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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:古代の国産の針金。)

古代の国産の針金が注目される理由とは?

このQ&Aのポイント
  • 古代の国産の針金について、テレビで見た情報をまとめると、今年の正倉院展に「雑玉幡 残欠」という作品が出陳されている。この作品は、小さなガラス玉に穴を開けて、その穴に細い銀線を通している。銀線は国産であり、日本の古代には金糸・銀糸が存在したことが知られているが、銀線は初めて知った情報である。銀線の作り方や同じような銀線を作る時期、当時の品物の保存状況について詳細は不明である。
  • 「雑玉幡 残欠」に使用されている銀線は国産であるため、国内でも同じような銀線を作ることができる可能性がある。しかし、具体的な時期については分かっていない。また、古代の品物は一部が残っている可能性があり、保存状態によっては現在でも見ることができるかもしれない。銀線の作り方については不明であり、詳細な情報は得られていない。
  • 正倉院展で注目されている古代の国産の針金について、テレビで見た情報によると、今年の展示作品には「雑玉幡 残欠」という作品があり、細い銀線が使用されている。銀線は国産であり、古代の日本には金糸・銀糸が存在したことが知られているが、銀線については初めて知った情報である。具体的な銀線の作り方や同じような銀線を作る時期、当時の品物の保存状況については詳細は不明である。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#224207
noname#224207
回答No.2

金や銀は延伸性の良い金属として知られています。 1 gの銀は約2200 mの線に伸ばすことが可能であることが確認されています。 均一な力で徐々に引き延ばせば延ばすことは可能です 理科の実験などに使うガラス管も慣れてくればある程度の細さまでは引き延ばせるようになります。 化学系の学生は鍛えられます。 大学などの研究室に所属しているベテランの職人さんであればガラス棒でも綺麗に伸ばします。 要は力の入れ加減です。 ガラスは加熱していますが、銀のように常温でも延伸性が良い金属であれば、装身具に使うような太さで短い長さであれば、ある程度の細さの棒を徐々に伸ばしていけば作れたのではないかと思います。 糸となると相当に難しいです。 いろいろ工夫して作っていたようです。 金銀糸 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/金銀糸 抜粋 古墳などから出土している古代の金糸は、薄く延ばした金の板を裁断し、螺旋状に撚った中空のパイプ構造をしているものである。飛鳥京跡の「飛鳥池工房遺跡」からは、古代金糸の失敗作を丸めた塊や小さな破片が出土し、金糸の製作をしていたことが確認された。 この説明によれば、まぁ~紙縒りを作る要領でしょう。 失敗屑があるということは相当に難しかったのでしょう。 針金程度の太さであればこの要領でやって後で加熱して表面を叩いて整えればできるのではないかと推測しています。(糸よりは簡単だったでしょう) 金銀糸 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/金銀糸 抜粋 金箔が重なり合ったところを上質の綿で拭き、表面を平らにすると、先程まで地味だった三椏の和紙は、眩いほどの輝きを放つ黄金の紙に生まれ変わった。「これを平箔と言います。漆は湿度を吸って乾燥する特性があるので、湿度の高い室の中で一昼夜、ないし二昼夜寝かせます。そして最後に、できあがった平箔を切るんです」裁断作業では、3センチ幅につき60~100本に切っていく。1本の幅は0.3ミリと、シャープペンシルの芯よりも細い。明治25年にタバコの葉を刻む裁断機をヒントにして、手動裁断機ができたが、それまでは定規をあてて包丁で切っていたというから、想像を絶する。裁断した平箔は、帯や金襴の素材として使われる。また芯糸に撚りをかけて巻き付けていくと、金糸が誕生するのだ。 定規と包丁で0.3mmの巾に切るというのはまさに神業です。 針金程度の太さであれば古代人でもやれたのではないのでしょうか。 金や銀というのは贅沢品というよりも細工がし易いという面で使われていたと思われるケースが多々あります。 ビーズを通して外からは見えない部分に銀を使っていたのは恐らくこのためでしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね、日本でできそうな気がしてきました。 主体はガラス玉ですから、銀線は均一な太さでなくてもよく、また切れたら繋げばよいのですから、薄く延ばした銀箔を“紙縒り”のようにすれば銀線ができますね。 同時に出陳されている弦楽器の弦は絹糸製ですが、バチで弾いても切れない強度を持っています。 古代、銀線を使った工芸品が多いのか少ないのかは知りませんが、ことさら銀線を必要とすることは少なかったのかもしれません。 よいヒントを頂きました。感謝申し上げます。

その他の回答 (1)

  • m-jiro
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回答No.1

おはようございます。 奈良時代には鉱石から銀を取り出すことも針金に加工することも可能だったようです。 (ただし「雑玉幡 残欠」が国産かどうかまでは確認していません。) 以下、netの拾い読み。 http://wirefactory.com/html/wire/history_japan.html これによると針金は古墳時代からあったようです。当時は金属を細く削って作ったとのこと。 奈良時代には金属をたたいて延ばしたんだとか。細長く、断面を丸くするにはずいぶん手間がかかったでしょうね。あまり長いものは作れなかったと思います。 その後は「ダイス法」という方法が開発されます。これは小さい穴に金属を通し向こう側から引っ張るというもの。穴を少しずつ小さくしながら何度も繰り返して細い針金にします。 http://www2.memenet.or.jp/kinugawa/hp/hp712.htm 右の絵で右側の人の足元にあるのがダイス。穴を通った針金を左のローラーで巻き取っています。 銀を鉱石から取り出すには古くは「灰吹法」という方法でした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E5%90%B9%E6%B3%95 このサイトには7世紀後半には石見銀山で行われていたとあります。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 添付されたサイト「針金の日本史」によれば、 1.日本にも、大変古くから針金と針金細工が存在していた。 2.古墳時代の遺跡からは、青銅や銅を“細く削って作られた針金状の金属”が多数出土している。 3.奈良時代には“金属をたたいて延ばす加工技術”も確立していたようだ。 4.“その後”、鉄製の針金は武具・針などの実用品に、金・銀針金は装飾品などの用途に使われた。 と説明されています。 「細く削るとか、たたいて延ばすとか」した針金状のものは奈良時代にはあったのでしょう。 説明4の“その後”がいつ頃のことか分かりません。 実は、質問前にこのサイトは読んでいましたが、いまいちよく分かりませんでした。 >細長く、断面を丸くするにはずいぶん手間がかかったでしょうね。あまり長いものは作れなかったと思います。 そうでしょうね。 しかし、現代の技術でも作るのが困難な銅鐸を作っていた古代の人のことですから、 手間がかかっても現代人の想像以上のことをやれたのではないかと思います。

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