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志賀島の金印
これが本物だってなぜわかるのですか。 誰かが勝手に作った偽物かもしれません。 他に何か一緒に出たわけでもないし、 ただ金印が出ただけなのに、 どうやって本物だと認定したのですか。
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金印の真贋については昔から議論されています。 まだ真にせよ贋にせよ学問的な定説はないようです。 まぁ~贋とされていないから真としておこうということです。 元々は福岡黒田藩のお抱え儒者が本物と断定して黒田家の家宝としたのが始まりです。 以降転々として1931年(昭和6年)と1954年(昭和29年)にそれぞれの時代の法律に基づいて国宝と指定されました。 現在のように考古学が発達していない時代に見つけ出されたとされていますので、今となっては副葬品があったのかどうかも分かりません。 そもそもが掘りだされたとされる地点も学問的には確定されていません。 詳しくは下記のサイトをご参照ください。 国宝「漢委奴国王」の金印:本物? それとも江戸時代の偽作? www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_07_22.htm 学説や法律のやっかいなところは、一度確定してしまうと、それを否定するためには、厳密な証明を求められます。 贋作である、という証明をしなくてはなりません。 本物であるという証明がないから贋作だ、という論法が成り立たない世界です。 「他に何か一緒に出たわけでもないし、ただ金印が出ただけなのに」ということだけでは受け付けない世界です。 上記のサイトにもありますように、贋作だと証明しよとした学者さんはいたようですが、証明方法が、刑事事件で言えば状況証拠だけだったために、余り支持されなかったようです。 今更、物証と言われてもね~ 蛇足 考古学と歴史学というのは素人からすれば同じように見えますが、当人同士では天と地ほど違うようです。 考古学はあくまでも「物」に立脚して議論します。 これに対して歴史学は、あくまでも「文字史料」に立脚して議論します。 後はお互いに相手の見解を補足資料として扱います。 金印は文字の数も少なく、これ自体を歴史学の資料とするには情報が少なすぎます。 周辺資料をセッセと捜しだしてはいるようですが真贋を判定するのには足りないようです。 一方考古学で扱おうとするには、材質が金のため制作年代が特定できません。 今後類似品が沢山出土したり、鋳型が発見さるようなことがあれば話は変わるでしょう。 今まで古代朝鮮や周辺国の遺跡から類似したもは見つかっていますが、決め手に欠けているようです。
お礼
疑問氷解です。 やはりそうですよね。 確定したものとはいえないのでしょう。 でも私は信じたいですが(^^;) 贋作だと証明するのは悪魔の証明みたいなもので、ほぼ不可能でしょう。 まあ、本物かなと。 ありがとうございました。