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文法
寺山修司さんの短歌なのですが ・にんじんの種子庭に蒔くそれのみの牧師のしあわせ見てしまいたる の最後のたるについて教えてください。古語のたりとして使っているなら、終止形は、たりかとおもうのですが、何故たるで終わっているのでしょうか。間違いでないなら、この場合の意味をおしえてください。
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『見てしまいたる」 は連体形なので、後に何かが続くような余韻が残ります。「見てしまひたる我に非ずや」 みたいに、その牧師の行為そのものではなくて、その行為を目撃してしまった (若き日の?) 自分を回顧しているという感じを出そうという意図があるのではないでしょうか。
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ありがとうございました。 (この掲示板への最新の質問で、使い方がわかっておらず、お礼が遅くなりまして、失礼しました。)