昭和天皇は、なぜA級戦犯の靖国合祀に不快感?
「昭和天皇がA級戦犯との合祀が原因で、靖国に参拝しなくなった」というニュースについてお尋ねします。
右よりな考え方をすれば「A級戦犯だって国のために戦ったのだから、合祀は当然。参拝も当然」となりますが、昭和天皇はそのような考え方では無かったのですか?
昭和天皇は第二次世界大戦を軍部と進めましたが、戦後はその戦争が「間違いだった」と思っていたのでしょうか?
ウォーギルトプログラムの影響ではないですよね?
もしくは、神教との兼ね合いの問題なのでしょうか?
戦争で世界に犠牲者を出してしまったことは反省されていても、A級戦犯に対してそのような思いがあるとは意外に感じてしまいました。
どのような背景があるのでしょうか?
なお勝手ではございますが、回答者様の個人的な戦争への評価やイデオロギーについての記載はお避けいただき、あくまで、昭和天皇の戦前から戦後の戦争観、歴史観、軍司令部・A級戦犯への思いの変化についてのご解答をお願い致します。
お礼
福田康夫の父ちゃんが首相の時みたいですね。そうですよね。いくら宗教法人が自由でも、きっと、政権にお伺い立てて、内定もらっていたのでしょうね。