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公開処刑
西洋では娯楽だったそうですが、日本の時代劇でもギャラリーが集まっています。事実だったのでしょうか。そうだとすれば見せしめのために無理やり見させられていたのでしょうか、それとも西洋と同じように娯楽だったのでしょうか。
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>日本の時代劇でもギャラリーが集まっています。事実だったのでしょうか。 事実ですよ。 ただ、死刑すべてが公開ではありません。 江戸時代には、死刑には次の7刑が存在しました。 1.下手人。牢屋敷内の処刑場で斬首。遺体は、遺族関係者に渡す。 1.斬首。牢屋敷内の処刑場で斬首。遺体は、試し切りの為に、遺族関係者に渡さない。 ここまでは、処刑は非公開です。 1.獄門。処刑場で晒される。 1.火あぶり。処刑場で晒される。 1.磔。処刑場で晒される。 1.のこぎり曳。処刑場近くの道路に(首だけをだして)埋められて通行人が首を曳く。 ここまでが、公開処刑です。 >見せしめのために無理やり見させられていたのでしょうか 無理やりでは、ありません。 「見るか見ないかは、あなた次第です」 ただ、当時としては「みせしめ」という概念が強かった様ですね。 大塩平八郎の乱では、与力が反乱を起こしていますよね。 大塩平八郎は鎮圧されて死亡しますが、幕府は「遺体を探し出して、磔の刑」に処しています。 「お上に逆らうと、どうなるか!」との意味合いです。 また、異教徒(キリスト教徒)処刑でも同様です。 異教徒処刑の場合は、多くが火あぶりです。 江戸初期までは、罪人の体の周りに藁などを積み上げて火をつけた様ですね。 それはもう、この世の地獄模様だったと記録にありますね。 その後は、異教徒の処刑に関しては形式的な火あぶりになっています。 信者の体から離れた所に藁などを積み上げて火を付ける。 信者を縛っている縄は、緩くしている。 つまり、逃げようとすれば逃げる事が出来る様に配慮したのです。 記録では、信者は誰も逃げなかったとの事です。 話がそれましたが、公開処刑は「抑止効果を狙った」のでしようね。 百姓一揆の首謀者は、確実に公開処刑ですから・・・。
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- あずき なな(@azuki-7)
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公開処刑があったのは事実です 「○月○日 ○の刻より ○○の処刑を執り行う」と言う立て札が街に立つとみんなが集まって来て、それで庶民は処刑の日時を知って見に行くのです 公開処刑で1番有名なのは 「市中引き回しの上 打ち首獄門」の刑です
娯楽だったと言うと語弊があるでしょう。 見せしめと言う方が当たっているかと思います。 見せしめの効果があるということは見物人が多かったということです。 西洋史で娯楽だったというのは、ローマ時代に戦闘士という人の殺し合いを見世物にしたことに由来しています。 東西いずれも犯罪者に対して現在のような更生という考え方がありませんでした。 江戸時代の伝馬町の牢屋も最終的判決が降りる前の現在で言えば留置所でした。 刑罰の施行も一罰百戒という一般人に対する警告でした。 鞭打ち、磔、火あぶりなど全て公開でした。 男女の心中未遂などの場合には日本橋など人通りの多い場所へ縛りつけて晒し者にしました。 みんながジロジロ見て通り過ぎていきました。 女性だけが死んだ場合には全裸にして遺体を晒しましたが、さすがに風紀上好ましくないということで着衣に変えました。 切腹という処刑方法は公開処刑を儀式化したものです。 見物人は限られていましたが公開であったことに変わりはありません。 西洋では古くはキリストが十字架に架けられたのも公開の場で行われました。 アメリカでも開拓時代には馬泥棒など重犯罪者は公開の場で絞首されました。 フランス革命でマリー・アントワネットがギロチンで首を落とされたのも公開でした。 物見高いは世の常人の常で見物を義務付ける必要等はありませんでした。 人間には、隣の不幸は鴨の味などと他人の不幸を喜ぶ癖があります。 現在もISILはこの手法を使っています。 ネットへ首切や射殺の現場映像を掲載しています。 TVでもわざわざ放映して話題になりました。 話題になったということは視聴者が多かったということです。 日本でも日本人の首切映像が流れたことでISILに対する認識が浸透しました。 ISILは労せずに日本という遠い国で自分達の主張を浸透させるという目的を達したことになります。 結果としてTV局はISILの片棒を担いだことになりました。 江戸時代にもこの更生という考え方をした人がいて施設がつくられました。 TVの時代劇などで有名な鬼平こと長谷川平蔵です。 現在は高層マンション街となっている石川島に人足寄場という施設を作りました。 ここへ軽犯罪者を収容して細工物などの技術を収得させました。 明治時代には刑務所に使われていました。
