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西遊記に三蔵法師?

玄奘は、たしかに三蔵を修めた僧の中でも一番といっていいほど、突出した人ですから、三蔵法師といえば 玄奘といっても、過言ではないとおもいます。 しかし、テレビでやっているような物語で 三蔵法師ってよばれたりしていますが これって唐に帰ってから・・・いわれたんじゃないですか? おかしくないですか? 水戸黄門の天下の副将軍ほどではないですけど

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  • ungaikyou
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回答No.2

私が昔読んだ「西遊記」の物語では、唐を旅立つ時に太宗皇帝が玄奘と兄弟の契りを結び、「三蔵の経典を求めに旅立つので、三蔵と号するがよい」と命じるシーンがありました。 物語中の玄奘はこれ以後「三蔵法師」と呼ばれることになります。つまり、唐を出てから最後までです。 テレビでも何でも、やはりこの物語の「西遊記」を下敷きにしていることは変わりないので、テレビなどでも「三蔵法師」と呼ばれることになります。 「西遊記」はあくまでも「物語」で、史実の玄奘とは違っています。原典の物語からして史実とはかなり違うものですので、そこから派生したテレビ番組などが違っていても仕方ありません。

showta
質問者

お礼

原作の西遊記は、三蔵となっているんで やむをえないですね でも、今回のCXの物語の歪曲はひどすぎますね 先般の、アストロボーイこと、鉄腕アトムの テーマ曲もひどい曲をつけてるし 楽しみにしているファンの気持ちを考えもしない あまりにも、悪道に走っていてものすごく 悲しみにくれました、遅ればせながら、昔の TMを、追加で加えましたが、まあ、ひどすぎる

showta
質問者

補足

たしか、唐の太宗皇帝からは、インドへ行く許可が おりずに、勝手に旅立っていませんか? かえってきても、罪は消えませんが 元々、玄奘ほどの僧を危険な旅に出したくない 玄宗の思いから、旅立ちを許可しなかっただけのこと 苦難の旅から帰ってきた玄奘を喜んで 都にむかえたとあります。 その功績をたたえ、三蔵法師と呼ぶとなっていませんか

その他の回答 (4)

  • dulatour
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回答No.5

#4です。 前回の回答に重大な事実関係の間違いがあったので訂正寄稿します。 玄奘が出発したのは、622年ではなく。629年(異説あり)です。 622年は、成都で玄奘が具足戒を受けた年でした。 なお、追加として、「西遊記」原作者は、 呉承恩という、明代中庸の人で、素性は定かではありません が、西暦1500年から1581年頃の存在だったと言われています。 また、玄奘と「猿」(孫悟空)の関係については、 敦煌近くから10世紀以前の三蔵法師と孫悟空らしき人物?の 壁画が発見されていますが、孫悟空のモデルが何なのかはあまり定かではありません。 さらに、玄奘は180センチ以上の偉丈夫だったそうで、 「深っちゃん」のような華奢でちっこい身体では、大旅行は出来ないですよね。 謹んで、ご訂正いたします。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.4

#1です。 歴史上の玄奘は、国禁を犯して旅立っています。 西遊記は、前も書きましたように、玄奘の死後、千年近く後の明代に書かれたフィクションです。 なお、玄奘は長安を出発する前に、太宗とは会ってはいません。渡印するまえの玄奘は学識はあっても、皇帝に謁見できるほどの立場ではありませんでした。 また玄奘の兄は、玄奘が出国の思いを遂げるため長安に向かう時に、出国を断念し成都に留まって、出国の際には、同行していません。 玄奘の「大唐西域記」によれば、よればですよ、玄奘は、622年(貞観3年)に独りで長安を出発し、西域に向けて旅立ちました、とさ。 645年(貞観19年)、1月24日、長安に帰着。2月1日、洛陽にて太宗に謁見。このときが、太宗との初見です。(太宗は初唐の皇帝で、玄宗は盛唐の皇帝です。お間違いのないように・・・) 因みに、中国では、玄奘を「唐僧」と呼ぶのが一般的です。 また、現在も洛陽に玄奘から47代目にあたる子孫がいます。 歴史上の玄奘は、実在の人物ですが、「西遊記」の「三蔵法師」は、玄奘をモデルとしたフィクションです。 おわかり、頂けたでしょうか。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.3

#1でーす。 確かにungaikyouさんのおっしゃる通り、 よくもう一度、「完訳 西遊記/村上知行箸」をみたら、ありました!。 太宗が玄奘を会見する場面で、観音菩薩から「大唐の天子に申し上げる。西方インドに三蔵の妙文あり。十万八千里の隔たりを越え、み許に伝えまつらんとす、妙文を求めに出づる人を選ばせよ」と言う色紙が舞い降り、それに応えて、太宗は玄奘に托鉢用の純金の鉢を西方インドの妙文に因む「三蔵」をいう雅号を与えた、と書いてありました。 大変失礼いたしました。いつの間にかではなく、私が読み飛ばしただけでした。

showta
質問者

お礼

確かに、物語としての玄奘は、太宗から三蔵の名をおくられているんで、やむをえないんでしょうが、 今回のCXの西遊記は、どうも、その原作をも 混乱に貶めるような、非道いできですね なんですかね、あの羽根というか、葉っぱというか あれ、雲じゃないし 先ごろ、映画化されたサンダーバードの変わりように嘆いたのと同じ、嘆きがあります。 ところで、玄奘をいつになったら、馬に乗せてやるんですかね 西遊記の見所は、流石の孫悟空もやはりお釈迦様の手のひらの上からは所詮逃れられないという、戒めにあるものだし、やれやれどうなっているんでしょう

showta
質問者

補足

玄宗は、許さないんですよ だからやむなく勝手に兄と一緒に旅立つんです

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.1

村上知行さんの「完訳 西遊記」を見てみたのですが、 「三蔵法師」の最初の登場の場面では「玄奘」となっているのですが、いつのまにか、「三蔵」を求めにインドへ行く僧ということから、悟空が「三蔵法師」と呼びかけていますね。 あくまで、村上訳の話ですが。 いずれにしても、西遊記は明代の成立ですから・・ 回答になっていますかね~

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