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自分を客観視することはもろ刃の剣ではないでしょうか
- 客観性に対する疑問が強くなってきました。
- うつ病の原因は自分を客観視した結果ではないですか。
- 主観が客観を気取る事は、実のところ自作自演のひとり芝居であり、自分を置き去りにする行為ではないでしょうか。
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kaitara1ですがお礼をいただいて、他の方がご指摘になっていることと重なるところが多いと思いますが、お書きになった文に即して改めて書かせていただきます。 まず自分を客観視するというのは自分を認識の対象にするということでしょうか。「客観とは自分自身を分析したり、評価したり、あるべき自分を想定したりすることを指す」とおっしゃっているところを私はこのように理解しました。 「私たちは常に「私」を客観視しますが…」とおっしゃっているときの私というのは実は実体がないものではないでしょうか。「・・・、客観とはいえ見ているのは自分ですからどこまで行っても主観です。」とおっしゃっている意味は認識の対象になっている自分と思われている自分が実は認識の主体であったということだろうと思います。 「主観が客観を気取る事は、・・・」とおっしゃっているところは認識主体である自分は認識の対象にならないにも関わらず認識できたと錯覚することというような意味に思えます。どのような対象であり認識するということは「・・・実のところ自作自演のひとり芝居であり、…」だろうと思います。数学的な法則さえも理解している人の主観でしかないのですから。またかなり重要なのは「・・・自分を置き去りにする行為」というのは認識主体である自分以外のものは認識の対象になり得るという意味ではないかと思いました。もしかしたらうつ病というのは認識できないはずの自分を認識の対象にできると錯覚した結果、場合によっては陥る状態なのかもしれないと思いました。「・・・客観はもろ刃の剣ではないでしょうか。」というご指摘もこのことにつながるのではないかと考えました。つまり認識の対象にしてはいけない”自分(私)”を対象にしてしまうということです。「…私たちは常に「私」を客観視しますが・・・」というところについて、普通言っている私というのは私の体であり、名前であり財産であり名誉でありというように認識主体である自分のことではありません。むしろうつ病はこのような自分そのものではないものを自分と間違えることとも関係があるように思います。
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- myau_256
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お礼ありがとうございます(^^ 私が考えるに、「意識」は脳内にインストールされているソフトのようなものだと思いますが、うつ病自身はもっと単純な、例えればOSやハードの不具合だと思うんですよ。 うつ病がひどい時に自殺未遂したことがありますが、その時も「これはおかしい、間違ったことをしている」という気持ちはずっとありましたが、圧倒的な勢いで襲ってくる苦しみや不安に、耐え切れなかったのです。 そういった経験から、メンタルの病気は人の意識などよりも、さらに下の層で起こるものじゃないか? と思ってます。 私はIT業界におり、単純ながら条件のはっきりしない(しかし致命的な)不具合に遭遇したこともありますが、この手の問題は、往々にして解決にはてこずるものです。 どこに原因があるかを見つけるのが困難な上に、今は脳の働きの仕組み、つまり仕様書もほとんどない状態なので、時間をかけてチェックしながら、怪しい場所を対処していくしかないわけです。 # メンタルの病気でお薬が効かない場合があるのも、こういう理由じゃないかと思います。 脳の仕様書がほぼ完成すれば、うつ病などのメンタルの病気の原因箇所を探すのもずっと容易になり、それと同時に、素早く修理(治療)する方法も、見つかるんじゃないかと期待しています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 うつに関してはハード面とソフト面の両方からのアプローチが必要な様です。 うつの入口は大抵、ストレスが原因のようですから、薬を飲めばいいというわけにはいかないと思います。 (上司に怒られるたびに薬を飲むわけにはいきません) ハード面に関しては医者にお任せいたしましょう。 私はソフト面に関して考察していきたいと思います。
