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自分を客観視できるようになりたい
私は自分の客観視が苦手です。おもに人と話すときのことです。 人と会話をしているときは、特に何も考えないです。普通に話してると思っています。でも、そのあと一人反省会をした時、「あんなこと言ったから反応に困っただろうな」とか「落ち着きがなくてキモかったな」とか自分の変なところがたくさん出てきます。もしかしたら自分で気づけてないところもあるかもしれませんけど。 私はこのように、変なところがある話し方、態度、行動をしてるのに、周りの人の中にはそう言うのがない人もいます。 いつもその時々に合ってている声がけをできる人とか、背筋いつも伸びている人とか、話がつまらなくならない人とか。ほかにもいっぱい。 対して私は、返事に困った時に数秒止まってしまう、もしくは「あーー」と言って時間稼ぎをしてるのがバレバレとか、クラスの人と話すときはもじもじしてるのに合唱練習で謎にちゃんと声を出すところとか、気づかないうちに相手の話を自分の話へ持っていってしまい自分もあいてもたのしくなくなるとか、消しゴムにラキガキをしたままとか、変なところや欠点だらけです。 なんでみんな普通にいれるんですか……。私なんて何をやってもキモくなるような気がします。 もう元々キモいから変わることなんてできないし一生恋人も作らず生きていこうって振り切っちゃえばいいんですかね。でも自分のキモいところを一生直さないで生きてくの?て考えたら、いやいや直せるなら直したい!って思います。 どうか私も、微妙なところがない普通の良い人間になりたいです。そのためには自分を客観視できることが大切なのかなと考えました。なので、自分を客観視できる方法を教えて欲しいです。また、客観視すること以外にも原因があると思ったら教えて欲しいです。
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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d) あなたが書いている、いつもその時々に合っている声かけができる、いつも背筋が伸びている、話がつまらなくならない、というのはあなたの観察であり、その人の内面が実際どうかは、知り得ない面もあります。このように、あなたの観察自体が、上辺の比較に過ぎず、その人が本当に望ましい人物かどうかは不明です。周囲との比較で人物像を推測するとは、そのようなことです。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率19% (219/1108)
a) 何故自分に劣等感を感じるのでしょうか? 周りの人たちだって、それ程自分に自信がある訳ではないと思います。 b) 自分を客観視するより、自分に自信を持つほうが大事でしょう。そのためには、外見とか肩書や学歴などではなく、善良な精神を持つことを優先すべきです。周囲と比較する善良さではなく、本当に善良な心を持つことです。 c) プラトン対話篇は、会話の古典的お手本です。プラトン対話篇を知らずして、会話を論じることはできません。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
周囲と比較する善良さとはどういうものですか? また、プラトン対話篇とは何ですか?
- karawane
- ベストアンサー率19% (286/1500)
日本人には、 過剰な反省・過剰な自己批判・過剰な自己否定の 傾向がありますな。まぁ、そうしたスタンスは、 畢竟、〈人に迷惑をかけるのは宜しくない〉という 伝統的な倫理性に根差しているからなのでしょうけれど、 (自身のインナーに校閲者を棲まわせるのは宜しいとしても) 【来る者は拒まず、去る者は追わず】のスタイルの私としては、 アナタ様個人的には、極端なスタンスで、自身を 責めないようにすることを、お勧めしたいです。 「ひとって自分のことが客観的に見えるようになったら 大丈夫なんですよ。 (宮本亜門 演出家)」 ふろく: これまでの人生で、何人が寄り集って来て、 何人が去って行ったかを「紙」に書き出して みませんか。 〈百人百様〉の、全員と同程度に親しくなるように 生きていますとメンタル・ヘルスを損なってしまい兼ねませんので、 メンタル・ヘルスをキープしたいのであれば、 古代ローマの詩人(=Marcus Valerius Martialis)さんが提案して くださっている《あなたが一番好きなことを見つけ、それをしている あなたを好きな人に出会いましょう》というスタンスを 採り入れる検討をしてみませんか。 この WOL(=Way of living)では、 過剰な反省・過剰な自己批判・過剰な自己否定etc. の 機会が稀少で済むようになり得ます。 ふろくⅡ: パスカルの『パンセ(=冥想録)』には アナタ様の参考になることが記されていますので 読んでみることを、お勧めしたいです。 「非常の際に臨んで、その人の真実が顕れる。 (森 銑三)」 は、本当ですので、義理は、終生 大事にしませんか。義理を尊重していれば、 去り行く人は、極めて少ない筈です。 「喜び上手」「喜ばせ上手」「憩わせ上手」「寛がせ上手」 「聞き上手」「相槌上手」「話させ上手、即ち話題の引き出し上手」 であることも、過剰な反省・過剰な自己批判・過剰な自己否定etc. との 距離を置けて、宜しいのではないでしょうか。 〈Carpe diem〉的なスタンスで Buon Divertimento!(=Have Fun!=怡しんで!) Ciao.
