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奪い取られた虚しさから立ち直りたい
仕事での不運…というより人運の悪さ故に、様々な巡り合わせによって、自分が努力した成果や結果が全て奪われた気持ちが強く、「不毛だった」と疲れ果ててしまって、立ち直れずにいます。 私を一歩引いた場所から見てくれている人には「よくやっているね」「大変そうだね」「本当によく努力しているね」と励ましてもらえますが、そういった理解ある言葉も虚しいほど、私の業務に直接関わる人はことごとく利己的で、他者が組織のためにいかに努力しているかなど見ておらず、やりたくない仕事は他人に押し付け、やってもらっている立場にも関わらず「そのくらいやってもらって当然」という顔で平然としていたり、私が途中まで進めていた仕事なのに、私の前任者が行った仕事だと決めつけ、まるで私が無能かのように扱い、私の成果ごと奪い取ったり、(そのくせ、まともな結果を残さない。どうせ奪うなら私より成果を残してほしい) しかし、直接関わりのある範囲外の人からの私の人望の理由は理解できないようで、私が他の人と親しくしていると、急に私に対しても親しげにしてきたりします。そのくせ、その時ですら、「こっちが話しかけてやってんのよ」という雰囲気を出す。あくまでも私が弱者側に置かれているのです。 正直言って、こちらは関わりたくありません、そんな人たちとは。 そのチームはもう解散し、今は別のチームに移りましたが、大元の組織は一緒で、同じ空間で仕事をしなければならない時もあります。 私は、自分が努力に努力を重ねて積み上げていった行為を、組織全体に決して還元されることのない個人の「よくわからない利益?」のために奪われたことが今でも許せません。 言葉だけ聞くと単なるイジメに聞こえると思います。確かにイジメでした。ハラスメント、というか、スケープゴートにされている状態でした。 しかし、一度は管理職にも伝え、改善を図ってもらうよう求めても改善されなかったものでもあり、また、証拠等を残そうとしても、非常に難しいものだったので、組合や労基所に訴えられるようなものでもありませんでした。 とにかく今は、今の職場で奪われ、かすめ取られたことからの虚しさをどう克服すればよいのか、毎日恨みや憤りとの葛藤で疲れています。 このような状況で、どうしたら前向きな気持ちを取り戻し、虚しさを克服できるでしょうか。
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34531)
サラリーマンというか、社会人をやっていると一度や二度はそういう目に遭うことはありますね。 でもね、世の中いいやつばかりじゃないのです。それが社会の現実です。 小泉純一郎という政治家がいました。彼が総理大臣をしているとき、武部勤氏はものすごい忠誠心で小泉政権を支えました。武部氏は小泉政権を支えた主要な柱のひとつだったことは間違いないと思います。しかしその後自民党にものすごい逆風が吹いて武部勤氏が落選しそうになりました。そのとき、小泉氏は自分を徹底的に支えてくれた忠臣にどう報いたか。見事に見捨てました。 また小泉氏の元には小泉チルドレンと呼ばれる若手議員も多くいました。彼らも逆風の状況にあったとき、小泉氏はチルドレンを集めて「使い捨てにされることを、恐れるな!」と言い放ちました。これはつまり「俺をダシに使って生き残ろうとしても助けないからな」というのを個別にいうのは面倒だから一堂に集めさせて宣言したわけです。 怖ろしい人だな、と思いました。しかしそうやって他人を犠牲にすることをちっとも恐れないせいで小泉純一郎氏は自分の政治家としての名声は守り抜いたわけです。 世間で「仕事ができる」っていわれる人たちには、そういう人は結構多いです。そうやって他人を利用できるからこそのし上がれたという部分もあると思います。哀しいけれど、世の中綺麗ごとでは済まないのですね。 とても厳しいことをいいますが、自分の身は自分で守らないといけないとも思います。今置かれている環境はとても良いそうですが、それとても「周囲にいい人がいないといけない」という他人頼みのところはありますよね。 私も昔、土壇場で上司に裏切られたことがあります。ここぞって場面で上司は自己保身に走ったのです。そのときはものすごく腹が立ちました。俺を裏切りやがってって。 でも、しばらくたって冷静になったときに思ったのです。考えてみたら、上司には奥さんもまだ小学生でこれからお金もかかる子供もいました。彼は家族を路頭に迷わせるわけにはいきません。だいたい私と一緒に沈んだところで私は独身男性です。家族をとるか、独身男性の部下をとるか。迷うことではないでしょう。彼には、守らなければならないものがあるのです。 しかし一方で、だからといってまんまと利用されるだけではこちらもたまったものではありません。自分だけこっそり救命胴衣をつけるとか、救命セットをどこかに隠しておくということだって必要だと思います。 「私はこれだけ誠意を尽くしたんだから、それに応えてくれるのは当然だ」と思うのは、ちょっと繊細すぎるという部分もなくはないと思います。 フィリップ・マーロウの言葉に「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく価値がない」というのがあって、日本人はだいたい後半の部分を好みますが、重要なのはむしろ前半の部分ではないかな、と思うのですよね。
- carax1251
- ベストアンサー率28% (4/14)
連投ですいません。 返信ありがとうございます。 私の個人的意見の成長についてですが、 昔から同じようなことの繰り返しです。中学校でも、大学でも。 そして社会に出てからも。 とおっしゃっておりましたが、 私が思うに質問者様は、社会的評価に重きを置いていると思われます。 誰かに認められたいというのが強く感じます。 今回の件も上司に認められたいという意思を感じます。 アドラーという心理学で有名な方の本で、 嫌われる勇気という本をぜひ読んでいただきたいのですが、 誰かに認められるからとか、誰かに褒められるからということで行動すると、 質問者様は、誰かのために生きることになります。 その誰かの期待に答えることが価値があると思ってしまいます。 自分が本当にやりたいことを見失ってしまいます。 私が思う成長ですが、 承認欲求を捨てるということです。 そして、本当の自分を見つけることです。 それに今回の件では、気づかせてもらえたのではないでしょうか。 よくわからない文になってしまいましたが、 アドラーの嫌われる勇気はぜひ読んでみてください。 また、質問者様の文章はとても上手いと思います。 そういう仕事をされているのでしょうか? 文章を書くのがうまいですね!