- shikaruni
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うつ病になる一つの原因だと思います。 主観がしっかりしていない(自信がない)人は客観によって堕ちていく。 主観がしっかりしていれば、客観による負のスパイラルには、飲み込まれません。客観はただのご意見番です。 主観がしっかりしている人がうつ病になるとしたら、客観ではなく(自分自身からの攻撃ではなく)、外的要素からだと思います。客観を通さず直接、主観を攻撃してくるのだと思います。 それで、客観を普段してない人は、ポキッと簡単に折れてしまう。 客観している人は、意外と苦しんでる自分を冷静に見れるから、粘りがあります。 おっしゃる通り、私はいつも客観を通して、主観をコントロールしようと、バカをやってます(笑)。主観を大事にする経験が薄く、難しいのでした。 ところで、 誰かに愛を伝えるのも、一見わがままに見えるかも知れませんが、主観を大事にして良い、主観で生きろということのようです。 そして相手も、相手の主観を大事にする。 愛っていいなぁ。 また愛の話してしまった。
お礼
ご回答ありがとうございます。 主観の絶対性というのは男よりも女性のほうが本能的に感じているような気がします。 男女の自殺者数を見ても、どの国でも男のほうが圧倒的に数が多いのです。 客観的にものを見るのは男のほうが長けていますが、結果的にそのもろさが自殺者数として表れているように思います。 客観は善悪で主観を縛ろうとしますがそれは無理なのですから。 >愛っていいなぁ。 それはあるがままのshikaruniさんから発せられた思いなのかもしれませんね。それを大事にしたらいいと思います。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4789392.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3919849.html
自己焦点化といわれるものです。客観ではないです。 自意識というようなもので、自分についての情報を組み、それを参照する能力です。 自己焦点化は状況にたいして努力することができるようにと仕向けられています。 負の情報があるとき、たとえば、能力を超えているとか、無理であるとか、想定どおりでないとか、不可能だとかを認識します。 そこで得ようとするゴールのほうを見ると、これが放棄できない、あきらめてはいけない。。。 すると自分の予期は望ましくないものだということをみとめなければならない。 となると意欲もわかない。でもゴールを見なければいけない。 ますます自分の予期が否定的であることをみとめなければならない。 という具合に、予期のネガティヴイメージが積み立てられます。 これもまた自己焦点化になっており、 情報選択のなかでネガティヴイメージを選択するしかない、という精神状態の奇妙な膠着がおこります。 時間が容赦なくすすみ、たいてい失敗をすることになります。 ここで自己を形成する操作が、失敗した自己を意識させます。 ・自分は連続した自分であり ・自分は自分で感じ信じ望んでおり ・自分の経験の中心に自分がある という自分の条件が、 ・失敗した自分は連続した失敗した自分であり ・失敗した自分は失敗した自分で感じ信じ望んでおり ・失敗した自分の経験の中心に失敗した自分がある というふうになり、こんなものが、うつです。 というのが80年代後半からの社会認知心理の人たちの説。だいたいのところで支持されています。 この理論があるから精神科でも認知行動療法が成り立ちます。 客観というのは主観が主観劇場で感知するものではなく、 つまり対象化の段階でアプリオリに備わる性質ではなく、 対象を表現するレベルになってはじめて起こる、表現の側の問題だと思いますよ。 九鬼周造なんかはそういうところをもてあそんだ感じがありますけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自己焦点化という新しい言葉を覚えました。 ただ、中身は私が考えていたものと同じでしたのでこのQ&Aでは客観という言葉を使わせていただきます。 >対象を表現するレベルになってはじめて起こる、表現の側の問題だと思いますよ 単に表現するだけなら何も問題ないのですが、そこにその人独自の思い(感情的な部分)が乗るところが問題なのかもしれません。
- myau_256
- ベストアンサー率25% (126/495)
