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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:芸術系の習い事の講師の指導方針)

芸術系の習い事の講師の指導方針について

このQ&Aのポイント
  • 芸術系の習い事の講師の指導方針について気になる点があります。
  • 先生方の頑固さや自己中心的な態度について疑問を持っています。
  • 講師の役割は生徒の上達や成長をサポートすることであり、柔軟な対応が求められるのではないでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11073/34515)
回答No.4

芸術系で優れた才能を持つ人は、得てしてそのぶん社会性が低い人が多いです。そういう芸術的感性と社会的安定は背反する才能なんでしょうね。草間彌生さんや岡本太郎さん、YOSHIKIさんなど「天才だけれどはた迷惑な伝説」をお持ちの方は芸術分野は飛び抜けて多いです。 才能がある人はパラノイア的な傾向がありますから、「このやりかたでしか生きていけないのだ」という人は他の業界よりも多いと思いますよ。ましてや、講師ともなる人であればある程度以上の才能を持っているということでしょうからね。 それと現実問題として、芸術分野の多くはその活動では食べていけないのが現実です。人に教えて「師範」とかそういう立場になることで食べていけるというのがありますよね。伝統芸能の世界なんてほぼすべてがそうなのではないでしょうか。つまり、絵画や書画や踊りの天才でも、「教えるのが上手」とは限らないわけです。名選手必ずしも名コーチに非ずとよくいいますよね。だから、本当は教える才能なんてまるでないのだけれど、ただ描いたり踊ったりするだけでは食べてはいけないから弟子を集めている、という人も多いと思いますよ。 もうひとつ。その先生方は絵画などの描き方や踊り方というのは習いますが、「教え方」については誰からも習いません。だから、そういう意味でも教え方がヘタだという人は多いとは思いますね。

noname#242110
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど。わかりやすい例えですよね。野球なんかの監督やコーチって、現役の時に超一流だった方より、やや地味目な?選手だった方の方が、良い指導者である場合が有りますよね。うんうん。 多分、芸術系の先生って理屈じゃなくて感覚の世界が普通の人より大きい方なのかもしれませんね。 ちなみに、この質問は、今の書道の先生の話ではなく、過去に習った書道の先生の話なんです。 今の書道の先生は、ご本人自身の腕前は失礼ながらさほどレベルが高くないような気がするんです。 でも、教え方はものすごく分かりやすく、質問を嫌がらない人ですよ。謙虚だし。 常に「どういう教え方をしたら生徒が上達するか」というのを考えておられるらしく、 生徒から預かった作品をデータに残して研究して、良い変化が見られないようであれば指導法を変えるみたいなことをおっしゃってました。 おそらく、自分が他の先生よりご苦労されたのかもしれないと思ってます。元々素質が高い人は努力する苦労とか理解できないのじゃないかなあと、お返事を読んでいて思いました。 だけど、この先生のような方は珍しいです。 音楽の先生は、教え方がわかりづらかったり尊大すぎる方が多いですね。 努力すれば絶対に誰でもうまくなるだとか、自分ができるから生徒誰にでもできる、出来ないやつが悪いみたいな。

その他の回答 (6)

  • yoruaru-q
  • ベストアンサー率17% (476/2703)
回答No.7

うまくなることを目的とした習い事だとそういうこともあるかもしれません。 うまくならない、楽しむことを目的として、課題を持ってきたときだけ解決手段をくれる先生となら、そういうことはないだろうと思いました。

noname#242110
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうそう。私の目的は正にそういう事なんです。 とりあえず、自分が独学でやってきて、どうしても自分のわからない所だとか、苦手な所のみをピンポイントで教わりたいんですよ。そこだけ助言が欲しいのであり、押し付けは要らないんです。基本、自分の自由な課題を独学でやるけど、独学の限界があるからちょっとここんとこ教えて下さいみたいな。 今どきの講師と生徒の関係は、昔のような師弟関係ではなく、ビジネスの取引相手、つまり店と客のような関係に近いと思うのです。だから、「教えてやってる」という態度で押し付けがましい指導をする先生が嫌なんです。「

