- ベストアンサー
北斎は「富嶽三十六景」で旅に出た?
葛飾北斎のこと、とくに富嶽三十六景について調べています。 北斎はその人生において名古屋や信州小布施、関西に旅したようですが、富嶽三十六景を描くときにはそのための取材旅行をしたのでしょうか? 今調べている感じだと、それまでに行った場所は取材の使い回しができるとして、足りない部分は改めて取材の旅に出たのかな、と想像しているのですが。 富嶽三十六景のための旅行の記録がありましたら、教えていただけないでしょうか? また、現地にいかず、人が描いた絵などをもとに想像をふくらませて描いたのだ、という事実もあれば教えてください。 よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (1)
noname#224207
回答No.1
お礼
ご回答ありがとうございます! >逆さ富士を探しに諏訪まで行ったのであれば、ほかの絵に関しても、取材旅行に出たとしてもおかしくありません。 『諏訪湖氾濫三百年史』なる資料は知りませんでした。確かに、諏訪以外にも取材旅行した可能性は十分ありますね。 「波の伊八」も知りませんでした、驚きです。北斎は「百富士」や西洋画など、いろんな表現に学んでいたのですね。過去の作品ももとになっていますし、天才といえど、悩んで試行錯誤して絵を描いていたのでしょうね。 とても勉強になりました、ありがとうございました!