お礼ありがとうございます(^^ > 治療のためにこの質問をしているのではなく、明日は我が身としてうつ病とは何だろうかと思うのです。 恐らくそれを知る手がかりは、心理ではなく脳にあり、脳科学を知る事が、近道ではないかと思います。 なぜなら脳こそが、感情や心理の源ですから。 「われわれの喜びや笑いも、苦しみ・悲しみや涙も、ひとしく脳から発することを人々は知らねばならない。」 ギリシャ時代のヒポクラテスは、こんな言葉を残したそうです。 一説には、脳科学が大幅に発展すれば、心理学などは過去の学問になるとまで、言われているとも聞きました。 もっとも、脳の働きはきわめて複雑で、そう簡単に解明できるものではありません。 解明されるまでの過渡期のツールとしては、心理学や哲学も、必要なのかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >なぜなら脳こそが、感情や心理の源ですから。 ひとつ面白いQ&Aがありますので読んでみてはどうでしょうか 私たちの「意識」というものが脳の中に見つからないらしいです。 もし本当に見つからなければ科学は宗教に歩み寄らなければいけなくなります。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2756493.html
素人ですが、わたしも興味があります。客観と習慣の問題はうつ病とどのように関係してくるのかは全く分かりませんが、主観としての自分は決して客観できないからこそ主観であり得るとすれば、主観である蛇が客観である自分の尻尾を呑み込むようなもので途中でにっちもさっちもいかなくなって苦しむと思います。これをうつ病に重ねるのは少し難しいと思いますが、元来客観の対象にならない自分を無理やり認識しようとしている面もあるのかもしれません。うつ病になりやすい人は自分の意思を無視して行動できる人ではないかと思うのはですが、これは主観としての自分すら客観として扱うということに対応するのかもしれないと思います。案外自分の意思というのは主観としての自分のことかもしれないとも思います。 。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分の意思を無視して行動できる人 これが一般的には真面目と言われるものですね。 しかし、心理的にはそれとこれは違うときちんと自覚しなければならないと思います。 主観と客観のギャップこそが苦痛の原因ではないかと思います。
普遍的な客観というものが理屈上在り得ない訳ですから、如何にバイアス減らして自分を眺められるか、この辺のテクニックを上手く掴みたいなんてよく考えてますね。 私が結構使う手としては・・・ まず自分を雲の上にうつぶせに寝せる、もちろんイメージ上です。 だらーっとリラックスして地上でもがいてる自分をただ、眺める。 特にストレスや不安に駆られている時などは、「おいおい、随分近視眼的になってるな、ちょっと落ち着け、廻りを良く見ろ」、なんて自分につぶやく事が多いですね、置かれている状況がクリアーに見えてくる。 仰る通り突き詰めればこう云う行為には「主観が客観視する」と言う形容矛盾が必ず付いてまわります。 ですが、ある程度分別ある大人ですとほどほどに客観視出来るとの条件付ですが、マイナス方向に自己認識を歪める事は少ないと思います。 それなりに経験や書物により知恵は付いていますから。 例えば「調子の良くない時は往々にして廻りが良く見えなくなっている」、程度の事は分かっているでしょう。 これをちょっとイメージ化してよりリアルな形に出来れば感情も付いて来易くなる、これベター、と考えますね。 客観の下手な例としては・・・、例えば不安を解消すべくあーでもないこーでもないと言葉のみで整理しようなんて事かな?。 不安に限らず負の感情って無くそうともがくほどに強まっちゃうから始末が悪い、イメージに比較して言葉に感情をコントロールする力は弱いと考えますから尚更ですね。 ・・・まとまりの無い内容となりましたが、結論としては上手く客観視する方法を磨く事でリスクは減る、医師による矯正や診断ペーパーテスト等々なども加わればより心強い、大きく横道に反れる事(自己認識の歪み)は少なくなるのでは?。
お礼
ご回答ありがとうございます。 客観をうまくコントロールできているうちはいいのですが、 どんな人間にも限界はあるので、それを超える負荷がかかったときは客観そのものを停止させないと ドツボにはまりますから気をつけたいものです。
- PINGA01