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.6

お礼を頂きまして有難うございました。 真意をくんで頂けなかったみたいで残念でした。私は教えられないことを正当化しているのではありません。簡単な小手先の技術だけ身に着けたらどんどん、上達するかというとそういうものではない、 そういうことを先生方はご自分が身をもって知っているからどう生徒さんに伝えようかと日々、悩んでおられると思います。それを、講師は教えてくれるのが当然だ、怒るのは教える能力がないからだろうという態度で迫られたら誰でも怒ると思います。 ただ、50年以上、楽器に親しんで来て、30年くらい教えて来た身としまして、こういう熱心な生徒さんは独学が向いておられる方ではないかという感想を持ちました。

noname#242110
質問者

お礼

ありがとうございます。 やっぱり、ある程度後年齢のいったステレオタイプの講師さんの回答だと思いました。 結局都合が悪くなると、医者でもそうですが「だったら勝手にしろ」「先生はそれを手伝うだけだ」というんですよね。講師以外の立場からすると、逃げにしか感じません。本当に自分に自信のある先生のセリフだとは思えません。 どこがどのように私が「教えてくれて当然だ」と言っているのか、納得いくように説明して頂きたいですね。当然とまでは言いませんが、後述のように私としては、先生と生徒は師弟よりも、店と客の関係に近く、お互い様的な関係と思っていますので。あなたが「教えてくれて当然と思うなよ」と生徒に求めるなら「教えてやってるから当然自分の方が上だと思うなよ」とこちらも先生に求めます。上から目線で威張っているだけの先生には、わたしはつきたくないのですが、そういう方が未だに多いのでトピ立てました。 生徒は先生に言いたい事も言えずに萎縮してるということはありませんか?親心で温かく丁寧に指導、生徒の気持ちや希望に極力寄り添った工夫した指導ができる先生には、生徒が自然と集まります。自分が今師事している書道の先生が、まさにそういう方なんです。他の先生の事を批判や否定しない主義の方ですが、この「先生の方が絶対に上だからといって、生徒の言い分を一切聞く耳持たない」事についてのみは、「生徒さんから学ぶことが多いので、生徒さんの言い分は極力聞き入れて今後の指導の参考にするよう努力する」とおっしゃってました。 というか、他の方が言われるように、芸術家は、その分野ではすごい能力を発揮しているけど、社会性が低い場合が多いというのは本当のようですね。世間とか、他人の心理を理解できていないというか。言葉による説明や表現が苦手で正しく真意を伝えられない頑固な先生がいると、やっぱりあなたのレスをみて思いました。こういう質問サイトのやり取りでさえ行き違いが生じるんだから、お稽古の指導でもきちんとなるべく正確に生徒さんに伝わっているのかどうか、甚だ疑問です。 自分が昔、親から嫌々習わされていたピアノの先生は今57歳で、ものすごく厳しい、押さえつけるような指導で、唯でさえ嫌々習わされていたのに、さらに先生のお蔭でピアノをぶち壊してトラウマ残すまでのピアノ嫌いにさせてくれました。 おそらくあなたと同世代だと思われます。それくらいの世代以上の先生は、自分は絶対に生徒より上だみたいな考えで、厳しすぎて、生徒に気を遣わすんですよね。 ちなみに、最近楽器店の楽器教室で30代の若い先生と以前お話をさせていただく機会が有ったんですが、その先生曰く「それくらいの年代の先生って、厳しすぎたり、押し付けたりして、ピアノ嫌いにさせるような指導方針の先生が多いですが、私は、嫌いになっていただいては本末転倒ですので、生徒さんが楽しみながら上達できるように、工夫した教え方を研究しています。ですので、よろしければ一度体験レッスンいかがでしょうか?」とのことでした。でも、手を怪我してしまったので、結局実際にその先生の指導を受けてはいません。 今どきの講師業と生徒の関係は、昔の「師弟関係」よりも「店と客」の関係に近いと思うので、普通に商品を売る小売業者と客よりかは、先生の方が優先される、先生の方が多少上ではあると思うし、生徒も完全に消費者感覚でもいけないでしょうが、先生も、一応はそれでメシ食ってる訳だから、もう少しへりくだる必要があると思います。 あと、金銭感覚分かります?ピアノ除くその他管楽器類やボーカルなどの講師は、ピアノや書道や、その他の習い事に比べて、高い受講料を頂いてそれであなたがたメシ食ってるんですよ?週一で1時間のお稽古で月6000円から8000円なら妥当ですが、延べ4時間でそのお値段に比較し、楽器やボーカルは4時間ならどんなに安くても20000円、大体3万から4万はかかります。それがいかに大金かという認識を持って頂きたいです。 大金を頂いているのに、あまりお客扱いして生徒を甘やかしすぎるような指導をするのも不適切だとは思うけど、客と先生と双方の歩み寄りや、客の意思もお稽古に生かすが重要ではないのでしょうか?先生が「絶対にプロ級に上達させるから黙ってオレの言う事を聞け」と思っていても、生徒が「ぼちぼちやるから、お手柔らかに。そんなに厳しくされてまでプロみたいに上達しなくていいですよ。自分なりに出来る範囲でもう少し低いレベルで趣味程度に上達したい」と思うように、感覚にズレが生じるのもよろしくないと思います。先生的には高いお金を頂いているから、それに見合った高度な事を教えたいんでしょうが、生徒の全員が全員、それを望んでいるとも限らないのです。高度なレベルになりたいけど、社会人ともなると仕事や家事育児などが有って、なかなか練習したりお稽古つけてもらいに行けない。だから、少しずつゆっくり上達したいのに、いきなりガンガン厳しく指導されるのでは、たまったもんじゃないです。」 お釈迦様の教えにもあります。「人それぞれ感覚や価値観は違う事を認識していれば、心穏やかになる」みたいな。ましてや、大金を受け取っているのだから、客の希望や意向を全部聞きいれる必要はないにしても、ある程度はその希望や意向に近い指導はしてもらいたいです。 実際、こうやってネット上で質問している私はあなたの生徒でもないのに、自分が私の先生になったような気で上から押さえつけるように偉そうに回答してるように感じます。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.5

