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聖徳太子の読み

聖徳太子の読みが「しょうとくたいし」であると、どうして分かったのか教えてください。 確か、当時はひらがなもカタカナもなかったと思います。 それにもかかわらず、聖徳太子やその他(例えば小野妹子)の人物の名前の読みがどうしてわかるのでしょうか? ビリギャルの本を読んでいたら、ビリギャルが「せいとくたこ」と読んでいたシーンで、不思議に思いました。

みんなの回答

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.8

takedon3 さん、こんばんは。 もともと聖徳太子トいうのは諡ですので、彼が在世中は使いませんでした。もともと母親が厩で産気づいたので、厩戸王子といわれ、推古帝の摂政になった段階で厩戸皇太子となりました。彼の生前の名前はこんなところかと思います。 彼をこんなに有名にしたのは8世紀から始まる日本仏教の中心人物として日本書紀から成人化が図られたらしいことでしょうか?その後からたくさんの名前ができました。一番有名なのが、7世紀末もう太子の死から50年たった太子の系譜をたどった「上宮聖徳法皇定説」がその由来の一つと思われます。 聖徳太子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90#.E5.A4.AA.E5.AD.90.E4.BF.A1.E4.BB.B0

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.7

>聖徳太子の読みが「しょうとくたいし」であると、どうして分かったのか教えてください。 聖徳太子は、全国各地の寺院で祀られていますよね。 本家本元の「法隆寺」での読みが全国に伝わったのでしようね。 ですから「法隆寺坊さんの代々の口伝」です。^^; >聖徳太子やその他(例えば小野妹子)の人物の名前の読みがどうしてわかるのでしょうか? 先に書いた口伝と「漢字の音読み」です。 宗教関係者のヴぁ愛は、「関係者の口伝」で分かりますよね。 が、他の固有名詞(地名・名前)は古代は「漢字の音読み」です。 古事記には「訓読みで書くと、意味が遭わない。音読みで書くと文が長くなる」との記載があります。 例えば、「八雲」なんか色んな漢字で「ヤクモ」を書いています。 古事記では、「夜久毛」 日本書紀では、「夜句茂」 どちらも「ヤクモ」と読みますよね。^^; 戦国時代の武将の手紙でも、地名は漢字の音読みで書いている場合が多いのです。 人名も、基本的に同じです。 最終的には、日本文化の研究が進み「統一した漢字表記が固定」したのですね。 寺子屋での教育(読み・書き・そろばん)で、一般的な読み方が固定・普及しました。

回答No.6

分かったと言うより後世の人がそういう風に呼び名をつけただけの話 聖徳太子が果たして正しい読み方で何と読むのかは誰も知らないと思います もしかすると せいとく たこ かも知れませんし 今の時代の人が呼びやすいように しょうとくたいし と呼んでるだけの話です

回答No.5

 聖徳太子というのは姓名でなく、死語に贈られた称号です。○○天皇とか、××命(ミコト)のように、または仏教の戒名のような名前で、生前に使った姓名とは違います。  しかも最近の研究では聖徳太子という人物は存在しないという学説が唱え慣られています。つまり、後世になって別の人物を勝手に「聖徳太子」と名付けたのです。このように考えれば、読み違いは起こりようがありません。

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1056/1648)
回答No.4

聖徳太子というのは親などにつけられたふつうの人名ではなく、死後に贈られた称号ですから、「太子」を「たこ」とか「ふとこ」とか読むことはありえません。皇太子の「太子」で「たいし」と読むのは自明です。 「聖徳」は漢音の「せいとく」と呉音の「しょうとく」二つの読み方がありますが、儒教的な意味の「聖徳」なら「せいとく」、仏教的な意味の「聖徳」なら「しょうとく」と読むことになります。仏教用語は呉音で読むのが古くからの日本の慣わしです。聖徳太子は、四天王寺・法隆寺建立や三経義疏など仏教との関わりでとくに有名な人ですから、呉音の「しょうとく」で読むのは自明です。

noname#255857
noname#255857
回答No.3

生きてる時は、そんな名前で呼ばれてなかったぽいですね。 平安時代あたりに出来た呼び名のようですけど、 ネットもテレビもないので、統一されず好き勝手に 読んでたのではないかと。 走行しているうちにひらがなやカタカナがメジャーになってきた頃に、 口伝で一番メジャーだった言い方で固定、後世に残る書籍化しただけじゃないかと。 発言力のある、言い出しっぺが居なかったら、厩戸皇子のまま紙幣になったかもしれませんね。

  • ggggzzzz
  • ベストアンサー率8% (22/245)
回答No.2

法王帝説がそのオリジンだと思っておりました

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (839/4401)
回答No.1

文字もなかった頃、人伝えで伝言ゲームのように伝えられた時代もありますし、 韓国や中国の人をその人の名前を日本流に読み替えていた時代もありました。 80代の人の免許ではふりがながすべて音読みになっていた時代もありました。 金大中をきんだいちゅうと読んでいましたよね。 イギリスと読んでいる国は日本だけですし、色々あるんじゃないの?