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小生の記憶では、逓信、国鉄、郵政などが、(分割)民

小生の記憶では、逓信、国鉄、郵政などが、(分割)民営化されていったのを覚えておりますが、電力会社は私が産まれた頃から、社会の重要なインフラでありながら既に『分割民営』されていました。ガスもそうでしょうか?他のインフラ企業とは違い、電力会社がこのような経営スタイルを採るようになった歴史的経緯はどういった理由からなんでしょうか?詳しい方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。宜しくお願い致します。

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  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3924/12456)
回答No.2

電気は、 最初は民間事業でしたが、 昭和に入り開戦間際になると電力統制が必要になり、 日本発送電という特殊法人が国主導で作られ、発送電はこの法人で行うことになり、 配電は民間事業者で行うことになりました。 この時にできたのが電気事業法です。 戦後、GHQの戦後処理の重要課題の一つである「日本の戦時体制を支えた戦争犯罪人の逮捕と、戦争に協力した独占資本の解体(財閥解体)」において、国策会社として設立された日本発送電も含まれることになり解体されました。 解体に伴って、保有施設や権利(水利権など)が、現在ある9電力会社に移管されました。 確か昭和26年頃のことです。 瓦斯は、 明治4年に高島易断で有名な高島嘉右衛門が横浜に日本第一号のガス事業を興しました(イギリス人とともに)。 その4年後、東京府で東京府瓦斯局が設置され、9年後に渋沢栄一らに払い下げられて、今の東京瓦斯株式会社の前身となる東京ガス会社としてスタート。 明治21年ごろに、銀座に発電所がたてられたことにより、電気が普及し始めたので、ガス灯の需要が無くなり始めて、熱源へ方向転換していきました。 この時点で、ガス会社は日本で3社、東京、横浜と神戸の居留地だけでした(居留地は当然日本人は使用できない)。 対象に入り日本全国でガス事業者は増えていきますが、第一次大戦後の不況で減少。 昭和になるとまた増えていきました。 戦中は物資不足などで、小さなガス会社が立ち行かなくなる中、国策で大きなガス会社に合併させて行きました。 戦後になっても、空襲などで被害を受けた中小のガス会社は自力で復旧が出ずに大きなガス会社に合併視されていきました。 大雑把ですが。

masahiko1107
質問者

お礼

詳しく教えて頂いてありがとうございました!

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その他の回答 (3)

noname#252929
noname#252929
回答No.4

>電力会社は私が産まれた頃から、社会の重要なインフラでありながら既に『分割民営』されていました。 そもそも分割民営化されたのではなく、元から民間会社で、公営事業じゃなかったんですよ。 民間の電力会社が再編されて、今の形になっただけです。 もともと民間企業ですので、民営化しようがありません。 電気なんて言うインフラは、無くても良かったからなんですよ。 明かりなんて、石油ランタンで住んで居ましたし、そもそもTVなんてありませんでしたからね。 公営にしたら、やすく張り巡らせなければならないですが、そんなに必要とされてないかったので、公共事業にはならないでそのままいるだけです。 一般家庭の電気契約を見た事はありませんか? 一般家庭の場合は、「電灯」と言う契約です。 そもそも初期のころは、電灯(ランプ)しかなかったので、その時の契約形態が残ったまま今でも電灯と言う契約が残って居るんです。 初期のころは、電気料金メーターなんていう物はなく、コンセントの数で毎月の値段が決まって居たのです。 その名残はまだ電力会社の電気を契約する時の申請書に残って居るんです。 電力会社の契約書類には、その契約する家のコンセントの数が、今だに登録されているんですよ。 経営形態は都市部にすく数の電力会社が出来、地方部をカバーする電力会社が合って、sれらを今の営業地区で合併させていって今の形になったと聞いて居ます。 スタートが違うんです。

masahiko1107
質問者

お礼

コンセントの数で、というのは気付きませんでした。勉強になりました!

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  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7995/21384)
回答No.3

元々電力会社は民営だった、という点が大きいかと。 鉄道は元々「鉄道省」という国の一機関、逓信も「逓信省」という 国の一機関で、民営じゃなかったはずです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E7%9C%81 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%93%E4%BF%A1%E7%9C%81 一方電力は、例えば「京都電灯」などのように、電力・配電と、鉄道 会社が一体となっていたりして、戦時の統制でも「日本発送電」や 各地区の電力会社になっただけで、国営化はされていませんでした からね。その辺はガスも同等だったはずです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%9B%BB%E7%81%AF

masahiko1107
質問者

お礼

そもそものスタートが違ったんですね。そう考えると納得できます。ありがとうございました!

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回答No.1

電力はアメリカの占領政策の下で、独占禁止法の精神から大地域単位に分解されました。 国鉄、郵便事業、電信電話事業は公共性の高さから、国営のママ残されていました。 国鉄は中曽根政権の時、解体されました。JTの民営化もこの頃かと思います。 逓信事業の内、電報電話事業はかなり早くから郵政省外局の形で公社化されていました。 三公社五現業体制に、最初にメスを入れたのが中曽根内閣。昭和50年代、「スト権スト」を仕掛けて国民の総反発を買ったのが、社会党・総評の命取りになりました。 郵政解体を公約に選挙に大勝した小泉内閣は、ついでに年金事業まで民営化してしまいました。 郵便貯金と簡易保険、それに莫大な年金基金を株式投資に回させるため、「低金利政策」と併せて断行されました。「消えた年金問題」等もこの時暴露され、未だに解決されていません。

masahiko1107
質問者

お礼

郵政民営化に関しても色々知りたいことがあります。またの機会に宜しくお願い致します!m(_ _)m

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