- ベストアンサー
格差
我々は、格差を「是」とするのか「非」とするのかどちらなのでしょう。 格差がなく、はなからエリート街道を諦めてる層がいなければ、受験競争や就職競争は激化します。 最初から格差があるのと、総シャッフルするのとでは、もしかすると前者の方が各自が受け入れ易いのではないでしょうか。 アメリカに格差があり、貧しい層が志願するから徴兵制が必要ない。 是でも非でもどちらでも良いですが、いたずらに万人に平等意識を与えると、落ちた時に落胆が激しい。 最初から道が断たれていれば、その人は幸福なのかもしれません。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
いわゆる格差の問題には日本国内に限定しても、「機会の格差」と「結果の格差」、「世代間の格差」、「男女の格差」、「地域間の格差」など多種多様の内容があり、大雑把に「是か非か」を論じることは不可能というより意味が乏しいのではないでしょうか。 >格差がなく、はなからエリート街道を諦めてる層がいなければ、受験競争や就職競争は激化します。最初から格差があるのと、総シャッフルするのとでは、もしかすると前者の方が各自が受け入れ易いのではないでしょうか。 これは必ずしもそうではないでしょう。例えばお隣の韓国には日本以上に過酷な受験競争や就職競争があることはよく知られていますが、格差がないどころかOECD加盟国の中でも例えば所得格差(とりわけ高齢者の)が拡大しつつある国です。格差が大きければ「はなからエリート層を諦める」かといえば、人間の心理としてそうはならず、格差が大きければそれだけ「何とかエリート層やそれに近い階層に上昇しよう」と考えて競争が激化しているのです。 完全な階層社会になっていて、人の職業はすべて世襲で生まれたときに決まり一切の変更は認められないような職業選択の自由が全くない国であれば話は別でしょうけれど、そのような国は存在しません。 江戸時代には身分制度があり、一見すると上記の社会であったかのような印象を受けますが、それでも養子そのほかのバイパスというか抜け道が存在し、例えば能力次第で下級武士から幕府の高級官僚になった例や、貧しい奉公人から大店の婿養子となりあとを継いだ例などがあります。こうした例は決して多いとは言えないでしょけれど、逆に言えばそれだけ上昇志向の人の間では競争が激しかったということにもなります。どんな社会にも現在の境遇から這い上がろうとする人は存在して、その志を押し止めることは不可能だということでもあります。
その他の回答 (3)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
格差を「是」とするのか「非」とするのかどちらなのでしょう。 ↑ 格差があるから頑張るのです。 格差が無い社会は、誰も頑張らなくなります。 社会主義がその代表です。 格差の有無が問題ではなく、それが著しいか、 固定化していないか、が重要なのです。 格差がなく、はなからエリート街道を諦めてる層がいなければ、 受験競争や就職競争は激化します。 ↑ これは鋭いですね。 同意です。 アメリカに格差があり、貧しい層が志願するから徴兵制が必要ない。 ↑ これも同意です。 不法移民、有色人種、プアホワイトなどがいるから 米国は戦争が出来るのです。 そういう層が少ない日本は、戦争が出来る国なの でしょうか。 是でも非でもどちらでも良いですが、いたずらに万人に 平等意識を与えると、落ちた時に落胆が激しい。 ↑ 夢や希望、目的がないと罪悪であるかの ような最近の風潮はどうでしょう。 そんなモノなど無くても、人間はやっていけます。 有れば結構ですが、無理やり創るものでもないでしょう。 最初から道が断たれていれば、その人は幸福なのかもしれません。 ↑ そうなんですよ。 江戸時代などは、子供の頃から進む道は決まって いましたから、悩むこともありません。 今みたいに、目的を探して、一生を終える、なんて アホみたいな人生を送るおそれもない訳です。 職人なら子供の頃から修行していますので、 優れた作品を生み出せるわけです。 皆、その道のプロになれました。 フリーターなんてことも無いのです。