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私は、うつ病患者です。 うつの発病原因は仕事にありました。 会社が合併したために起こった仕事の過度なストレス プレッシャーです。 うつ病に至るまで、過呼吸・突発性難聴・パニック障害と いくつもの病気をしてきたのです。 こんなに病気をしていたら、自作自演なんてやってる気力 なんて持てませんよ。 ただ、自分の置かれた状況や立場を考えることはありますが、 常に自分を客観はしていません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仕事がうつ病の原因なら薬で何とかなるとお考えでしょうか? 普通の人間が自分を客観視しないことはほぼ不可能です。 「私」という言葉をつかった瞬間にそれは始っていると思われます。 ストレス、プレッシャーという心理的要因が鬱の入口だとすれば、 自分の心理について考えることは重要なことだとは思いませんか。
- myau_256
- ベストアンサー率25% (126/495)
こんにちは(^^ うつ病の原因は。大雑把に分けても器質性・内因性・心因性とあり、その上個々のケースを考えてみれば、「これが原因」とはっきり言える場合は、器質性のもの、例えば甲状腺疾患の症状としてのうつなどに、限られるのではないでしょうか。 原因を一言でまとめたいご様子ですが、特に内因性と心因性の区別はかなり難しいため、休養とお薬で回復を目指すことが優先で、原因探しはそれよりはずっと優先度の低く、十分回復してから、改めて考えればよい話です。 余談ですが、動物園で檻の中をぐるぐる回る光景を、見たことはありませんか? これらもストレスによる異常行動と考えられていますが、客観視しないからと仰る動物たちにも、精神に異常をきたすことはあるのですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 うつ病が薬で治るなら全く問題ないです。 ただ、このカテを見ている限りそうとは思えないので色々考えております。 治療のためにこの質問をしているのではなく、明日は我が身としてうつ病とは何だろうかと思うのです。 たいていの場合、心理的なストレスがうつ病の入口ではないでしょうか。 だとすれば心理を理解することは大事なことだと思います。 >観視しないからと仰る動物たちにも、精神に異常をきたすことはあるのですよ 人間が動物を病気にしようと思うなら簡単なことではないでしょうか。
あなたはとても哲学的な思考をする方なので自分を見ているようでびっくりしました。デカルトの言う「我思う故に我あり」です。 自然科学の世界でなければ、もともと絶対的な客観というものは存在せず、 主観内で想定される客観であるのは、あなたの仰る通りだと思います。 だからあなたはどこまで客観的になろうとも「あなた」なのであり、 私は「私」なのです。そういう意味では客観はもろ刃の剣でしょう。 自分が自分のことを最もよく認識しづらいのでしょう。 しかし、それとうつ病とはあまり関係がないと思います。 むしろ、うつ病の結果としてその様に過度に自己を客観視してしまうと いうことはあると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 客観を否定するつもりはないのですが、その便利な道具は使い方によっては非常に危険なものになると思います。 現時点でうつ病の方たちにはピンとこないでしょうが、私たちは自分が何をしているのかという事にもっと関心を持つべきだと思います。
- kyoromatu
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>客観はもろ刃の剣ではないでしょうか。 そんなことはないでしょうねぇ 客観とは、特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なものでありますから、主観とともに臨機応変に判断の際使い分けられることが理性のある意味安定と言えるのではないでしょうか。 諸刃の剣というよりもむしろ、感情対理性のような、どちらもなければならない両輪でしょう。 とにかく物事はあまり小難しく考えないことですよ。問題を単純シンプル化することで解決の糸口が見つけ易くなるハズです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 この世界に普遍的な客観というものがあるでしょうか。 私たちはもっと自分自身への理解を深める必要があるのではないでしょうか。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほどです。 私という存在について「ある」のか「ない」のか。 ここら辺の認識を詰めていくと面白いかもしれませんね。 「私」というものの存在のしかたに関わるのもしれません。 勉強させていただきました。