お礼
再びのご回答ありがとうございます。 職業は、教育公務員です。 と告げれば、嫌われる勇気のこと、承認欲求のこと、社会正義のことについて、 私が乗り越えるべきことの難しさを理解していただけるのではないかとご期待致したいと思います。 他の職業と違うからこそ、プロ意識を高く持つほどに、「自分にとって大切なこと」は、他者との関わりになっていきます。そして、子どもたちに思いやりの精神を伝えることになります。 文章について、お褒めをいただきありがとうございます。常に「わかりやすい説明」を心がけるように努めています。 難しい職種だからこそ、めげない強さ、無限のタフネスを身につけたい。だからこそ、今の無気力状態を克服して強くなりたいと感じています。 どんなに苦しいことがあっても、自己浄化をして、立ち上がらなければならないんです。 そう思ったので、克服する方法が何か一つでも見つかればと思って、ここでご相談させていただきました。 世の中の厳しさを自ら受け止めつつ、温かくも厳しい愛のある指導をする姿勢を貫くのは、決して容易なものではありません…。 自分の社会的利潤のために働いているわけではない仕事で、守らなければならないものがある中での職場のこの状況は、「虚しさ」以外の何者でもありませんでした。自分の全てが奪い尽くされる思いでした。 それでも私は、自分が他者に同じことをしてしまっては、子どもたちに恥じることになると思い、耐えるしかありませんでした。 すみません、これ以上続きを書くことは心情的に控えたいと思います。 誠意あるご回答ありがとうございました。
- max3800
- ベストアンサー率21% (16/74)
同じような経験、私にもあります。 いいように使われて、自分のミスや問題があったら責任は私。 しかも、私が知らないうちに上司に報告して自分の意見を刷り込み。 彼が勝手なことばかりして、足を引っ張っていると・・・ 上司に呼ばれて、そこですべてを知る。 私には反論する余地もなし。 上司も、せめて両方の話を聞いて判断してくれればいいのですが・・・ 私は、あきらめてますけど・・・ ただ、そのような人たちは言った言わないの水掛け論に持ち込むことが得意なので、 指示をなるべく記録(録音)しておこうと考えてます。 何かあったら、それを証拠にしようかと・・・ でも、一番の対処法は「なるべく関わらない」だと思います。 存在が気になるから、イライラしてしまう。 ですから、存在しないものとして相手にしない。 幸い、現在は別のチームとして仕事されているわけですから、そのチームで彼らよりも大きな成果を出してやろうと気持ちを切り替えてみてはいかがでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 はい、今のチームは私を信頼してくれていて、とてもよい雰囲気です。今までの不運を全部埋めてくれるかのような幸運期と思っていて、周りからの評価も上昇の一方です。 ですが、来年度には異動が決まっていて、今のチームでの仕事もあと数ヶ月です…。 せっかくいいチームに入れたのにその途端に異動だし、異動先でも結局自分は損な役回りになるのかな、など考えはじめると、「他の人はこんなに苦労してないのになんで私の巡り合わせだけこんなに悪いの?」と、天を恨みたくなります…。 新しい赴任先でもよい運気が巡ってくることを祈るしかないですよね。 ご回答者様のその事例も酷いですね…。とても陰湿で、唖然とします。 皆さんそんなご経験をされながらもきちんと毎日生活を続けられていますね。 私も独りじゃないんですね! ありがとうございます。
- carax1251
- ベストアンサー率28% (4/14)
そのような経験はよくわかります。 私もそのような経験をしました。 質問者様は、上司に恵まれていなかったのですね。 そのような組織にいると、出来る人は潰されてしまいます。 不条理なことが社会では起きますが、自分よりできる人を上司が潰したり、 仕事を奪ったりします。 上司自身が無能だと思われ、上司の存在が疑われるからです。 質問者様は会社に奪われたと考えていらっしゃいますが、 質問者様を評価してくれる人は、周りに沢山いらっしゃると思います。 そのような上司の利己的な評価は、気にしないほうがいいと思います。 そのような上司に正しい評価はできないからです。 前向きな気持ちになるには、 そのような障害が自分を成長させてくれると思うしかないかもです。
お礼
