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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:周りに人がいるのに一切関わらず健全に生きていけるか)

周りに人がいるのに一切関わらず健全に生きていけるか

このQ&Aのポイント
  • 周りに人がいるのに一切関わらず健全に生きていけるかについて、笑い話のような実例がある。ある山の村で一人で暮らしている人がいて、村人から「人は一人で生きていけないっていうけど、あの人はひとりで生きているんだ。すごい」と言われていた。しかし、村が火事になり村人たちは引っ越すことになり、その一人で暮らしていた人も一緒に引っ越すことになった。その引っ越した場所は村から近い別の山だった。この話は笑い話のように聞こえるが、実際に自然の中で一人で生きていく人も存在する。日本でもそのような人たちがいるが、彼らは一切関わらない代わりに他人からの注目を受けることを生きがいとしている。
  • しかし、もしも人と関わらず存在していることすら意識されず生きていける場合でも、周りに人がいる場合はどうしても他者と関わろうとしてしまう気がする。周りに人がいる状況で人付き合いをしないと、欠乏感を感じることがあるかもしれない。しかし、どのような状態になれば健康を維持しながら人付き合いをしなくても生きていけるのだろうか。
  • ただし、コミュニケーション障害のある人や精神的に健康でない人は除外する。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.2

>周りに人がいるにも関わらず人付き合いを一切せずに生きた場合欠乏感を感じず健康に生きる事は出来るのでしょうか? 他人と一切関わらずに生きることは可能ですが、そのひとは(精神的には)健康とはいえませんね。なぜなら、正常ではないからです。一般的に言って、人間は何らかの目的があって、それを生きがいにすることで生きるつらさに耐えるのです。単に生きるために生きるというひとは心を病んでいるといえます。 もっとも、その人の内面にその人にしかわからない目標があって、それに近づくためにそういった修業のような生活をしていると考えることもできます。しかし、正常な人間ならその目標にちかずくということ、そしてそういうことに向かって努力しているということをそのひとは誰か他人に知ってほしいと思っているはずです。何も残さずに死んでいけるという人間は普通はありえませんし、それ自体が心を病んでいるといえると思います。普通の人間にはできないし、異常なことだからです。 >どういった状態になったら健康のまま人付き合いを周りに人がいてもやらずにいられますか? 上記の状況を離れて、普通人がそれをする場合、やはり何らかの人為的な記録を残していくということが必要だろうと思います。そういうことで普通人に(最少限でも、後世において)コミュニケーションが成立する、理解させる、理解できるということです。それが(健全かどうかは疑問ですが)正常な人間である最低限のしるしでしょう。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます 深いです!

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その他の回答 (3)

回答No.4

言葉の意味や定義が問題ではないかと思います。 「人が周りにいるのに人付き合いを一切しない人も中にはいますがそういった人はコミュニケーション障害だったりして精神的に健康とはいえないので除きます」・「周りに人がいるにも関わらず人付き合いを一切せずに生きた場合欠乏感を感じず健康に生きる事は出来るのでしょうか」 人付き合いの有無の判定はなんでしょう。衣服や塩、飲料、医療、情報などを一切、社会や手人から受けないということでしょうか。通常、生誕してから言葉や習慣を親や社会から受けて成長します。知恵や知識は他人や社会から受け取って自分のものにしていきます。成長してから数年間絶海の孤島にロビンソンクルーソーのように生活することは可能ですし、独裁政権に排除されて独房で数年間生きることもあるようですが、その状態を人付き合いはないというのでしょうか。 死刑囚でも、本を読んだり、新聞を読んだりはできるのではないかと思います(想像)。聖書や宗教書を読むことはたぶん許されていると思います。それも書物を通じて他人と関係を持っているということではないでしょうか。 健康のまま生きるというのも、何をベースにしているのかがわかりません。お話では、修行僧、修験者などは、雑念を捨て、人付き合いを断って、修行などに専念する期間があるようです。こうした状態を出来るヒトは健康に生きているんではないと言い出したら、何を論じることも出来ません。 欠乏感を感じずに生きることが健康であることであり、欠乏感を感じたら健康に生きているのではないとしたら、大抵のヒトは何かに関して欠乏感・不足・不十分さを感じているので、大抵のヒトは健康ではないことになってしまいそうです。   「足を知る」ということを大切であることのように言いますが、「足らない・至らない・まだまだダァ」と思うことが人間が生き生きと生きていくことに通じていることも多いと思います。

barutokai
質問者

お礼

共同体感覚の欠如

barutokai
質問者

補足

回答ありがとうございます お礼は間違えたので気にしないでください

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回答No.3

あなたのような方を、私は大変幸せな方だと羨みます。 だって、今まで自分で何かを決めたことなど、ただの一度もなさそうなんですもの。それで、みんながみんなが言ってさえすれば、何も酷い目に遇うことなく生きてこられたのでしょうから、強運なんですね。 私もあなたにあやかりたいです。あなたの真似はしたいとは全く思いませんが。お腹一杯なので。幸運だけほしいです。

barutokai
質問者

お礼

共同体感覚の欠如

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回答No.1

うーん、健康な精神のまま他者との関わりを一切持たずにというのは、なかなか難しいのではないでしょうか。 人間て他人とコミュニケーションをとるために作られていると思うんですよ。 言語とか表情とか色々と。 だから、他人との関わりを持たないというのは人として不自然で、不健康なんじゃないかな?  だいぶ感覚的に意見してるんで、全然論理的じゃないけど。 私も人付き合いが苦手で殆どしませんけど、それでも1人ぼっちは無理だなぁ。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

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