長年の間、pucchinturi さんの言われている音楽関係の講師をしてきました。 質問すると嫌がられる先生が多いと思います。でも、苦労されて実力を身につけられた来た方の中には、質問する気持を理解してくれて対応してくださる方もあります。 でも、別の手段を一緒に考えてくれるのが先生の役目などではと思われることは、ちょっと違うかなと思えます。そこまで先生に簡単に期待することは出来ないです。 長い訓練、忍耐、努力の積み重ねで楽器は上達します。もちろん、上達が止まる時は誰でもあります。向き不向きもありますし、根柢のとこで習い事の対象となっている書道や音楽を本人が(どれだけ好きか)ということが ポイントになってきます。そして、練習する時に楽しいという気持ちが少しでもないと成長しにくいです。 習う本人の努力がカギとなり、医者がすべての病気を治すことが出来ないように、先生が生徒の実力そのものを伸ばすことは出来ません。 pucchinturi さんご自身が試行錯誤して上達するのであって、講師というのはそれをお助けする立場にあるだけの存在だと思います。 でも、時間をかけて努力して、そして、考えて考え抜いて出して来た生徒の質問なら誠意をもってこたえてくれるのが良い講師だと思います。私自身も恐くて質問も出来ないという方についたこともありますが、最後には(何でも聞いてください)というようなことをご自分から言われるような人柄の厚い方について、幸せでした。 納得できるような講師に巡り合い、道が開けますようにと思います。

