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旧国鉄を利用したことのある方へ:国鉄時代の思い出を教えて!
私は1980年代の初頭に生まれながら、 たったの一度も旧国鉄を利用することのないまま、 1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてしまいました。 元は「日本国有鉄道」という一つの巨大企業だったものの、 分割民営化した現在では、同じJRでも各地域会社ごとに、 ホーム等の雰囲気や風景に差が出てきています。 例えば、駅名表示板に使われている色も各社で異なるし、 旅客6社のうちでJR東日本の駅ホーム売店だけ、 「キヨスク」を「キオスク」に名称変更しています。 そして、戦後の旧国鉄は公社(公共企業体)であり、 国の官庁組織を離れた法人組織であったにも関わらず、 司法警察権を持つ職員がいました。 (駅長、助役、専務車掌、鉄道公安職員など。) 民間会社となった現在では、自社独自の警察機能はなくなり、 私鉄の場合と同様に各都道府県警が警察活動をしています。 このように、旧国鉄は現在のJRと異なる点がありました。 不本意ながら実際には旧国鉄を利用したことのない私のために、 現在のJRでは見られない風景について色々と教えてください。 よろしくお願いいたします。
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東京や名古屋で国鉄を利用していた学生時代は、こんなもんだろうと思っていました。電車は常に正確にダイヤを守っていましたし、職員もそつなく仕事をこなしていました。 ところが、驚いたのが民営化初日。奇しくも私にとってこの日は、私鉄駅からJR駅に引っ越して初めての出勤日でした。なんと、JR吉祥寺駅の駅員たちが揃って、出勤客一人一人に向かって「おはようございます!」と叫びながら切符を切っていたのです。自動改札が少なかった時代とはいえ、私鉄駅でも、あそこまで大声ではきはきと挨拶する光景は見られなかったものです。 民営化に伴ってJR東日本は「サービス課」という部署を設けて、さまざまなサービスに乗り出しました。何しろ、国鉄時代に欠けたいたのが「サービス精神」ですから。たまたま仕事で片足突っ込んでいた私は、職員の意識を改革するにあたっての裏話を、たくさん聞かされたものです。中でも、スチュワーデスが接客指導に出向いたところ、職員から「なぜ『お客様』じゃなくて『お客さん』と呼んじゃいけないんですか?」という質問が出たとのことで、カルチャーショックを受けたのだとか。 ちなみに私が利用していたJR中央線という路線はちょいと複雑で、ほとんどの電車は新宿~三鷹間が各駅なのですが、うっかり稀に来る「特快」に乗ってしまうと、中野で停車したあと、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺、を全部通過して、三鷹まで停まってくれません。吉祥寺に住む私などは一駅戻ればいいのですが、高円寺で下車する予定の利用客にとってこれは大ショックです。「あ、通過した!」という思いをずっと引きずったまま三鷹まで地団太を踏む羽目になるわけですからね。 民営化間もなく、そんな利用客が三鷹駅のホームで駅員を怒鳴りつけているのを見たことがあります。「民営化したのに何事だ!」みたいなことを延々と言っていたのを鮮明に覚えています。それに対して駅員は、乗り間違えた客を避難することもなく、ひたすら丁重に頭を下げ続けていました。まあ、今で言ったら、理不尽なことを言う市民に対しておまわりさんがひたすら頭を下げるようなものですよね。国鉄時代には想像できなかっただけに、駅員をあわれに思ったものです。 良い意味でも悪い意味でも人間味があった国鉄時代の空気が、民営化の波とともに改良されつつも失われていく気が当時はしたものです。あれから20年、今は安定して、JR職員の丁寧さも板につき、それでいてほどほどに融通を利かせてくれているように感じます。 余談ですが、当時は、私鉄でもバスでもタクシーでも、女性職員は皆無に等しかったですよ。そのまた昔、1960年代には、路線バスに女性の車掌さんが乗っていたものですけどね。
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昭和20年代生まれの私の感想は…、 駅員や窓口職員の態度が最悪だった これに尽きます。 横柄で、不遜で、傲慢で。 国鉄ぐらい感じの悪い人が揃っている職場って、見たことありませんでした。 (これは都市部の話です。地方の国鉄については分かりません) 自動改札機ではなかった頃など、改札口で切符を渡そうとするとひったくったり、ホームの駅員に何か訊いても偉そうにあごで示したりね。 客のこちらが「~~ですか?」と訊いているのに、駅員は「~~だよ」ですから。 特に相手が女子供と見ると、ひどかったですねぇ。 そんなわけで、良い思い出って何もないんですよ。 民営になった時には、嬉しかったですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 やはり“準公務員”による横柄な対応もあったようですね。 質問本文でも書きましたが、国鉄時代の駅長や助役や専務車掌は、 特別司法警察職員に指定されており、警察権を行使できました。 当時の国鉄職員による横柄で怠惰な捜査を原因とする、 痴漢などの冤罪事例が起きていないといいのですがね。
- code1134
