> これらは適切ないいまわしなのでしょうか?
適切ではありません。
国の政治が「国政」であり、家庭の政治が「家政」です。
具体的に言うと、家庭の収入(月給)を推計したり、そのうちいくらを預金しいくらを教育費に回すか決めたり、例えば米ならどの米屋から買うか服ならどの店から買うかなどを決めたり、休暇にどこへ行くか家族の意見が分かれたときに意見をとりまとめたり、ということをするのが、「家政」です。
今は「家政」という言葉はほとんど使いませんが「国政」という言葉は生きていて、ふつうに使われます。
国政と家政は、規模や対象が違うだけで、やる行動は同じなので、「国政」という言葉の使い方を真似すればいいのです。
「国政の幸せを守ってきた」とは言いません。同様に、「家政の幸せを守ってきた」とも言いません。
「国政を守ってきた」・・・ 国政というのは守るものではないです。「担う(になう)」ものです。あるいは「担当する」「きりもりする」。場合によっては「牛耳ったり」もします(牛耳るというのは、牛耳を執るという中国故事から来た言葉です)。
いま、日本の国政は安倍晋三さんが担っています。牛耳ってはいませんね。
家政も国政同様に、守るものではなく、「担う(になう)」ものです。あるいは「担当する」「きりもりする」。使い方は同じです。
だから、
「母は長年にわたって、家政を一人で切り盛りしてきました」とか、「担ってきました」とかいう具合に使います。
「そんな母が死んでからは、叔母さんが我が家の家政を牛耳っています」とかいう使い方もありえますね。