noname#242110
質問者

お礼

ありがとうございます しかし >別の手段を一緒に考えてくれるのが先生の役目などではと思われることは、ちょっと違うかなと思えます。そこまで先生に簡単に期待することは出来ないです。 と >さんご自身が試行錯誤して上達するのであって、講師というのはそれをお助けする立場にあるだけの存在だと思います が矛盾しているような気がします。 試行錯誤して行き詰った時に、一緒に考えるのが講師の役目であるのは間違いであるのなら、何で講師は自分の考えやり方を押し付けるのでしょうか?助けるだけの立場なのに、どうして押し付けたり、一緒に方法を考えてくれないんですか? 結局教えられない事を正当化している講師の弁護にしか感じません。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.3

例えばピアノで表現方法が違うと感じたら、自分の道を探り直して別の先生を見つけても良いと思います。 だいたい自分の知らない事は教えられないし、生徒とともに自分を高めようなどと思っている先生がどれだけいるか疑問です。 これは医者でも同じく、薬が効かなかった、別の方法を試したら効果あったなどといえば「勝手にしろ」か「薬を続けろ」と言われます。感じの意見を聞き入れてともに学んで治療しようとは思ってません。

noname#242110
質問者

お礼

ありがとうございます。 医者の例え、よく分かりますよ。 そう言う人いますよね。 医者に色々指導を受けたけど、「それもやってみたんですが、自分で考えてこういう方法を試したらそっちの方が校歌を感じられたんですが、それでも先生の言われた方法をやった方がいいですか?」と聞いたら、「勝手にしろ」と言われました。よくいますよね。 なんでこういう事を言うんでしょうねえ?自信がないのかなあ? 他の方のお礼にも書いたんですが、 今習ってる書道の先生はタイプが違うんです。 「他の先生の事をお話しすると嫌がられる先生もおられますが、僕は、まだまだ未熟ですので、他の先生のおっしゃっていた事やご指導方法は勉強になります。自分の成長の糧になりますので、貴重な情報です。お差し支えのない範囲で教えて下さい。」みたいにおっしゃいます。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.2

上達するにつれ講師の粗も見えてくるということはよくあるでしょう。 しかし同じことを言われても経験により受け取り方が違うとか、同じことでもちょっと違う面からアプローチすることで問題が解決したりすることもよくあることです。 やりづらかったことを告げられて嬉しがる先生もいないと思いますけどね。 良い意味で自分に自信がなければ教えることは出来ないと思います。 広く講師も勉強していくつもりじゃないと成長もしないでしょう。 >>別の手段を一緒に考えるのが講師の先生の役目なんじゃないでしょうか? これはまさしくその通りで耳が痛いですけれど、生徒の方が意固地になってしまい、どういう言い方をしても指導が入らない状態になることは結構あります。つまり「わからないことがわかっていない」という状況。だから伝え方も曖昧だしそれに対する指導は全く見当違いのことを言ってきたりする。スランプに落ちた時成果を焦るばかりに基礎的なことをおろそかにする傾向はあるようです。これは生徒側の問題です。いつでも基本に帰る、基礎を大切にして間違いなく繰り返すことが出来てからこそ先があるのです。これを嫌がり、まだ初心者扱いするのか?と怒りを隠さない生徒も多いです。 どういうことでも心を素直にして広く深く指導を受け入れていくのは確かに困難ですね。ある意味芸事の修行は宗教めいたものがないと混乱の原因になりますからね。いろいろな講師についたあげくどうしようもない状態で来られる人って、最初から懐疑的なのでとてもやりづらいです。吸収するところが硬く劣化し浸透しません。 勿論、世の中には酷い先生も少なくありませんね。指導者になってみて初めて気が付くことも多いのです。生徒に合わせて指導法を変えるというのは講師にとっても自分をある程度だまして・・・否定していくという過程を踏まなくてはならないので、人によっては嫌がるのでしょうね。それでは生徒が困るのですが・・・・。 ただねえ。やはり習いに行くという状態の場合、ある程度素直になる必要もあると思います。問題は些細なところにあるというのが・・・・多いですよね。のどに刺さった小骨の様にちくちくと不快になる。ささくれのようにいつもいたくないのに触ると痛い。とか。 良い先生に巡り合わない不幸と、良い生徒になれない不幸もあると思います。 そう・・・・。教わり方にもコツがあると思いますよ。先生としてはあるまじき発言でしょうけれど。 質問の仕方を変えてみる。問題の本質がどこにあるのかを丁寧に探る。基本に帰る。 いつでも初心者のつもりで・・・・驕ることなく精進する。 これに尽きると思います。講師も生徒も・・・です。

