随分以前に「トヨタの闇」という本を読んだことがありますが、その中に書いていたことの中に、超世界級の巨大企業の前には、出版社も尻込みし、褒め殺しならともかく、批判批評という内容であれば、直接的に広告収入や取引に大きな影響を及ぼす危険性があることから、率先して引き受ける会社は、非常に少ないというという話がありました。
つまり、巨大企業に反旗を翻すことは、身の破滅を招く直接的な原因となる。
その本の中には、例えばトヨタ関連企業からの出向者や応援者などに対する、あからさまな嫌がらせや、想像を超える残業の強要など、ノイローゼになるべくしてなるような、恐ろしい職場状況が記載されておりました。
当然、中には、そうしたことが原因で命を絶ったような事案もあったと思います。
また、大企業周辺の多くの中小企業は、大企業との取引に企業存続を依存する傾向があり、取引の中止は企業の死活問題に直結し、値段交渉の許されない一方的な力関係は、必然的に収益を圧迫します。
アベノミクスにより大企業の株価は軒並み上昇し、時価総額の上昇は、赤字も黒字に変えるほどの効果をもたらし、賃金やボーナスの大幅アップは周知の事実です。
しかし、その陰で大企業に”いいように使われている”多くの中小企業には、その恩恵が及ぶべくも無く、最悪、採算調整のために社長自らの自腹を切ることも珍しいことではないとも言う。
ネット時代の真っただ中、SNSによる情報がが四六時中飛び交う時代背景の中で、個人の自殺の経緯ですら誰の目にも触れる状況にあります。
そうした時代に、たまたま電通は、自殺者という被害者の存在を電波に乗せて、そのスパルタ式の企業姿勢、社風、日常的に行われる異常な残業形態や社内の空気を、全世界に配信されてしまった。
しかし、現実には口を噤んだまま自殺に追い込まれる年間30,000人にも及ぶ自殺者は、30代が最も多いという。
つまりは、仕事に悩んで自ら死を選ぶ企業環境が社会に氾濫しているということになる。
電通の問題は、あくまで氷山の一角であり、先の過去に見られたトヨタ内部の体質などを含めて、日本社会の中で、サービス残業やパワハラ、嫌がらせなどが、日常的に行われている実情が表面化した一例であり、逆に、人の死をもって訴えなければブラックボックスの中に永久に閉ざされ続けることを印象付けた事案だったということでしょうね。
巨大企業にとって、電通のように外部に「死」「自殺者」という負の情報が漏れないものであるならば、一個人一社員の死など、取るに足らない日常の一コマでしかなかったということだと思いますよ。