※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「衝動」について)
なぜ「衝動」はコントロールできないのか?
このQ&Aのポイント
一般的な人間でも自覚や反省ができる自分の悪意に流されるのは、衝動の力によるものではないか考えられます。
衝動は強く抑圧されたものが外に出ようとする際に助けとなるエネルギーですが、それをコントロールする理性もあるため、悪意に流される理由は謎です。
「悪人」とは明確な犯罪行為ではなく、日常的に潜在化している暴力を止められない人も理性を持っているはずですが、それでも衝動がコントロールできないのはなぜなのか疑問です。
脳に欠陥があるサイコパスではなく、自分の中の悪や悪意について多少自覚し、反省もできる一般的な人間が、自らの悪について客観視できてもなぜその悪意に流されてしまうのかと考えてきました。それは衝動からではないのか。と思っていますが、まだ納得できません。
なぜならば、衝動は強く抑圧されたものが外にでようとするときに助けたエネルギーですが、衝動をコントロールする理性もこうした「悪人」にはあるからです。
そしてこの場合の「悪人」とは殺人などのあきらかな犯罪行為ではなく、日常的に潜在化、また顕在化している静かな暴力(それをハラスメントというのですが)をやめることのできない人もそうした理性を持っているはずです。
それでも「衝動」が治らないのはコントロール力でしょうが、なぜコントロールできないのか?という疑問です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >百科事典的な詰め込みの知識に留め、自分の生きているリアルな世界の認識の深まり(世界観)として統合されていないからだ。 頭はあたまでっかち、心は反社会的、非社会的な傾向がある人もいます(私の知り合いでも)。 賢く、頭の回転もいい。ですが、その「百科事典的な」頭のほうが重く、リアルの世界で養うべき世界観(心)の方が軽すぎる…と、その人を観察していて思います。 「書を捨て町に出よ」ですね(笑)