noname#242110
質問者

お礼

ありがとうございます。 教わり方にもコツがある。 なるほど。勉強になりました。

  • 3m2s6tlple
  • ベストアンサー率36% (412/1126)
回答No.1

私も長く同じものを習っています、先生は5人目です。 上達すればするほど先生の言っていたことが良くわかってきます。 今まで習った先生がおっしゃっていたことが今になってようやくわかることもたくさんあります。未熟な当時は言われた言葉の意味は分かっても本当には判っていませんでした。 そのわからなさ加減が今になってようやく理解できるようになりつつあります。 先生が不快がるのは練習や基礎訓練をとことんまでやってもいないのに近道しようとしているように見えるからだと思います。より効率の良い、間違いのない、無駄のない方法を取りたいと思うものでしょうけど誰もが通る道というのもあります。遠回りのようでもあとで使える部分の訓練もあるのです。自分で考え、実践し、それでも間違っているときは先生からアドヴァイスがもらえるし一つ一つクリアしていく姿勢があればより上への道を示してくれるでしょう。 習う側として自分なりの努力が先生に認められれば先生も自分が経験してきた壁やスランプの乗り越え方を教えてくれると思います。壁に当たったからと他の道を選ぼうとするように見えてはその壁を乗り越えてきた先生からすれば情けない思いをされることでしょう。 私も今習ってきたことが仕事になりつつあります。わずかながらも収入につながるとまだそこまで行っていない人のことも良く見えるようになります。そういう人ってやっぱり近道を探ろうとしたり愚痴ってばかりだったり全身全霊をかけていないと見えます。私にもそういう時期はありましたから責める気はありませんが乗り越えてくれたらきっと良い仲間になってくれるだろうという期待もあるのです。 今までやってみてダメだった、でもそれでも続けて上達した先生もいるでしょう。先生からしたらその程度を乗り越えられないのは本気ではないのでは?と思われても仕方のないこと。自分にできた努力が生徒にできないと言われたら寂しく思うんじゃないかしら? どうにも合わないならほかの先生につくのもアリだとも思いますが尊敬できる先生に出会えたならとことん言うとおりにしてみたらきっと新しいステージへの扉は開くと思います。 先生には先生一人分しか成功体験がありません。あなたと合う成長過程をたどった先生についたほうが判ってくれる可能性は高いと思います。

noname#242110
質問者

お礼

ありがとうございます 講師目線講師びいき講師弁護の回答ですね。 自分なりに一生懸命やっていて、どうしてもわからない、行き詰って困っているから質問したり、たぶんあってるけど自身がないから再確認の意味で質問してるだけなのに、それを勝手に怠けているだとか練習しないくせに文句を言う、質問すると決めつける人が多いんですよね。 そう思うなら腹を立てる前に、生徒とコミュニケーションを取って、もう少し具体的に話を「聴いて(聞いてではない)」から、怠慢かそうでないか判断するのが筋だと思うし、自分が絶対に正しくて他人は間違っているみたいな、成長をとめた講師のような気がします。 お互い様みたいなことを言われる回答を得ましたが、それが正に理想ではないでしょうか。また、先生と言っても一緒に成長する気もないといけないと思いました。