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天満宮って神社ですか?

天満宮って神社ですか?

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  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.7

IVFLQZYZDLTC さん、こんばんは。 そうですね。平安時代の貴族で有名な菅原道真が九州の太宰府に流された後、その地で没した後、怨霊になって自分を流した人達に祟ったているというので、その霊を慰めるために建立された神社です。 詳細は下記のURLを参照ください。 天満宮 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE  

IVFLQZYZDLTC
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その他の回答 (6)

  • nananotanu
  • ベストアンサー率31% (714/2263)
回答No.6

趣旨からずれますが、ちょっと薀蓄 太宰府:現在の地名、および、天満宮 大宰府:旧政庁の名称(及び、その延長で昔の地名に用いることも) さいふまいり:太宰府天満宮にお参りすること。お伊勢参りのように人々に広く親しまれていた(特に九州地方(・西日本)で)    ただし、漢字で表記すると「宰府参り」ではなく、「西府参り」。西のお宮にお参りする、ということだったんですね

IVFLQZYZDLTC
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回答No.5

神社です。 仏教が伝わってから、日本の神様は仏教の仏様の化身でこれらは同じものである、という考えで一緒に(というか同一視されて)まつられていました。このことは頭の隅に入れておいてください。 で、神社もいろいろな名前で呼ばれていて、天満宮とか~八幡とか~稲荷とか~社とか、東照宮なんてのもありますね。まぁ好き勝手でOKなので。逆に~神社という名前は少なかったらしいです。 が、明治になって寺と神社を分離して、ついでに名前も~神社に統一ってことになったらしく、この影響で今では~神社と多くがなってるらしいです。で、もう1つこのときに、天皇ゆかりの神社は~宮ってことになって、伊勢神宮やら明治神宮やらがこれです。(伊勢神宮の名前は大昔からですが) なので『~宮というのは天皇ゆかりの神社』みたいな説明も見かけますが、基本的には好き勝手につけてる名前です。 ちなみに最初の天満宮は山口県防府市の防府天満宮と言われていて、菅原公が無くなった翌年には造られはじめ3年後くらいには完成したと伝わっています。桑原桑原で有名な官公のたたりは死後10年くらいしてからですので、他の天満宮が出来たのはその後と思われます。とおりゃんせの童謡の天神様の細道は、たたりの後の天満宮ですね。

IVFLQZYZDLTC
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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.4

>天満宮って神社ですか? 神社ですよ。 日本全国にある天満宮の元締めは、九州大宰府の天満宮です。 元々は、雷・雨をつかさどる神様「火雷天神」を祀っていました。 日本は「農耕民族」ですから、稲作と雨は重要な関心事だったのです。 雨季でも雨が降らないと、天満宮境内などで「雨乞い」を行ったのです。 時代が下って平安時代。 政争に敗れた菅原道真は、都(平安京)から九州・大宰府に左遷となり現地で死去します。 すると、都一帯で「落雷・疫病流行・政敵の突然死・異常気象など」異変が多発。 都の人々は「道真(怨霊)の祟り」として、恐れたのですね。 その結果「道真=雷神」と見做す思想が広まります。 雷神? 「道真=雷神=火雷天神=天神」ですよね。 結局、古くからの地元信仰(火雷天神)と天神信仰が結びつくのです。 菅原道真は学問の神様ですが、天神は(先に書いた通り)雷・雨を司る神様です。 今でも、農業が盛んな地域の天満宮では「雨乞い」が残っています。 残念ながら、都会にある天満宮では雨乞い行事は残っていません。^^; 今では、「天満宮=菅原道真=学問の神様」が主流になっています。 時代と共に、神様も変わるのですね。 余談ですが・・・。 天満宮は「神社」ですから、明治期の廃仏毀釈の嵐には遭遇しませんでした。 奈良・興福寺の僧侶が、一日で春日大社の神職に変身し「興福寺が無住」となる。 香川・金光院松尾寺が一日で廃寺になり、(一人を除いて)僧侶が一日で金刀比羅神社の神職に変身。山・境内・建物すべてが、一日で(寺から)神社に変身!。 天満宮は、こんな悲惨な嵐に巻き込まれる事は無かった様です。

IVFLQZYZDLTC
質問者

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回答ありがとうございました。

回答No.3

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 回答から先に述べますと「神社」です。 菅原道真(みちざね)公を祀っています。 菅原道真は第59代宇多天皇と第60代醍醐天皇に厚い信頼を受けて「右大臣」にまで昇進しました。 しかし、左大臣であった藤原時平(ときひら)が、自分の地位を脅かされると思い、醍醐天皇に「天皇の地位を狙っている」などと讒訴(ざんそ=偽りを申したてること)をしたため、道真は九州の大宰府(現・福岡県)へ左遷されてしまいました。 浄妙院というお寺で謹慎していましたが、失意のまま4年後に死亡してしまいました。 その後、京都では御所(天皇の住まい)に雷が落ちて、御所が全焼したり、日照りが続いたり、逆に長雨が続いたり、疫病が流行したりと災難が立て続けに起きました。 公家たちは、 「これは、道真公の祟りにちがいない」 と、噂になり、道真公を神様とする神社を造ることとしました。 そして、道真公は「雷」を鎮める天の神様として「天神様」とも呼ばれました。 また、天を司る・・・つまり、天に満ち溢れている、と言う意味から「天満宮」ともよばれました。 さらには、道真公は幼少より詩歌などにたけていて、非常に文才能力もあったことから「学問の神様」としても知られるようになりました。 従って、「大宰府天満宮」や「北野天満宮」、あるいは、各地にある「天神様」と呼ばれる神社は、全て菅原道真公をご神体として祀った神社です。

IVFLQZYZDLTC
質問者

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回答ありがとうございました。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.2

「宮」「社」は神様の住居の意味もあります。 八幡宮、出雲大社など神社です。 東照宮も神になった家康をまつった神社です。 仏閣とは違います。

IVFLQZYZDLTC
質問者

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回答ありがとうございました。

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4900/10358)
回答No.1

はい。そうです。 菅原道真(平安時代の貴族)を神様としてまつった神社です。

IVFLQZYZDLTC
質問者

お礼

回答ありがとうございました。