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(No.11さんも挙げられた)「周遊券」に関して、鉄道省(更に遡れば鉄道院)を前身とする公共企業体ならではの国鉄の"オマヌケ"な時代の話を・・・ 周遊券の中に東京発&山形蔵王方面へのタイプがあったのですけど、元来は経由線区名表示式で"東北&奥羽両本線"との選択肢が含まれていました。 すると どうなると思われます ?? 知恵を働かせ 東京から"福島&盛岡等を経て青森迄北上し、秋田&新庄等を経て南下し、山形と廻るケースが時として発生した そうです。 それに懲りたのでしょうか?国鉄は表示を"東北本(福島駅)奥羽本"と変更した 話を専門誌等で読んだのを何故か 思い出しました。 大した内容でないのに カキコんだ点はお詫びして置きます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 民間企業となり完全営利主義になってからは、 なかなかお目にかかれない「サービス」ですね。
- hiroki0527
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僕が小学生の頃の横浜線(十日市場や成瀬が無い頃)は今と違って茶色い73系電車がガタピシ走っていました。 まだ鉄道小荷物が現役の頃で、午後3時頃の電車の先頭にはクモニ13型荷物電車が繋がっていました。 当時ヤマトの宅急便はメジャーではなく、郵便小包か鉄道小荷物でしたし、普通の家に荷物が来ることはそう無かった記憶があります。 当時横浜線は全線複線ではなく、時々すれ違いをしながら走っていました。当時のミニコミ誌を見ると、ラッシュ時の電車本数、両数ともに今より遙かに少なかったので、ラッシュ時の混雑率は240%近かったことがかいてあり、冷房車の無かった当時夏は非常に大変でした。 (東急田園都市線も「ニセクーラー車」が多かった時代で、なおかつ新玉川線ではクーラーを切っていた時代です) 自動改札機はほとんどの駅でなく、改札で駅員氏が硬券をパチンと切っており、新幹線切符は新横浜まで買いに行っていました(みどりの窓口がそこしか無かった)
お礼
ご回答ありがとうございました 出来るものなら、切符を手で切る時代へタイムスリップして、 私も国鉄に乗って旅に出てみたいものです。
- santana-3
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今では無いのか、「周遊券」と言う切符がありました。青春18切符とは別の物でしょう。 北海道とか東北とか、地域別に使用期間が決まっていて、その期間内なら国鉄の急行、普通列車や国鉄バスに乗り放題でした。 いつもYHを利用した貧乏旅行の強い味方でした。 区域内で下車すると、小さいスタンプを押してくれて、それが周遊券一面に押されるのが楽しかったです。 今でも北海道旅行の写真アルバムに、70程のスタンプが押された周遊券が写真と一緒に貼り付けてあります。 改札で記念に欲しいと言うと、内緒で貰えた時代でもありました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 写真が見られるとは嬉しい限りです。 いっぱいスタンプが押してありますね。 自分だけのいい記念品になりそうですね。
- nishinarit
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国鉄だけではなく、当時はどの企業もそうでしたが、日付を記載する時は元号が当たり前だったのが印象的です。 例えば、ダイヤ改正の「ヨンサントオ(昭和43年10月)」は、あまりに有名ですね。 もちろん窓口で手続きをする時も元号です。 西暦なんか使おうものなら「おたく外人さんですか?」と真顔で聞かれるような環境でした。 しかし、JRになってからは平気で西暦を使う。 JR社員は全員外国人なのか?と本気で疑いたくなる。 自国の年号(歴史)を胸を張って名乗れない組織が、自国の鉄道を守れるはずがありません。 現在のJRは、かろうじて切符だけ元号ですが、これも西暦になってしまったら日本の鉄道は終わりでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私も西暦より元号の方が好きです。 ただ、現在では便宜上、西暦を使うことが多いのも事実です。 自国の文化に誇りを持つ人が減ったというよりも、 情報社会化の影響で西暦を使う人が増えたのではないでしょうか? コンピューターネットワーク上においては、 外国と通信する関係上、西暦を使わざるを得ない場合もあり、 それが原因で純粋な内国の情報処理過程であっても 西暦が用いられるという慣習が浸透したのだと思います。
- hhhhkkkk
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子供の頃、まだ切符を切っていた時代 誰も改札を通らないのに改札の人が 「カンカン」 切符を切る道具を鳴らしていました(リズムカルに) また駅により切符を切る形が違うと知って、色んな駅の 切り口に興味をしめしてました なんだか、懐かしい いい思い出です・・・
お礼
ご回答ありがとうございました。 ICカード自動改札機にかざして乗り降りするのが 都市部では当たり前となった現在から振り替えると、 それは回答者さんにとってなんとも懐かしい光景なのでしょうね。
- ssri
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無人駅が少なかった。列車関係だけの会社だった。 現在は、列車以外の仕事をしています。 JRの団体旅行で、JRの列車、バスをつかわなかった。JRの団体旅行で、外国の列車なら、のったことがある。JRの団体旅行は、JRの列車をつかわない?
