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建物疎開とはどういう意味でしょうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B を見ると 「建物疎開とは、空襲による類焼を食い止めるために建物の間引きを行う作業である。」 と記載されていますが、 「建物の間引き」とはどのような作業なのでしょうか? 「建物の破壊は軍が行い、瓦礫の処理を奉仕隊が行った。」とも書いてあるのですが よく意味がわかりません。

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  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.4

>「建物の間引き」とはどのような作業なのでしょうか? 火災が「類焼・延焼」しない為に、「重要な建物」の周りに建つ家屋を「強制的に破壊」して「更地・火避け地」とする事です。 重要な建物は、市町村役場・軍事関係・工場関係・教育関係の建物です。 壊される事が決まった建物の持ち主は「強制疎開」とも、揶揄していました。 これは、江戸幕府の防火対策と同じなんです。 「火事と喧嘩は、江戸の花」 火消は、消火目的でなく「延焼を防ぐ」のが目的でしたよね。 燃えている家を壊すだけでなく、火災家屋の風下にある家屋も強制的に倒しました。 建物が密集していた江戸では、この方法が最適だったのです。 火災の後、燃えて(解体して)更地になった場所は「火避け地」として庶民の憩いの場(公園)となります。 東京区部では、今でも火避け地の名残が公園として残っています。 >「建物の破壊は軍が行い、瓦礫の処理を奉仕隊が行った。」とも書いてあるのですがよく意味がわかりません。 先に書いた通り、「建物の間引き」=「建物疎開」は「重要な建物を守る為に、近所の家屋を破壊する」事です。 ですから、破壊は「軍部が、破壊対象家屋を選定し」「軍部が、重機・軍人で破壊」します。 壊す事が軍部の仕事ですから、壊した後の瓦礫は勤労奉仕という名の隣組組織が強制的に駆り出されます。 別の見方をすると、強制的に壊した後は「元の住民に、遺物探して持ち帰る時間を与えた」と解釈する事も出来ますね。 また別の見方をすると、土地の強制収用です。 終戦末期、米軍の無差別絨毯爆撃が全国各地で行われました。 今でも、地方都市のど真ん中に「所有者不明の土地(市町村管理)」が更地になっている場合があります。 建物疎開を行った場所で、「所有者が空襲で死亡」している場合もあるようです。

SUMWSZRGEXCQA
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ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • mm058114
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回答No.3

人工的に『広小路』を作る事です。 『広小路』とは、江戸時代から、火災時の類焼を防ぐために、火除け地として各地に作られました。 この『広小路』は、現代にも地名として残っています。 同様に、戦時中の焼夷弾による空襲火災から、建物1区画を守り、隣の区画からの類焼を防ぐ予防目的に、従来あった建物を人工的に排除し、急遽火除け地を作った物です。 江戸時代の火消しが行なった破壊消防を、事前に大規模計画的に行なったものです。 これには、陸軍の『特設工兵中隊』が予防破壊活動、空襲時には、更なる破壊対処にあたりました。 この『特設工兵中隊』は、全国各地に配備されました。 破壊された廃材の片付けは、勤労奉仕隊の仕事でした。

SUMWSZRGEXCQA
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ありがとうございました。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.2

今でもオーストラリアとか、アメリカのカリフォルニア州の山火事とかの対策とかで、 「水で消せない火事は、それ以上燃え広がらないように、周囲から可燃物(木)を除去して、その内側は全焼させるかわりに、延焼が広がらないようにする」 という作戦があるのです。江戸の火消も、長屋の隣を壊して、火元だけで家事を留める、というので解体道具をたくさん持って集まったのです。 それを、戦時中は、火事が起きる前から、政府が計画的に「あなたの家は万一の空襲のときではなく、もうさっそく壊しておくから、立ち退いて疎開してください」と強制された、というわけです。

SUMWSZRGEXCQA
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ありがとうございました。

  • misa-on28
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回答No.1

太平洋戦争当時の日本家屋は「竹と土と紙と木」で出来ていたと言われるくらい、可燃性の高い代物でした。 江戸での大火の歴史からもわかるように、こう言う燃えやすい建築物が軒を接してたっている日本の都市は延焼に著しく弱いのです。 江戸の火消しは実際のところ火を消すのではなく、火事のまわりの建物を破壊して延焼を防ぐ事を第1の仕事としていました。 空襲で、あるブロックが焼けてしまっても他のブロックに延焼しないようにするために、密集している建物の一部を計画的に破壊し、空き地にする事が「建物の間引き」にあたります。 もちろん建物を破壊しただけでは、可燃性のがれきが残って何のためやら、という状態になりますから、破壊後のがれきを撤去し、可燃物のない火除けエリアを作らなければなりません。 「建物の破壊は軍が行い、瓦礫の処理を奉仕隊が行った。」 破壊は力仕事ですから軍や軍に重用された力のある男性主体の仕事で、破壊されたあとのがれきの処理は女性や中学生などの勤労奉仕にその仕事が割り当てられたという事です。 ちなみに現在の広島市の中心にある平和大通りは戦時中の建物疎開で空き地になっていたエリアとほぼ一致しています。

SUMWSZRGEXCQA
質問者

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ありがとうございました。

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