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武士の年末年始

武士やお殿様も年末年始は休みだったんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.6

 とんでもありませんね。1年で1番忙しかったのではないでしょうか。少なくても正月は、1年で1番江戸町内で武士をたくさんみかける日だったそうです。  手元に旗本の場合があります(江戸旗本事典)が、  1月1日は譜代系の登城が必要で、「年始御礼」の儀があります。着る物も決まっていて、元旦は「装束」です。  当然、譜代の格式にあった行列を組んでの登城となりますので、暗いうちからてんやわんやの大騒ぎ。  2日が、同じく「年始御礼」で、出席者は外様系。衣装は「装束」。  3日は・・・ と儀式の繰り返し。なにからなにまで決まっていました。例えば3日夕刻からの「御謡初」では、麻・熨斗目・長袴の姿でなければならなかったそうです。  「出ません」というわけにも、「行けばいい」というわけにもいきません。準備が大変でした。  そのほかに、役に就いている人(御家人も同じ)は直接の上司に年賀の挨拶に行く決まりになっていました。  もちろん、衣装も決まっていますし、格式に応じて馬に乗ったり槍などをもった奴を連れてのご挨拶でなければなりません。今のように、車で10分とかいきません。騎馬以外全員が徒歩ですので、時間がかかりました。  ようやく行っても、その上司はさらに上の上司に年始のご挨拶に伺っていますので不在。名札に名前を書いて差配役の武士に渡して帰るというだけのものですが、行かないとクビですので行かないわけにはいきません。  帰宅してからは、家臣たちの挨拶をうけないといけないわけで、大変だったようです。  もっとも、下級武士だと、同じ職務の人間が寄り集まって住んでいました(例えば八丁堀とか)ので、直接の上司もすぐ近くにいたわけで、そこへ行けば終わりだったようです。

noname#250381
質問者

お礼

むしろ元日が仕事スタートだったんですね! 3日まで儀式や着物まで決まっているとはびっくりました

その他の回答 (5)

回答No.5

戦国時代の話をするなら お正月は戦をしないと言うのが暗黙のルールです あの卑怯者の松永弾正でさえ 正月は城に篭って家族サービスしてましたからね 家臣たちは主君に挨拶しに行くのです

noname#250381
質問者

お礼

正月に戦をしないというのは初耳でした。そこは暗黙の礼儀のようなものがあったんですね

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.4

殿様や家老は別として下級武士には当番日と非番日があり、交代勤務のようなものです。現在のお役所のような一斉休日はありませんでした。現在のような週休もありませんでした。 参勤交代で江戸に付いて来た下級武士は非番日には江戸の名所を土産話にするためにしげしげと出かけていました。お金を使う遊びではなく手弁当での小さな日帰り旅行です。江戸の手当ては蓄えて国許に持ち帰りました。 年末年始が当番日になれば手当ても多くなって喜んだに違いありません。

noname#250381
質問者

お礼

下級武士は警察官のような感じの交代勤務だったんでしょうか。手当てを蓄えて国に帰るというところは古き良き日本人ですね~

noname#224207
noname#224207
回答No.3

武士というのは本来の業務は戦です。 即ち軍人ですので平時にはさしたる仕事はありません。 事務官僚としての仕事があっても精々三日か十日に一度登城するぐらいのものです。 一つの仕事をよってたかってやっていました。 まぁ~現代流に言えばワーキングシェアーです お城の櫓の番人みたいなのもありました。 当番の日に登城して翌日まで櫓の中でじっとしているというようなものです。 仲間で弁当を持ち寄って食べるのが楽しみみたいな仕事です。 参勤交代の行列要員として江戸へ出れば、一年後に帰るまで全く仕事はありませんでした。 江戸の仕事は江戸勤番の専任者が片づけていました。 およそ暇な連中です、年末だから年始だからといって特別なことはありません。 逆にご家老や奉行など偉い人は朝から晩まで一年中休日など一切なしです。 お殿様即ち大名となると大変です。 江戸にいれば譜代であれば1日に江戸城へ登城して将軍に挨拶をしなければなりません。 外様であれば2日に登城しました。 ご家老などの重役さんたちは、お殿様のお駕籠に同行して行列を組みました。 江戸城内へは入れませんから、外でお殿様が出てくるまでじっと待っていました。 雪が降ろうが風が吹こうがひたすら待ち続けました。 江戸城の前で焚火などもってのほかです。武士たるもの何を心得違いしているかとやられてしまいます。 お城から帰ってもご親戚筋へのあいさつ回りなどで走り回っていました。 他家からのあいさつも受けなくてはなりません。 お殿様は国元にいれば、将軍様と同じように新年早々家臣のご挨拶を受けなくてはなりません。 この御家老など偉い人の家臣は、御主人の支度やら後片付けで大忙しでした。 平和な江戸時代にはお正月のみならず、節句などの行事を仰々しく滞りなくやるのが武士の仕事でした。 偉い人ほど忙しくて下へいけばいくほど閑だったというのが江戸時代のお侍さんです。 ということで、おそろしく忙しい人もいれば全く閑な人もいたという回答になります。

noname#250381
質問者

お礼

なるほどー。行列要員で一年ヒマというのもすごいですね(笑)。武士がヒマというのは平和なことでよいのかもしれませんが

  • mshr1962
  • ベストアンサー率39% (7417/18945)
回答No.2

年末年始のお祝いはするだろうけど、年中無休ですよ。 最もお殿様は、地元の城で配下の挨拶を受けてるか 江戸城参内して将軍や老中への挨拶廻りしてるかでしょうけど。。。

noname#250381
質問者

お礼

年中無休! 現代のサラリーマンよりハードかもしれませんね

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

今の皇族と同じで、行事がありましたから休みではありません。下級武士は分かりませんが。

noname#250381
質問者

お礼

ゆっくりできるどころではなく多忙だったんですね。武士は大変ですね

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