ありがとうございます。 「成長」ですか…。 昔から同じようなことの繰り返しです。中学校でも、大学でも。 そして社会に出てからも。 その度に、耐えられることの規模、社会的責任の幅は広がってきましたが、同じ状況に追い込まれることが続いてきたので、 いよいよ「生まれもっての人運の悪さ」の問題なのではないかと、希望を持てなくなっています…。 同じ経験をあと数回経験でもすれば、いくらやられても気にならなくなったり、完全にやり過ごすことができるようになるのでしょうか…。 その「成長」によって未来の自分が少しでも楽になることがわかるならば、確かにそれは励みになりますが…。 ちなみに、その職場の状況を別の人に伝えると、はじめは「あなたの方に問題があるんじゃない?」「考えすぎじゃない?」と言われたりして余計つらくなりますが(イジメの場面でよくある「あなたの問題でしょ?」パターンですよ。これのせいで学校のイジメで自殺する生徒が絶えないんですが)、時間が経つに連れ周り(外側から見ている人たち)も、やはり私に問題はなく、私の周囲がおかしいのだと理解してくれるに至ります。そういう状況ということです。 成長ってどういうものなのでしょう。忍耐力でしょうか。気にしないでいられる精神でしょうか。うまくかわせるようになる話術でしょうか…。陽気な性格になれるということでしょうか…。 疲れ果ててしまっていて、とてもそのように「平気になれる自分」はイメージできません。 自分が成長できたとしても、また同じことが永遠と私には起こるのでは…?と思うと…。 私は、現世においてはそんなに行いが悪いとは思いません。むしろ行いは善い方と思っています。なのにこの人運の悪さは、前世の私は、他人によほど酷いことをしたのでしょうか…。そんなことまで考えてしまいます。 励ましていただいたのにネガティブなことを申してごめんなさい。私に悪い行いがあるとすれば、こんなふうに自分の気持ちに決着がつかない時に、誰に励まされてもなかなか気分を立て直せない意固地さです。 もう、色々、本当に納得できなくて、悲しくて悔しくて仕方ありません…。ごめんなさい。 でも、「わかるよ」って言っていただけて、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご回答者様のご回答内容にある理不尽さは、ある種当たり前と思います。 小泉純一郎の話ですが、むしろ政治家として素晴らしい発言にも思えます。「所詮我々は国民の使い捨てだ」「そこで本気で何かをしたいなら生き残るしか方法はないだろう」というその言葉は、政治家としての姿勢としてはむしろ模範的だとすら思いました。美しい美学です。 また、ご回答者様の元上司の方に関しても、まだ理解のできる理不尽さです。 私の職種は公務員です。 教育公務員としての美学すら持たない、ただ単に「面倒くさいからやりたくない」と仕事を他人に押しつけていじめてくるような行為はいかがなものかと当然思います。公務員の傲りか、単に胡座をかいているだけのようにしか思えません。 自分が苦しい思いをする状況から身を守れば、今度はその歪みが子どもたちにしわ寄せとなって表れてしまう。 必死に食い止めようとしただけです。 評価を得たいわけではありません。ただ、いち早く立ち直りたいだけです。弱さがあると漬け込まれます。弱い人間は、他者に不安を与えます。 きちんと自分を常に安定させて、しっかりと子どもたちを支えられるようでありたいだけです。 私が得たいのは周りの評価ではなく、己の精神の安定です。強靱な精神力です。決してめげることのない心の底からの明るさです。 「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく価値がない」という言葉の前半と後半は、決して相反する言葉でもなく、矛盾もしないと思います。この言葉は単に「強靱な精神」を指しているのだと思います。 私も、これになりたいと切に思います。どんなことがあっても決してめげない強さがほしいです。でも、人間だから、全能ではないから、少し疲れてしまったんです…。 何か考え方を変えることができたならと願うのですが、無情にも枯渇させられることばかりで、疲労困憊です。 世の中は綺麗事では済みません。しかし、綺麗事の部分がなければ、障害を持つ人や何らかの困難を持つ人が共に生きていく社会にはなりません。それを教えるのが私の仕事です。「綺麗事じゃ済まない」と切り捨てないでください。お願いします。 ご回答ありがとうございました。