お礼
ご回答ありがとうございました。 おととし旧日本郵政公社が分割民営化されてから、 過疎地の郵便局が無くなるという問題が起きているそうです。 旧国鉄の分割民営化の際にも、無人駅が増えたようですね。 現在のJR各社には子会社が沢山あって、 様々な事業を展開していますね。
- ice rub(@icerub)
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国鉄時代は 駅員の髪がやたらに長かったし、駅構内も汚かった、女性駅員なんかいなかった 列車が遅れたり、電車の横に「闘争」だの「国労・動労」などの文字が踊っていたし、順法(遵法)闘争ってのもあったね それに切っても切れないのがベトナム戦争や安保や大学紛争、当時の国労・動労の人たちは今でも筋金入りです 線路の敷石が無くなったり、壁や椅子が燃えてたり、乗客VS駅員がマジで石を投げ合った時代もありました でも事故や災害の復旧は今より早かったです 何ていうか、会社員でなく電車職人の集まりって感じでした
お礼
ご回答ありがとうございました。 私も実際には旧国鉄は一度も利用したことがないものの、 駅構内や車内が汚なかったというイメージがあります。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
いい意味でも悪い意味でも、「親方日の丸」の代表格といったら国鉄でしたね! 昔は国鉄マンには誇りがあって、自分が動かしているんだ、という自負がありました。それと、お嫁に出すなら国鉄マン、というような時代もありました。 国鉄といえばストライキです。 めちゃ労組が強くて団結力がハンパじゃなくて、特に動力車労組は「鬼の動労」と呼ばれてました。ストライキのおかげ?で高校が臨時休校となったこともありました。 総武線の千葉動労にその名残を見ることができますが、分割民営化後も、千葉動労はJR東日本と対立して、時々「順法」をやってました。 国鉄時代は特徴的な車両が沢山あって、鉄分の濃い人にはうれしい存在でしたが、段々となくなって、いつのまにか「市場の競争原理」に取り込まれました。 吊り掛けモーターの音=国鉄、という印象です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 旧国鉄といえば私もストライキのイメージが強いです。
親戚に国鉄職員がいました。(JRになる前にとある機関に転職しましたが)新宿のJR病院で亡くなったので、ある意味鉄道人生を全うしたといえますね。車掌さんとかじゃなくて技術屋さんだったのですが。 たしかに正義感のつよいかたが多かったかもしれません。 風景は変わらないですよ。 そういえば最近は「E電」って看板見かけなくなりましたね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 国鉄時代をほとんど知らない私にとっては、 旧国鉄といえばストライキのイメージが強いです。 正義感の強い方も多かったのですね。
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お礼
ご回答ありがとうございました。 とてもリアルな体験談ですね。 吉祥寺駅にはJR中央線と京王井の頭線が乗り入れています。 京王といえば、首都圏に数ある私鉄の中でも、 接客がとても丁寧なイメージがあります。 当時の新生JRも京王に負けじと必死だったのかもしれませんね。 戦後の公社化から民営化するまでの間、国鉄は、 乗客を目的地まで運ぶというサービス業でありながら、 同時に鉄道公安制度に基づき乗客に対して取り締まりも行うという、 何とも不思議な企業体でありました。 職員さんも複雑な心境だったのではないでしょうか? 民間会社が警察権を行使するのは適切ではないという理由から、 民営化の際に自社の鉄道公安組織は廃止され、 代わりに各都道府県警察に鉄道警察隊が発足しました。 米国の動物愛護団体のように、 他国では民間組織が警察権を持つケースもありますが、 日本では民間人に警察権を与えることは、 基本的にタブー視されているようです。 郵政民営化の際にも郵政監察官が廃止され、 警察に捜査権が移管しており、一部で不安の声があがっています。 ちなみに、日本の郵政民営化を後押しした米国では、 郵政は民営化されていない上、 郵政監察も強化する方向にあるようです。 国鉄時代の鉄道公安活動の様子って、 どのような感じだったのでしょう? 私も鉄道公安職員を見てみたかったと悔いています。