大正から昭和初期、日本でも大勢の童話作家や、童謡作詩家が居ました。
思想弾圧、作品検閲が強まるにつれて、純文学から童話作家へと転進した文士も(小川未明など)居ました。
人を感動させる読み物を文学とするなら、童話も立派な文学作品ですし、落語や狂歌も文学です。
昔話も神話も、何らかの必要に応じて生み出された筋書きを持っており、語り継がれる程の感動を伝えるもので有る限り、文学の部類に入るでしょう。
民話や伝説も、文学的資質を備えているからこそ、語り継がれているのですが、地域の文化に応じるように変形される場合が少なくありません。
「浦島太郎」は有名な童話ですが、小学校教科書に採用された時、原形を止めぬ程にねじ曲げられてしまいました。
「宇良の嶋子」か「宇良島の子」が、何故か姓は浦島名は太郎、にすり替えられました。
玉手箱を開けたらたちまち老人に成り、竜宮にいた間に300年が過ぎていた。これは、スコットランドの民話からの借用のようです。戦前は日英関係が至って親密で、英国留学生もかなりの人数になったようで、あちらから伝えられた文化も少なくありません。その一例が、「蛍の光窓の雪」、昔の卒業式には必ず歌われ、詩文は中国の説話から取られていますが、元はスコットランド民謡の曲です。
そうすると、浦島伝説の童話も、盗作の組み合わせと成り、児童文学と呼ぶには疑問があります。
話題性という点では文学の内かも知れませんが、童話の中には、作者が特定出来ない物や変形して伝えられた物も多く、文学作品と言えるかどうかには疑問が残ります。
「猿蟹合戦」や「桃太郎」、「一寸法師」なども、同様に幾つかの民話や説話を寄せ集め、集大成した物に思えます。