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あることへの執着心を捨てるために必要な事

20年付き合ってきたのあることに対する執着を捨てられず苦しんでいます それは夢や目標みたいなもので、ある時から譲れないものになり、今はではそれがなくては自分ではない、と思っています それをしない日はないし、それが出来ない日でも常に頭の中にありました それは私の生まれて来た意味だと信じていましたし、それを向上発展させ、探求していくこと以外の人生は皆空虚とさえ思っていました どうして手放さなければならないのかというと、それを続けると持病が悪化し、普通の生活を送ることが困難になる可能性があるからです またそれの持つ依存的魔力によって日常生活や仕事を疎かにしがちにもなっていました 突然発作の起きるタイプの緑内障でを患っており、いつ発作が起きるか分からない状態です 発作が起きなくとも視野が欠け、徐々に視力も落ちています 昨年夏、幾度目かの緑内障発作に見舞われ、下手をすれば失明するかもしれない状態にありながらも、私はそれのことばかり考えていました 10カ月ほどそれが出来ない状態にありましたが、3月の終わりに再開 しかし、病気の悪化が恐ろしくもあり、また状態も良くなく、またも繰り返すのかもしれないと行き場のない閉塞感に絶望しています 勿論、それを止めたからと言って持病が悪化しないわけではありません ただそれを続けていく体力や健康状態が保てず、また地道に積み上げていく作業であるそれの性質上、一日のブランクもあってはならないのです それを続けて自分なりの願いを叶えたい、でも健康と天秤に掛けた時、揺らぎました そして最近になり、それを卒業するという選択肢が浮上してきました 昨年の発作時では視野が白茶けて頭痛や眼痛がする中、そうであってもそれを続けようとしていました 簡単にやめることに出来ない 私の中では強烈な執着心であり、それを失えば私は何もなくなってしまうと、きっと石に齧りつこうとするでしょう しかしそれから卒業することで人生が開けていくような気もします しかしそれがなければ私は焦燥感と虚しさで発狂してしまうかもしれません 今は、こうしたディレンマの板挟みに喘ぎ苦しんでいます もしやめたなら、それに関わる全てを処分し、まったく違った生活をするのだと思います 私の中でそれはいつしか麻薬のようになっているのかもしれません こうした執着心をどう処理していったらいいでしょうか それを多用し、また長文駄文読みにくい感じですみません

みんなの回答

  • ts0472
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回答No.3

私も在宅介護ストレスからくると思われる 視野欠け 欠損の症状を持っていますが 介護の場から離れて眼科受診しても症状が現われない 精神科では原因を取り除く事に集中 しかし在宅介護から離れる事はできない 親の寿命を待つしか無い 自己治療のようですが 専門外来への受診はされていないのでしょうか? 「卒業することで人生が開けていくような気もします」は勝手な思い込みでしか無いように思います 保証は無い 治療方法も我流でしか無いと思います 精神的な部分からくる症状で自己満足が解決する治療法であれば生活習慣を変える事が悪い結果に繋がる可能性も考慮する必要があると思います 似た症状を持つ者としては 危険な思い込みのように感じます 症状を起こす原因の追究を優先された方が良いように思います 原因を絶つか 継続するかの二択と感じます

回答No.2

人は夢中になるものがないと、生活にハリがなくなります。 でも、夢中になりすぎると、生活を壊したり、体を悪くする場合もあります。 が、しかし、病気になるほど、熱心にコトにあたったということは、 あなたの人生の中で、大きな勲章を得たと同じです。 卒業という程度の言葉でお茶を濁す必要はありません。 1つの到達地点ですから、達成感に満たされるべきです。 あなたが、今、何かに満たされない気持ちになっているとすれば、それを 認めてくれる人や理解してくれる人がいないことだと思います。 世の中には、「ビョーキになるまで、やっちゃたよ。」と笑いながら言う人もいます。 「依存症になるまでやっちゃったよ。」と悩みながら言う人もいます。 そういう人に対して、「無茶してバカだなぁ」 「加減ってものがわからないのかよ」と言う人もいます。 〇〇するな、〇〇するな・・・注意や否定ばかり言われるようになると、 気分が萎えます。暗くなってしまいます。 そういう人たちのことを、私は、無茶して、ばかだなとは思いません。 そう、思う人は、真剣にアル物事と対峙したことはない人たちだけです。 何かに熱中した人なら、あなたの気持ちや症状を遠く理解することが できますし、共感もします。 依存しすぎるような人たちは、得てして、いい人すぎるタイプが多いです。 恋愛にたとえます。 合コンで知り合って、メールしあって、プレゼントしあって・・・デート。 その後メールがこないだの、返事がこないだの・・色々あります。 恋愛ゲームのようなものです。 が、しかし、その昔は「心中」というものもありました。 近松門左衛門の世界です。 失恋して、自殺することは、いけませんが、そこまで思い詰めたからこそ 小説が生まれるのです。 「卒業」ではなく、あなたはそのことと「心中」したのです。 この世では言い表す言葉がないくらいの、境地に達したからこそ、 悩んでいますが、本懐を遂げたわけです。 そういうアナタだからこそ、新しく生まれ変わることができるのだと思います。 離れがたい、とのことには、墓標をたてるような気持ちで、整理、区切りを つければいいと思います。 私は、もしかしたら、周囲の無理解をよそに、あなたが、体を壊すほど、 誠心誠意、20年間取り組んだことに対して敬意を表せずにはいられません。 今後は、「心中」ではなく、「ゲーム」を楽しむようにして頂ければと 思います。

回答No.1

貴方様の質問は他人では解決出来ないし、無意味な回答になると思います。 それは、あなた自身が自分自身で結論を持っているからです。 自分の意志で行動されるのが一番の解決策ではないでしょうか?