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一寸の虫にも五分の魂
五分? おそらく 人間が基準となっていて 半分の五分という事なのだと思いますが、対等、十分じゃなくて? 体の大きさでいったら、じゃあ象は二十分はあるだろうし、頭の良さや感情の有無で言ったらじゃあそれに次ぐのはチンパンジーとかになるという事? どの生き物も 人間と同じ命は平等だから 十分でいいのだと思うのですが なぜ5分にした? 仏教でハエも人間も全部同じ命と小さい頃から習っていたので逆に虫の命が軽く感じられてしまいました
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「一寸」も「五分」も昔の日本で使われた「長さ」の表現ですね。 1尺 ≒ 30.303cm 1寸 = 0.1尺 ≒ 3.03cm 1分 = 0.1寸 ≒3.03mm 「3cmの虫にも1.5cmの魂が宿っている(から大切に扱いなさい)」という意味です。 なぜ五分になったのかという理由はわかりませんが、たぶん語呂の良さだと思います。
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- bekraf
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>どの生き物も人間と同じ命は平等だから その通りで命は平等です。 >ハエも人間も全部同じ命と小さい頃から習っていたので よい教えかと思います。 魂の階層は違えど、その階層の中で精一杯生きているので、命は尊いのです。 例えば、人間に魂を天界にまであげろと言うのが、難しい話です。 階層のランクの話をしましたが、人間だからって意味なく、むやみやたらに動物を殺して良いという意味ではありません。 昨今間違った解釈をする人々が多いので念のため追記しました。
- bekraf
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>仏教でハエも人間も全部同じ命 確かに同じ命ではあります。 >一寸の虫にも五分の魂 しかし魂の階層も同じとは言っていません。 地獄、餓鬼、畜生、人間、天、の階層があると考えられ、虫(畜生)は中間層(五分)である事から、 小さな虫にでも魂はあるのだから、気を配れよという事です。 むやみやたらに殺すなよ。 魂を宿した命であるぞという事です。
- a_hona
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対等であることを五分五分という。 1を2で割って、半分ずつという意味だろうか? ここら辺から一寸の虫にも五分の魂という言い回しは来ているのだと思う。 ところで、一匹の羽虫などは明らかに人間より弱い生き物であるが、そのような存在にも酷い仕打ちをしてはならないというのは、人間なら誰でも分かるはずのことである。
- hue2011
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この話はひとつの命の中で比較しているんですよ。 一寸というのは3センチです。 3センチの虫がいるわけです。 こいつは、障害物があったら引きかえしたり避けたりして歩きます。 引きかえすのは別にからくり人形でもできる話です。 ゴム紐を撒いた糸車の戦車は、ぶつかったらひっくり返って逆に走ります。 でも避けるというのは、 そこにものがあって、このままいくとぶつかるだろう。 その横に空間がある。そちらに進むとぶつからないだろう。 だけど自分は本当はまっすぐ行った先まで行きたい。 だとすれば、横の空間を左によけるとすればすぐに右にもどったらよいだろう。 そういうシミュレーション思考をして行った行動です。 要するに脳があって脳自体が制御プログラムを持っているということです。 というのは、臓器で脳というものの知っている人間の言い分です。 脳自体もミソみたいなもんだという知識しかないときは働きはわからなかったはずです。 そういうときは、「こいつ考えている」というのが正しい指摘でしょう。 魂があるな、と思っていい。 3センチの虫にもし魂があるとすればどの程度あるかな。 まあ肉体があるから100%魂というわけにはいかんだろう。 1.5センチぐらいが魂じゃないだろうか。 これが「一寸の虫に五分の魂」ということです。 虫と象をくらべたり人間と鶏をくらべたりした視点で言っているわけではありません。 まして命が平等に尊いという切り口で論じているわけでもありません。 森山徹さんの本で ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書) というのがあります。 この中でダンゴムシが悩み、不可能に挑戦して克服する光景が書いてあります。 もともと泳げる虫ではないはずなのに、水で囲まれた環境に孤立させると悩んだ末水に入って陸地側まで漂流してきたという話。 この本には、この考えかたでいうと岩にも心があるのではないか、という不思議な命題の考察が入っていてわくわくしますよ。