その文章の出典を出していただくと答えが来やすいと思いますが、
1の人の言っているのと同じなのですが、当時の日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」=「生きている限り捕虜になってはいけない。死ぬまで戦って生きてつかまらないようにしないといけない」と決められていましたから、捕虜になったのは戦闘によって気絶していて自爆や決死の行動はできなかったといいわけをする必要があったせいもあるのでしょう。
坂井三郎という海軍の戦闘機乗りが著書「大空のサムライ」の中に、日本軍が優勢であった最初の頃、飛行機の墜落で捕虜となった乗組員が、収容所を日本軍が占領したために部隊に復帰できたのだけれども、上層部はこの兵隊達を恥として帰還できる見込みのうすい作戦を立てて行かせたというエピソードを書かれています。また陸軍がノモンハン戦争で戦線が崩壊して敵中に取り残され、脱出してきた部隊の隊長に自決を命じています。
ほんとに気が弱かったり貧血だったりという話でしたら別ですけれど。
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