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なぜ?
なぜ、植物、虫、動物(一部を除く)の命を奪っても罪には問われないのに、人間を殺すと罪に問われるのでしょう。 同じ生き物なのにおかしくないですか。 今、ふと疑問に思いました。
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人間には、植物や虫の気持ちがわからないから かな・・・と思いました。 この植物は人間が売るために育てた花だ。 そもそも人間の売る目的がなければ、この花は 存在しなかったのだから、命を奪ったことにならない。 野山に咲いている植物の命を奪っていない。 なんか私の考えは、違いますね。 人間の勘違い、命の重さに違いがあると 思い込んでいる。 植物や虫の命は、お金にならないから?かも。
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>同じ生き物なのにおかしくないですか。 おかしいことはありません。 罪という考えを作ったのは人間です。もともとそういった決まりがあったわけではなく、真理は別にあります。 人間が作った概念ですから当然人間にとって都合が良いように作られているのです。 他の生物がお互いに食い合いするように、 人間も常に他の生物を食って生きているので、生物を殺してはならない、という法を作ったら、たちまち飢えて死んでしまうでしょう。ですから、人間以外ならどんな生物を殺して、食ってもいいのです。 しかし このごろは傲慢な白色人種がこの面で他民族にいろいろ変ないちゃもんをつけてきますが、とんでもないことです。
- ma310ma10
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なぜ他の生き物を殺しても罪に問われないのに、 人間を殺すと罪に問われるのか? 先ず第一に広い範囲にわたって 罪・罰と定められるルールを作れるのは 人間だけだからだと思います。 NO2の回答者様が仰っているように 人には他の生物の気持ちがわからない。 これは人が人に対して気持ちをはかる時も同じで 殺してもいいと思う人にとっては人の命など 価値はないのです。 むしろ人の命ととらえていないのかもしれません。 魔女狩りやユダヤ人迫害、戦争なんていい例でしょう。 一方で殺してはならないと思う人たちは 殺される側の気持ちを共感できると思っている。 だから殺すなと仰る。 捕鯨団体が鯨を守るように 犬公方が動物を愛護したように (これらが正しいかどうかは知りませんが) 他の命の価値を考え直そうとする人はいます。 むしろ人間の方が価値が低いと言わんばかりに 考える方もいらっしゃると思います。 ただ、他の生物の気持ちをわかろうとしても 仕方ない部分もあるといえばあります。 世界はある程度の食物連鎖と弱肉強食で成り立っています。 それについては回答NO5さんが語ってくださっていますが、 食し、生存し続けるために、ひいては種を守るために 他を殺さざるを得ない時だってあります。 また、種を守るために殺さざるを得ないのは 体を害する菌などに触れないようにするためでもあります。 蚊や蜂を殺そうとするのはその最たる例でしょう。 この種を守るために命を奪う行為を全て罪に問うとなれば 人間の繁栄はなくなります。 故意かそうでないかの区別もあるかもしれませんが、 そう区別した瞬間にそれは人間にとって都合のいいように とらえているだけです。 同じように害と思われない殺し方ならばいい、 という考え方になります。 人間が自分たちの命を守るため、 人間が種にとって都合が悪くないようにするため、 人間優位のルールはできあがっています。 他の生物が優位に進められる出来事があったならば 人間もそれに従うことになるでしょう。 ただ、人間が優位に立てると思えるのは どんな生き物でも武器か何かを使えば 人間にはあらゆる生き物を殺せると考えられるからです。 命を奪う行為ができる、反対に救える可能性を持っている だからこそ人間優位、人間支配のルールを 作れるのだと思います。
- maiko0318
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>なんで殺したら罪に問われるのは人間と一部の動物だけなのか ちなみに殺人が罪でなかった最近までは罪には問われていません。 殺人が罪と考えられていない国もあるでしょう。 人間を殺すことは罪でないけれど、豚は罪であるという国もありますね。
- kamobedanjoh
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法律で規制されている場合は、動物であれ植物であれ、罪に問われます。 動物愛護法による規制。環境保護法による規制。絶滅危惧種の保護に関する規制など。 規制されていない生物も沢山残っていますが、それは、人間が生態系の最上位に位置しているからです。生態系の上位とは、肉食性動物で最強の種という事になります。 草食動物は肉食動物に食べられ、肉食動物もより強い肉食動物に食べられます。 食べると云うことは、生命維持活動そのもので、同時に種の保存活動にも欠かせません。 人間は雑食動物で、食用に供し得るあらゆる生物に依存して繁栄し、頭脳を発達させて繁栄してきました。人間の前には、かのマンモスでさえ食べ尽くされたとも云われます。(マンモスの絶滅に関しては異論もあるようですが) お説のように、人間が他の生物の生命を奪う行為には、宗教的観点若しくは人道論から反対論や慎重論があります。仏教では肉食を忌避して精進料理を常食とする宗派もありますが、植物食までも規制することは出来ません。 人間が生きて行く上で、食こそは根源力だからです。 今後人間の供食規制や狩猟採集規制が厳しくなる予感がします。 人間が絶滅させた生物種は数えきれません。それが、人間の生存環境にまで悪影響を与えていることが、認められ始めましたから。
- 1paku
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虫や動物より、人間の命の方が、はるかに価値があるから。 人間だけが、他の生物と違い「心」を持っているからという表現でも。 ちなみに、他人のペットの犬や猫の命を奪うと、 さすがに警察のお世話になります。 適用される法律は、いまだに器物破損法かな?
お礼
回答ありがとうございます。 “人間だけが、他の生物と違い「心」を持っているから” 本当にそうでしょうか。
- SPROCKETER
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戦争や死刑執行などの法的な例外に属する行為では殺人は罪に問われません。殺人罪が適用される判例だけ罪に問われます。 人も虫も同じ動物だから、殺しても構わないという考え方はオウム真理教の教義そのものですね。そういう考え方で行くならば、自分が正しいと信じ込んでいれば、サリンを撒いて人を殺しても良いのだという無法の論理に走る結果になり、殺人犯の仲間入りをするだけでしょうね。 宗教や法律が無かった先史時代でも、殺人をおこなえば、集落から追い出されたり、親族から報復されて殺されたりしたはずです。報復が無かったとしても、悪夢や亡霊を見て苦しんだり、精神的な打撃を受けていたはずです。人間は殺人を犯すと脳に嫌な記憶として残り続けるわけで、何も罰せられなくても、苦しむ結果になります。仲間を殺しても精神的に苦しまないのは動物だけです。 最近の戦争では、遠隔制御ロボットを使った戦争ゲームのような戦いが多いですが、ディスプレイを見ながら敵に照準を定めて攻撃するだけのゲーム感覚の戦争なのに、心理的な葛藤を抱えて苦しむ兵士が多くいるそうです。本当の殺人だと脳に与える影響が違うのでしょうね。 殺しても苦しまない昆虫や動物と、殺すと後悔したり、苦しんだりする人間やペットとは、脳で判断している部分があるはずです。脳の判断で精神的な打撃を受けている以上は、人間と動物を同じ扱いには出来ないでしょうね。
補足
いや…あの…、私は殺人がしたいわけではなくて!!! 植物や虫や動物がかわいそうだなって…。 だから、なんで殺したら罪に問われるのは人間と一部の動物だけなのかなって思っただけです。
- maiko0318
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殺人を犯すと刑に処すという法律があるから。(刑法) ちなみに、「殺人はしてはならない」とは書いてません。
お礼
回答ありがとうございました。
お礼
“人間には、植物や虫の気持ちがわからないから かな・・・と思いました。” 私もそう思います! 回答ありがとうございました!