お礼
回答ありがとうございました
- inoim777
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私も若い頃、特に十代の頃でしょうか、同じようなことを思っていたので、お気持ちがとてもよくわかる気がします。 あれから30年以上経ちますが、結論から言うと、自分を客観視できる必要は無いです。また、自分を客観視できている人はおそらく一人もいないです。 20年間会社員として勤めましたが、大の大人であっても自分を客観視できているような人は誰もいなかったように思います。 そもそも「普通」というのが幼少期からの長年の体験の中で創られた頭の中の概念、つまり実在しないウソ、洗脳、なので全くこだわる必要はありません。 「元々キモい」という思考も、頭の中にある何かの概念と比較して出てくるものであり、結論から申し上げますと、単に思考によるでっち上げにすぎません。 ですので、直すべき何かがあるわけではなく、今もこれからもずっとありのままで良いということになります。というか、ありのまま以外にはあり得ないはずです。 「自分は変なのではないか?」と自己不信感に陥っていると思いますが、もし本当に変な人だったら、必ず家族や周囲の友人や誰かから何度も指摘されているはずです。そして、何より、そもそも「自分は何か変なのではないか?キモいのではないか?」などといったことは絶対に考えないはずです。
お礼
回答ありがとうございました
- yuzu7x1
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机上の空論回答失礼します。 人が1度は通る道だと思います。 1人反省会は自分との戦いです。芸能人のスーパースターもよくこの様な振り返り方をするそうです。 各言う私は、捨ててしまいました。ある日。 面倒くさくなってもう1人の自分を○しました。 それが功を奏したかどうかは分かりませんが、向上心は無くなったかもしれません。 年齢のせいもありますが、そのせいで記憶力も落ちましたね。 その考え方のデメリットは、あまり良くない反芻をするところです。不可能なのに、過去を変えられると言わんばかりのエネルギーの使い方をします。でも実際望む未来は、質問者様を支えてくれる周囲の方々の笑顔ではないでしょうか? そこにエネルギーを割くほうが、自分も報われるし、失敗しても意味がありますよね? でもその気持ちを逆行させるのは、質問者様の中にある「検閲官」の存在です。私はその言葉を知らなかったため、自分をむやみやたらに閉じ込めることになりました。(自語りすみません) つまり、その「検閲官」*が結婚しない方がいいとか話を飛躍させるのです。それは社会としては大きな損失では無いでしょうか? そのような若者が増えることがはたして健全でしょうか?いいえ、違います。 質問者様は幸せになる権利があります。 その意地らしい姿勢とても可愛いし、応援したくなります。 どうしても客観視…したいなら、人々の失敗談を自分に置き換えて改善策を考えることですね。 他人の失敗は直視出来ますし、疑似体験も出来て一石二鳥です。むしろ自分の非を認める方が時間もかかりますし、冷静に見れません。 以下参照動画 *「検閲官」の説明→(20:36〜24:54) https://youtu.be/wrtj6URZkMs?si=7VyZ78cyUXkdaS0S モーニングノートをおすすめする意図はございません。「検閲官」という存在と上手く向き合うのが成功の鍵かと思いましたのでご参考までに。 長文失礼致しました。
お礼
回答ありがとうございました
お礼
ありがとうございました