ連との戦いなので彼女らは、「平和教育」を行う上では都合が悪かったのかあまり知られていませんね。 なにをもって「国を守るために犠牲となられた」と判断するのは靖国神社側です。靖国神社側の宗教観・死生観・国家観に基づいて祭祀するのであって、それをどうこういう立場ではないでしょうね。例えば仏教寺院に「観音菩薩を祀るのはけしからん」と信者でもない者が発するようなものですか。 まぁ、厳密にいえば昭和20年8月15日は「降伏・敗戦を国民に伝達」した日であって、日本軍への停戦命令は8月16日、ポツダム宣言による降伏文書調印は9月2日、国際法上での正式な戦争終結は昭和27年4月28日の平和条約(通称:サンフランシスコ平和条約)発行ですからね。ですからソ連のようにこの条約を結ばなかった相手国とは、単独講和を結ぶまでは「戦争状態が続いている」ことになります。 8月15日は「戦闘」を止めたのであって、「戦争」を止めたわけではありません。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 「戦闘」と「戦争」は違うんだ、というご指摘には感心しました。 そこで、ですが戦地で重傷を負って昭和20年8月15日を迎え、昭和27年4月28日までにその傷が原因で死亡した人は祀られているのでしょうか? 祀る祀らないの判断が神社側にあるのは分かるのですが、申請は個人でやるのでしょうか?8月15日までは陸軍省あたりがやったのだろうと思うのですが・・・
- Q891781
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1番の方のように大東亜戦争を考察する際、政府と国民を分け隔てる論理は間違っています。当時も日本は民主主義国家であり、国民の支持がなくては政府は動けません。マスコミも政府を支持していました。戦争プロパガンダで政府が国民を煽ったことは事実ですが、これは今も昔も古今東西どこの国でも同じです。現在の米国をみればよくわかるでしょう。余談ですが一番熱狂的に鬼畜英米を叫んだのは朝日新聞です。 さて靖国神社に祭られている英霊ですが、起点は戊辰戦争時の官軍(政府軍)犠牲者でした。従って、西南戦争時の賊軍(ここでは薩摩藩兵)の大将・西郷隆盛は祭られていません。ようするに政府軍=日本国家のために犠牲になられた英霊を祭っているのです。
- ipa222
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A級戦犯のうち軍人は、公務員であり、その職務上の行為における任務を戦犯とされましたから、殉職というべき感じはします。 警察官が犯人を撃ち殺したら、裁判で有罪になったということですから。
- o24hi
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こんにちは。 これは、靖国神社の第二次大戦の時の役割を考えていただければ、答が出ると思います。 「国(天皇)のために戦って散れば神になる」第二次大戦勃発時、死にゆく兵士たちの精神的支柱として政府が利用したのがこの謳い文句でした。 この意識を国民に植え付けることが出来たからこそ若者たちに片道分の燃料だけで空を飛べなどと命じることが出来たのです。軍国主義を徹底させるためには、靖国神社という「口実」が必要不可欠だったのです。 国民の立場で言うなれば、靖国神社があったからこそ、戦争という行為にも手を染めることができたのです。 ということで、戊辰戦争や西南戦争という「官軍対逆賊」というケースの戦争において靖国に祀られたのは官軍側の兵士のみで、「逆賊」側はあの西郷隆盛でさえ靖国神社には祀られていません。 つまり「靖国に祀られるのは天皇の兵士のみ」ということです。 ですから、A級戦犯と言えども、まさに「天皇の兵士」ですから、まつられていると言うことです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
お礼
「天皇の兵士」だからまつられるのではなく、「戦死」したからこそまつられるわけですよね。「天皇の兵士」であっても、生き残って終戦後亡くなった人はまつられていません。そこがポイントなんです。 A級戦犯は「生き残って戦後亡くなった人」です。それがどうしてまつられているのか、それを知りたいのです。 勿論A級戦犯といえども国家のために尽くしたことを僕は認めていますし、感謝もしています。ただ「まつる、まつらないのルール」に照らし合わせてどうか、ということです。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。戦犯の人は法律によって「公務死」に認定されたのですね。しかもそれが社会党の働きかけであったとは!!驚きました。