- takuranke
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>そうだとすれば見せしめのために無理やり見させられていたのでしょうか、 自発的に集まっていたので、刑場見物は娯楽としての一面はあったようです、 子供も自発的に見物に行っていたという記録があるようです。 ただ、死刑を直接見ることができたのが磔と火罪位。 ちなみに現在日本では死刑の一つですが、江戸時代には死刑の種類が複数ありました。 人を殺した際の理由によったり、放火、身分の違いなど。 ただし斬首など非公開刑であっても、頼めば見物は許可されていたそうです。 死罪(労内で死刑執行されること)も非公開ですが、これは結構見物が多かったらしく、理由は、試し切り(様物:ためしもの)用にされていたため、その技を勉強するためだったそうです。 江戸時代後期から幕末にかけては西洋医学が活発になり、欄学医の見学も増えて行ったようです。 西洋や中国の石打のような庶民参加型の刑罰は無かったみたいですが、 鋸引きというのがあり、実際には鋸で首は切らなかったのですが、横においてあった鋸で実際に切った人が痛そうです(庶民が)、その人がお咎め受けたのかはわかりません。 鋸引きの概要。 90cm四方、深さ75cmくらいの穴晒箱という箱を土中に埋め、この箱に罪人を入れて首が地面から出るようにした上で2晩見せ物として晒した(穴晒といった)。 このときに罪人の首の左右に竹の鋸と鉄の鋸を立てかけておいた。 実際にこの鋸で首を挽くことはなく、穴晒期間が過ぎた後は市中引き回し後に磔。
- eroero4649
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処刑される人というのは、罪人です。現代日本のここでも「人を殺したら死刑にすればいいじゃないですか」とか「罪人はすべて死刑でいいじゃないですか」という人が絶えることはありません。「犯罪をした悪い人ならいくら殺してもいい」と考える人はいつの時代にもいるのです。 ここなんかでも、世の中を震撼させるような事件が起きてその犯人が捕まると「そいつを公開処刑にしろ」っていう質問を立てる人が必ずといっていいほど出てきますし、オウム事件の一連の犯人を公開処刑にするとしたら、賛同する人は意外に多いのではないかなーと思います。
- chiha2525_
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事件などを起こしたりした人なので、いわば”時の人”ですからね。どんなやつか一目見てやろうというのが人でしょう。 今でもニュースと称して、裁判もまだで刑も確定してないのに、逮捕されたってだけで全国にテレビで流され、それを全国の人々が娯楽で見ていますから。
- SPS700
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下記では、日本橋は「晒し場」だったとありますので、「無理矢理見せられていた」ばかりではないかもしれません。 http://homepage2.nifty.com/i-museum/2020essay/20091206/20091206.html
- lions-123
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>公開処刑 西洋では娯楽だったそうですが、日本の時代劇でもギャラリーが集まっています。事実だったのでしょうか。そうだとすれば見せしめのために無理やり見させられていたのでしょうか、それとも西洋と同じように娯楽だったのでしょうか。 ↓ 古今東西 人間の持つ善悪の相矛盾した精神が底流にあり、刑に処す方の狙いと見物する方の心理があると思います。 そして、刑に対する複雑な心理は→個々には混ざり合い絡み合ってケースバイケースであり、個人差が大きいと思います。 ◇執行側:懲罰としての一種、関係者や同調者&観衆への見せしめ、さらし首にも同じような意図が感じられる。 ◇観衆側:好奇心や同情心、娯楽のない時代の興行(見物)的な怖いもの見たさ心理や意味 狭くて情報の少ない時代に多く行われたので、事の顛末をリアルに見る知る見届け手段だった。 さらには、公開処刑や集団リンチや人民裁判等の形式や種類によって差異もあるが・・・ 執行される者の関係者の摘発への囮&おびき寄せの一面や逆に奪還の可能性の機会。 見つかり捕まれば・・・と、結末の残酷さを公開することで警鐘警告になり、逆らえないとのデモンストレーションと恐怖心や無駄な抵抗や棒を抑止するために結末の後悔は→見せしめ&威嚇効果。 また当時の民衆に鬱積された色んな不平不満やフラストレーションのガス抜きを狙っているのだと思います。