地方によって、1人の議員を選出するのに必要な有権者数が違うことが良く分かったと思いますが、ではなぜそうなると、よくないのか、ということです。
そうなると全国に関わる予算配分とか、必要な手当てなどの審議(正確にいえば力関係)のバランスが壊れるから問題なのです。
宮城県で衆議院を選出するのには20万人程度の有権者から選ばれればいいのに対して、千葉県の4区では倍以上の44万人もの有権者から得票をもらわないと当選できません。
そうなると「有権者の意思」が単純に半分になってしまうということです。
たとえば、地方の農家の人々だと「川を整備して欲しい」とか「TPPで農業分野は死守してもらいたい」という願いがあるでしょう。当然ながら衆議院議員は地元の選挙民のそういう意見をたくさん預かっているわけで、可能な限りそれに沿った政策が実行できるようにするわけです。そうしないと次回自分が落選します。
逆に都市部にすむ有権者は「地方の川ばっかり治してないで、首都圏の道路網をなんとかしろ」とか「農業なんて譲歩してもいいから、TPPで製造業を復活させろ」などの意見があるかもしれません。
また他の地方なら、別の意見もあるでしょう。
このような国の中でも利益が対立したり、予算上限られた仕事しかできない場合の優先順位をつけるのが選挙の目的でもあります。
このとき、地方の有権者の声は20万人単位で表されています。しかし都市部では40万人単位になってしまっています。単純に声の大きさが半分になっているといっていいですし、都市部で20万人ずつの選挙区にしたら、違う政党(たとえば共産党など)が都市部で議席を得るようなことも起こりえるでしょう。
そうなると、そもそも衆議院の与野党構成が変わってきますので、大きな声が生まれることになります。
有権者の持っている票は1票です。
それを集めて、議員を一人選んでいるのです。同じ選挙区の中で選ばれた議員はその区の有権者の考え方を反映しています。
しかし、議員を選ぶのにこちらでは20万人で一括り、あちらでは40万人で一括りでは、40万になったほうは意見表明の機会が半分になってしまっている、といえ、時間がたてばそれが国政のゆがみになってくるといえます。
現実に起きている問題を出しましょう。
たとえばバターの問題です。今バターがものすごく不足して、家庭でもお菓子工場でも非常に困っています。でも外国から輸入すればバターなんていくらでも手に入るのです。
しかし、日本では外国産バターには高い関税がかけられている為、輸入しても儲からないので輸入しません。そして今回のように日本の酪農家の供給量に問題があると、すぐに品薄になってしまうのです。
農家は自分たちの農業を守るためには「関税を死守」と言うでしょう。たしかに外国産の安いバターが入ってくれば絶対に勝てません。しかし、都市部に住んでいる人々からすれば「そんなことはどうでもいいからバターを買えるようにしろ」ということになります。
これらを政策として調整していくのが国会の役目であり、「関税死守」よりも「バターをよこせ」という意見のほうが強くなれば、関税は撤廃されていくでしょう。そのためには農家も都市労働者も等しい1票で意見を表明できる機会が保障される必要があります。
これが1票の格差の原点であり、特に衆議院は予算決定権があるため、厳密にしなければなりません。多くの国で、これらは厳密に管理されており、2倍を超える差が放置されている国は先進国には日本以外ないでしょう。
ただ、日本の場合首都圏に3割も住んでいるいびつな構造であるため、参議院では工夫されています。だから衆議院では2倍を越える差は違憲、参議院は5倍程度を超える差は違憲と違いがあるのです。
補足
0増5減とはなんでしょうか?