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赤っ恥ぢを厭うなかれと 哲学の門に書かれては・・・
・・・いなかっただろうか? 哲学の門をくぐるとき なんぢよ あらゆる赤っ恥ぢを覚悟して進み入れと書かれていなかっただろうか?
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まず・・・ 「 ・・・・・☆ ひとつに 赤っ恥ぢを掻くほどであっても 有用な内容を哲学にあたえることはじゅうぶんあり得ましょう。いま例示をおこたりますがそれは 容易に推測しうることだと考えます。あやまちはひとのつね ゆえ。 もうひとつに そのように恥ぢを掻くことがある無しにかかわらず ★ 何処からでも入れるもので ☆ すよ 哲学は。明らかです。自明でしょう」←あなたは これを お礼と見なす事が出来るの? 俺には どう読んでも お礼には見えない・・ 哲学云々よりも もっと 感情論を勉強して下さいね・・
書いてなかったかと思います。 そもそも「哲学の道に入るから赤っ恥ぢをかく」のではなく、「人生を送る時点で赤っ恥ぢをかく」ことが運命づけられているでしょうから、門にわざわざ明記する必要がないのでしょう。
お礼
したばさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 《哲学の道》と特定して狭く捉えることは マチガイである。 というご見解ですよね。 ぢゃあ 哲学の門をくぐった場合にも 赤っ恥ぢを掻くことを厭うなかれは あてはまるということですよね。
んっ?・・ 哲学って 其処からしか入れないの? だったら 哲学は無用なだけ・・ 何処からでも入れるもので無いと駄目なのです・・
お礼
くりーにんぐ1312さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ んっ?・・ 哲学って 其処からしか入れないの? ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ という答えが返ってくるなら こちらからは こうお応えしましょう。: では恥ぢを掻くマチガイは すくないはずだと いう生まれつきの知性としての自信に満ちている ということでしょうか? と。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ だったら 哲学は無用なだけ・・ 何処からでも入れるもので無いと駄目なのです・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ひとつに 赤っ恥ぢを掻くほどであっても 有用な内容を哲学にあたえることはじゅうぶんあり得ましょう。いま例示をおこたりますがそれは 容易に推測しうることだと考えます。あやまちはひとのつね ゆえ。 もうひとつに そのように恥ぢを掻くことがある無しにかかわらず ★ 何処からでも入れるもので ☆ すよ 哲学は。明らかです。自明でしょう。
お礼
人間をめぐる一般的な真実を明らかにして 返答としています。 これが 対話です。 というのが 《お礼》です。 ご回答をありがとうございます。