お礼
ありがとうございます。 つまり基本的に現状でオッケーという事ですね。しかし、プアホワイトに戦争をやらせるのが是でしょうか?。日本はアメリカに金を払ってるので、彼らの命を間接的に金で買ってる事になります。 自分や自分の息子がそういう所に生まれる可能性もあっても是でしょうか。
- kimamaoyaji
- ベストアンサー率26% (2801/10379)
格差をなくしたら、人間は進化しません、出来る人も、出来ない人も、やる気があって頑張っている人も、全くやる気が無く遊んでいる人も、同じ生活水準を保証されたら、頑張っている人はやる気を無くし、遊んでいる人は遊んでいるままです。 平等の履き違え、平等とは能力や労働力に対する対価が平等という事です。 仕事が出来るのに遊んでいるのは対価ゼロです、障害があっても頑張っている人は努力に見合った対価を得る権利はありますし、才能と言う能力で対価の格差が大きい人も才能と言う掛け算がされているわけですから年収うん億円でも、平等です(野球選手や社長とか)。 それがあるから夢が追える訳です。 たとえばサラリーマンでも売上が大き良い、とか、会社にとって有用な資格を持っているとか、交渉力が高い、開発力が優れているなどはそれに見合った掛け率なのは当然でそれがなければ、大変な思いは誰もしません。
お礼
ありがとうございます。 野球とかサラリーマンとかそうしたスタートラインにすら立てない貧困層が世界にはたくさんいます。 満足な教育を受けなければ、努力うんぬんの話以前に競争力が身についていません。 難民や飢餓国、テロ国、独裁国と色々ありますし、アメリカを例に取ると中西部では貧しい層が教育もなく、仕方なくトランプに投票するような羽目に陥っています。 このままだと今と変わらず、エリート家庭からエリート子どもが育てられるというスパイラルとなりますが、そのままでいいか、貧困層にもチャンスを平等とすべきか。そうすると、競争が激しくなるし、負けた時に落胆が大きいし、みなが戦争に行くことになるけどいいのかな?って疑問です。
- 中京区 桑原町(@l4330)
- ベストアンサー率22% (4373/19606)
格差は是正されなければならないが、無くなりはしない。 格差は永遠です 資産家トップは、ビル・ゲイツの792億ドル 二位はメキシコのカルロス・スリム・エル―で771億ドル 20億ドル(2000億円)もの格差がある。 ホームレスでも寒さを凌ぐコートを着てる人と、コートが無くブレザーで我慢してる人がいる、コレも格差
お礼
ありがとうございます。 なぜ永遠なのでしょうか?。
お礼
ありがとうございます。 格差は様々な作用に因果しますので極地論をしても意味がないと思います。大雑把なのではなく総合的に話す必要があると考えます。 韓国の例は、ポイントが外れてると思うのですが、受験戦争に参加できる時点でその人は恵まれており、親がいないとか、ホワイトプアな場合は、そもそも教育面でスタートラインに立てないのです。その人たちが参加してない点で本来の「全員参加」になってないとお話ししております。参加のチャンスがあるなら諦めずに当然参加するでしょう。 江戸時代の話は興味深いですね。その通りで、むしろ、かつての方が有能な人にチャンスが巡る真の意味での機会があったんだと思います。 今の世が言ってる「平等」は、国家レベルで優秀な人材を救う意味とは離れ、猫も杓子も大卒的な平等で、アホが大学で遊ぶ無駄を大量に産んでいます。 どんなに貧しい環境でもそれを乗り越えて登りつめる人は一握りいると思います。しかし、それも、やるかやらんかは紙一重。やはり、江戸時代のように神童の噂を誰かが救済する柔軟な仕組みが必要だと思います。 私が憂うのは、電通を代表とする不毛な酷使労働です。競争原理を肯定すれば、誰にも歯止めはかけられない。それをやめて、国家レベル、世界レベルで、あるべき格差、あるべき競争の姿をイメージすべきかと思います。 当然、世界的な難民、人身売買など非人道的な事実は解消したいですが、では、全員に機会均等になった場合、誰が戦争に行くのか、誰が便所掃除をするのか、なぞと思いつつ。