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『知らぬが仏、知るが煩悩』では何故学ぶのですか

閲覧ありがとうございます。質問内容はタイトルの通りです。 質問動機は好奇心です。勉強したくないからブーたれてる訳ではありません(´・ω・`)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.6

augmydt様、お礼をありがとうございます。 >「その道のプロになるためということでよろしいでしょうか?」 ・・・まあ、「プロ」というのは、また別にして 「エキスパート」は、「経験により熟練した者」 「スペシャリスト」は、「個人の持つ「ある能力」が、その道において希有とされること。そういう能力を持つ個人が、その道で評価されたことによる呼称」 というように、小生は理解致しました。 (いずれにしても「積極的に学ばなければならない」とは、申しておりません)

augmydt
質問者

お礼

回答ありがとうございます!

その他の回答 (5)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

augmydt様、こんばんは。 最近、「expert」と「specialist」との違いを知りました。

augmydt
質問者

お礼

回答ありがとうございます!その道のプロになるためということでよろしいでしょうか?

回答No.4

知らぬが仏という格言は、「他人の心の中」に関して知らぬ方が良いことを意味します。 知るが煩悩とは、「他人の心の中」を知りたいと言う欲望です。 勉強の対象は「他人の心の中」ではなくて、自然界や人間社会の仕組みやビヘイビアですから、これは学ばなくてはイケません。

augmydt
質問者

お礼

回答ありがとうございます!なるほど、そういうことなのですね

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.3

「知らぬが仏」、これを第三者が肯定的に使っている場面を私は見たことがありません。たいていは「仏」に凝されたひとのいい被害者を半ば馬鹿にしたような場面が多いです。これが適応される別のケースは下記します。 「知るが煩悩」、これは”何を知る(知らされる)に到ったかということが重要で、知らないでいたほうがよかったと考えられる情報は、主に知らされる側のローカルな状況、卑近な条件によって存在することは間違いありません。もちろんどんな情報も万人にもたらされるのが自然ななりゆきなので、たとえば楽園を追放されたアダム夫妻も本来知り得なかった神の情報を知ってしまったことによる不幸だったとすれば、それは神に次ぐ最高知性を得た人類にしていずれ起こる自然な成り行きだったとしかいえません。 ひとは悩むことで大きくなるというのはサントリーの宣伝文句ではなく(煩悩を)避けては通れないのが人生の真理というものでしょう。つまり人間の王道である学びの途上に現れる煩悩は、真人間にとって滋養強壮健康のためのの良薬でもあるのです。

augmydt
質問者

お礼

回答ありがとうございます!

回答No.2

本当に「知らない」なら、それは存在しない事であり、 何も「知らない」なら、それは宇宙が存在しない事で、 死んでいるのと同じだ。 「一応の存在」などない。より深く知る事で、世界が はっきり見え、喜びが大きくなるのだ。 人は、知らない事で喜ぶ事はない。

augmydt
質問者

お礼

回答ありがとうございます!それが例え害悪な人間の陰湿な言動だとしても嬉しいのですか?(´・ω・`)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.1

>『知らぬが仏、知るが煩悩』では何故学ぶのですか ⇒一つには、「より自由になるために」我々は学ぶのだ、と言えます。 ヨーロッパの図書館などに Discendo liberior. と書いてありました。「学ぶことによってより自由に」といったような意味らしいです。つまり、学ばない状態では、人は多かれ少なかれ無知蒙昧・迷信・妄念・偏見…などにとらわれているが、「学ぶことによって、その桎梏を解き、自由になれる」ということなのだと思います。では、「より自由になる」のは何のためか、あるいは、何の効用があるか。それは、より現実的かつ具体的に一言で言えば、「生きるための英知を獲得するため」、ということではないでしょうか。 >質問動機は好奇心です。 ⇒「質問動機は好奇心から」とおっしゃっる、これは素晴らしいことだと思います。「哲学したいから」と言うのと、ほぼ同義のことだと思うからです。 よく知られているように、「哲学」(Philosophy)は、文字通りには、philos-「愛すること」+sophy「知」を表わす語です。ですから、「哲学する」とは、「知りたがる、好奇心を持つ」ことである、ということになりますね。「好奇心を持つことや知りたがることも、(哲学同様!)我々を迷信や妄念から解放してくれる」、と言えるのではないでしょうか。

augmydt
質問者

お礼

なるほど!回答ありがとうございます

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