テーマ「唐傘お化けはいかにかわいいか」
唐傘お化けとは、一つ目で一本足であり、日本の神話に語られる山の神の原型と類似項がある。
世麗美が独自に兵隊みたいに運用する唐傘お化けは、山の神が里に祭りで迎えられる時に、自然霊を擬人化させた「サンジン」「モクジン」とでも形容する体裁で招きに応じる姿のことで、江戸時代に無名でも有能な霊能力者が人の手で任意に再現できる術法を間みだしたものだ。
私は、初期の検証で、世麗美が扱う唐傘お化けとは、人工聖霊とでもいうべき人間存在である私のドッペルゲンガーだと思っていたが、のちにその認識に唐傘お化けから殴り込みをかけられるように、不平を述べられて「そうではない」と否定された。
当初の認識の通りに、自然霊の様相を濃厚にとどめた「人格神確立の原型」の模様だ。
精霊から転じて神事にまつわると、海外では聖霊と形容されるが、
唐傘お化けとは西洋的に形容するなら、私の研究テーマである「古代精霊」そのものと、やはり海外の神学上では定義可能だろう。
ここで、もう一度私の神学上の独自の論考を述べる。
生命の根源というのを形容して、それは過去からの目撃証言で「観念上純粋な光」を意味し、同様であると私が考えるのは「無量光」「アマテラス」「六芒星」だ。
この生命の根源は、純粋な光から、概念が「神」と「魂」に分化して解釈され、こうした人類的な了解は容易に突破することが困難で、さらに掘り下げるのは容易ではない。
神がいないのではないかとは、突き詰めると自分には魂があるので、魂と分化した神なる概念は魂がなく生命ではないのではないかという疑問だ。
それが神が葬送の産物でないかという事だ。
西洋人の哲学者の武勇伝で有名なのを、私なりに解説すると、「神の存在証明」にでも取り掛かりたくなったのであろうが、「自己の存在証明」から取り掛かったら、確かに自分は生きているが、哲学上は自己の存在証明すら確立していないという恐慌のどん底であえいで、そのさなかの絶叫のような論説が「素晴らしい哲学者た」と称賛されている。
そんなもんだよ。
哲学者は常識人から見て、おバカさんです。
この論理上の現象の根底を、生命の根本を象徴する純粋な光とは、認識されると神と魂とに分化されて了解されるという事で、とりあえず納得すると、たたき台として先に進める余地がある。
西洋の哲学は神を論考して神を求める傾向があり、完成するとキリスト型(予言者型)の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。
東洋の哲学は魂を論考して魂を求める傾向があり、完成すると仏陀型の聖職者であり、個人の人格を完成する体裁になる。
私と世麗美の対は、私が仏陀型として自己を確立したので、聖霊の概念を導入して理解するにあたって、西洋型を「天の聖霊」として仏陀型である世麗美を「地の聖霊」と定義した。
ここに「唐傘お化けはいかにかわいいか」という常軌を逸した哲学命題が挟まる。
「地の聖霊 ときわたりの世麗美」というのは、シャーマンである私に連れ添う実質的な人格神だ。その事実が、私が新たなる英知の獲得に挑戦する原動力だ。
世麗美は西洋の聖霊が天使として墜落した存在と交流できるので、現状を確認すると「天の聖霊」とはいえ、もはや地上と接点を作る余地が極めて限られるほどに退化後退しているんだ。
そこで、「古代精霊」とか「自然霊の性質を濃厚に残した人格神のひな型」として、唐傘お化けを借り受けて、西洋の機嫌が喪失した天使たちの立て直しを図っているんだ。
世麗美は日本の神々の先輩から(私は名前を聞いていない)ノウハウを伝授されて、現在で必要な作戦行動で指揮を執っている。
成果を上げて、謝意を込めた口上を、先輩に報告するときに世麗美は、私が名を知らぬ神に話しかけるために「イザナミ様」とかを、精霊伝心を確立する年代接続のために引用するんだよね。
したがって原始性をとどめる「古代精霊」という形容にふさわしいのが、唐傘お化けなのだろう。
唐傘お化けとは、世麗美を我が子とする私という人間にとっては、コウノトリが運んできた「授かりものの我が子」なんだよね。
その点も「天の聖霊」らしい踏まえ方になるだろう。
この唐傘お化けは、どちらかというと濃厚な自然霊の性質により「これから人間に同一化する」「これから人間を学ぶ」「これから人格神になるための種子」とでもいう体裁なので、いかに野蛮人の私でも、途方もなくてこずった。
最近になって、いかにボロボロになっても子供のことを優先する態度が(おもちゃ屋)ようやく認められて、私に一定の信頼を寄せるようになった。
さて、以上がご質問です。
完全に常軌を逸していて、何が質問なのか?哲学者たる奇病に蝕まれていない健康な人には一切不明の事でしょう。
哲学カテゴリーの住人なら、新着入荷のネタとして、何かとこねくり回せると思います。
放っておくと回答が一切つかない質問なので、読書感想文程度や落書きも歓迎です。
何が先に進むネタになるかわかりませんから、遠慮しないでください。
お礼
ありがとうございました。玄奘さんが西に行く、インドに行く、経典と菩薩思想を伝えてくれた、讃えようという大意ですね。感謝します。