神がこの世を創造したとの前提に立った時、この問いへの最終的な回答へいたる経過回答は三つ有ると思います。すなわち
・神は全能ではなく、ゆえに悪は発生する。
・神は全能であり、故に悪を認めている。
・神は悪(とそれが被造物に及ぼす影響)に対して無関心である。
ここで、最も基本的な前提に帰っていただければと思います。
『悪が存在する場所。それは、果たして神の被造物の内側でしょうか?、それとも外側なのでしょうか?。』
・・・ただ唯一、神以外の者が被造物の外から被造物の内側に悪を植え付けた可能性は有ります。しかし、もし神が全能であるならば、植え付けられる可能性を最初から排除する事も可能だったはずです。
ですのでもし全能の存在と呼ばれるものが存在し、それがこの宇宙万物を創出したとするのであれば、その時に同時に「人にとっての悪」もまた、その一部として創出された事だけは疑いないと思います。
しかし、神が悪を創り出した事に対してそれにどの様な意味を持たせるか?。それは他人に迷惑をかけない範囲において個人の、或いはそれぞれの団体の自由なのではないかとも思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >神がこの世を創造したとの前提に立った時、この問いへの最終的な回答へいたる経過回答は三つあると思います。 論点を整理していただき、ありがとうございます。 あなたのいうように神が悪に無関心というのも一つの回答ですが、神が全能かどうかがこの問題のもう一つのポイントですよね。 ・神が全能でなく、故に悪は発生する。 これは論理的に辻褄があっており、人間にも明確で理解しやすい。ただ、神がそれほど簡単に、人間の頭だけで理解できるかという問題もあります。 ・神が全能であり、故に悪を認めている。 これは神が悪を創り出したというこですよね。人間には理解しがたいけれど、これは十分ありえることだと私は思います。神は人間の理解を超えているのであって、あなたがいうようにそれにどのような意味をもたせるか考えるのが信仰なのかもしれません。悪はこの世だけの問題ではなく、来世において罪の償いがあることも考えられます。いずれにせよ悪の問題は難しく一筋縄ではいかないようです。