大学では大雑把な哲学(この場合は西哲)の流れを把握します。総論的知識(教養)程度です。もちろん哲学科に入る場合は専門的な勉強になるのでここでは答えられません。あくまでも一般教養科目としての哲学について述べます。
一般に哲学をその探究の「対象」でもって次の三つに分類できます。
A.認識論(知識論)・・・ テーマ:「知識」とはなにか? 「知識」をいかに得るか?
B.存在論(形而上学)・・・ テーマ:「存在一般」の意味や構造はいかなるものか?
C.価値論(倫理学)・・・ テーマ:「善」とはなにか? なにが「善」か?
ちなみにパクリの哲学というものもあってよいのではないかと思いつつ、今、これを書いています。はっきり言ってコレ、他人が他人の問いに対して書いた答えのパクリです。でも物事は多かれ少なかれパクリ的要素ありでしょう。卒論だってネットでパッチワークしてこさえる学生の多いこと、多いこと。でもこのIT時代に、それって防げませんよね。
さて、認識出来ないことは存在しないと考えるのは「観念論」で、認識出来なくても有るものは有るとするのが「実在論」です。
アインシュタインは量子論を認めませんでしたので、「あんた、誰も月を見てないからって月が無いとはならんだろう」みたいなことを言ったそうです。
合理論と経験論は、主として認識論における立場の違い。 実念論と唯名論は、中世普遍論争における立場の違い。そのため、認識論と存在論の両方にまたがる問題領域における立場の違いです。その他の分類の仕方もあります。
たとえば、探究の「仕方」という観点からみると、現在の哲学界は、分析哲学と現象学の二大潮流が存在します。