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災害の何十周年記念事業は不要?
自治会で災害(地震)から50年経つので記念事業をしたら? という話が出ました。 私は「する必要はない」という考えです。 理由は 1. 災害の記念碑はすでに立っている。 2. 被害状況の写真も公民館に掲示されている。 3. 人的犠牲者はないので慰霊祭の必要はない。 4. 「何十周年記念事業」というものは普通、 「創立十周年」とか「偉人の生誕100年」・・・とか 慶事に属することに関して行うもので、災害の場合は 聞いたことが無いというか、知りません。 以上、私の考えにアドバイスいただければ幸いです。
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質問者が選んだベストアンサー
私は質問者さんの意見に賛同します。 私は神戸に住んでいますが、毎年“阪神淡路大震災”が起こった日には追悼式典と言うか慰霊祭をやっています。 確かに沢山の方が亡くなりましたが、語弊を恐れず悪い言い方をしますと、皆で寄り集まって傷を舐め合うことは全く持って建設的ではないと個人的には思っています。もう何年経ってるんだと。 市なり県なりが大規模にこういう催しをやればそれなりの“お金”が掛かります。 だったらそのお金を例え少しでも備蓄用の食品や毛布代に回せばと思いますし、公共施設の耐震補強に使えばなどと考えるからです。 後、質問を読ませて頂いた限り、記念碑も写真もあるようですし、語り継ぐにしても家族や学校でちゃんとやれば啓発活動も事足りると思います。 余計なことならすいません。
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- suiton
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記念という言葉について誤解さている方が多いですが、慶事だけの言葉ではありません。英語のメモリアルと同義に使うものであり、弔辞も記念になります。 広島の原爆慰霊式も記念式典です。 ただし、弔辞の場合は祈念と呼びかえる場合も多くなっています。 災害が忘れたころにやってくると言われていますので、今回のケースでは単に式を行うのではなく、防災訓練などを行い、あらためて災害への備えを考えるきっかけとすべきではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。
- eroero4649
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「する」「しない」は、「どんなイベントにするか」によって意味はまったく変わってくるのではないでしょうか。 50年を機に大地震や土砂災害に備えて防災訓練をやるとか、防災管理の専門家を呼んで講演してもらうとかそういうことであればぜひやるべきでしょう。 しかしただ集まって県議会議員でも呼んで挨拶してもらうだけならこんなことわざわざやる必要あるの?ってなると思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- genjii
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「何のために誰が何をするの」がよく解りません。ただ、「50年経ったから」だけで何かをしましょう。には賛成のしようがありません。 話は変わりますが、先日の台風で、2日間停電になりました。古い家の瓦がはがれ、木が倒れ、電線が切れたり、電柱が傾いたりしました。我が家も駐車場のポリカの屋根が一部飛んでいき、庭の木が傾きました。 台風が来ることは分かっていたのですが、ここ10年近く被害が出るような強い台風が来ていなかったので、油断していました。災害用の備蓄もしていませんでした。停電は車で15分ほど行けば電気が来ていましたので、食事と風呂にはこまりませんでした。しかし、電気がないと、電気製品はもちろん電話機もガスの給湯器も、パソコンのネットもつながりません。唯一使用できたのは携帯だけでした。この携帯も大災害時には使用できなくなることは、過去の大災害で実証されています。停電時、自治体の情報は全くあてになりませんでした。それよりも近所の人からの、停電情報「どこまでいけば電気が来ていて何の店が開いているよ」が役に立ちました。今でも山間部では台風から4日目にも関わらず復旧していないところがあります。 余談になりましたが、「災害は忘れたころにやってくる」「油断するから被害が大きくなる」と思います。 たぶん、災害の記念碑は後世の人が災害にあっても被害が少なくて済むように「油断するな」の碑だろうと思います。 50年を経て、「過去にこんな災害があった。いつでもこのような災害が来ることを忘れないように備えをしよう」という目的の事業「防災体制の構築・物資の備蓄・災害ごとの避難方法・避難場所の徹底・避難訓練の実施・近所の助けのいる人と助けをできる人の体制などのを確立したり、「見直したり、再確認したりでしたら、50周年記念事業としては大賛成です。
お礼
回答ありがとうございます。
- 15261526
- ベストアンサー率23% (71/306)
ん・・・記念事業の内容をもって判断するのが妥当だと思いますが 現段階では必要はないが、内容次第では、検討する必要があると思います という留保的な回答はダメなのでしょうか? 貴方の「必要ない」とする意見には首肯できますが、「必要ある」とする側の意見を参考にせずに評価するのも些か拙速すぎると思います ちなみに、女房の実家の自治区では、大規模災害で一人の犠牲者も出なかったのですが、人が居住できない状態になったことから、「ここに~~集落があった」とする記念碑が、災害25年前に創立しました 「メモリアル」という英語のニアンスで理解すれば、なんでもありになりますけどね
お礼
回答ありがとうございます。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
あなたの考えそれ自体は個人の見解なのでそれについてアドバイスをすることは出来ませんけれど・・・・・。 人的被害があるなしにかかわらず、そういうことを忘れずに今後の対策に活用するというか、継承していくというのは「不必要」だとは思わないです。 記念碑の意味とか「そこにある」だけで内容をしっかり立ち止まって読む人がいなければ意味ないし、慰霊祭じゃなくても記念日というのは悪い日であっても別に良いと思うし、慶事だけに限らず法事もあるのだから別にそれはいいと思う。 それについて一家あたり100万だせっていうならちょっとそれは・・と思うけれど、5000円程度なら別に良いと思います。 あなたも声を大にしてこの考えを主張できないからここで後押しして欲しいってことでしょう? 人の考えはそれぞれで良いと思うので、やりたい人にはさせておけばいいのでは? 川の氾濫など人的被害が無くても〇〇水害として記録に残るものもありますし。 そう言う情報は後世に伝えてゆくべきだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- yoruaru-q
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難しいですね… 災害があったことは忘れられる。「忘却防止」により「未来において子孫が同じ災害の被害に遭うことがないようにしていくこと」が地域の大人としての責任ではないだろうか。 できるだけ多くの人に思い出してもらうために入り口は複数あった方がいい。 大きく会を開くと1つの入り口になるし、宣伝にもなる。 逆に宣伝も適当で新しい人がだれも参加しないような会であれば行う意義が少なくなる。 なにか会を開かないとしたら、自治会で「公民館にある被害写真」をこの機会に宣伝するチラシを配布するなど追加のアピールをするのもいいかもしれない。その場合「会なら参加する」けど「公民館にはいかない」という人はどうするのか。どちらが多いのか。 …という風に考え込んでしまいました。 解決してないですけど「公民館でやってるから自治会はなしでいい」というのは、子孫のためにはならないかなと思いました。 いかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。
- k205t
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ちょっとその自治会はおかしいのかなと思います。 記念事業をする必要はないと思います。 ただ備えは必用です。 発電機を購入するとか、各家庭では出来ない事をやればと思いますよ。 私は個人で発電機を買ったりいろいろと備えています。 そして今住んでいる所は、ダメな地域なので地元の東京に戻ります。 そこでは、区が水を用意したりいろいろとやっています。 これから起こることなので、その様な記念よりも備えの方が大事です。
お礼
回答ありがとうございます。
- k-josui
- ベストアンサー率24% (3220/13026)
> 慶事に属することに関して行うもので、災害の場合は聞いたことが無いというか その通りだと思いますよ。 犠牲者がいれば慰霊祭を行うのはいいでしょう。 でも幸い犠牲者はいなかったようですし、災害に対して「記念事業」はないでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。