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本田選手、好調。

詳しい方、教えてください。 今、本田選手が好調です。 セリエAの得点ランキングも一位ですかね。 なにがあったのでしょうか。 もともと期待はされてたでしょうし、自力を出せるようになっただけかも知れませんが、 昨季との違いは「慣れ」以外になにがあるのでしょうか。 バロテッリが抜けたから?(他意はありません) 宜しくお願いします。

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回答No.1

周りの選手が変わったことで連携が取れるようになりました。 以前はカカ、バロテッリ、ターラブトといった個人技に優れた選手が多かったのですが その分連携がいまいちとれていませんでした。 また監督がセードルフからインザーギに変わって戦略も変わりました。 本田選手のポジションは変わっていませんが、役割は変化しています。 現在もメネス、エルシャーラウィ、アバーテなど個人技に優れていますが チーム全体に連携の意志があります。それが上手く機能しています。 本田は昨シーズンは途中から加わったり監督が変わったりで、 チームの方針やピッチの状態、ボールなど全てに慣れていませんでした。 そういったところを日々調整していきながら状況を変えていったのだと思います。 あの完璧主義者のセードルフに「彼ほど自分に厳しい選手を見たことがない」とまで 言わしめた本田は本当にスゴイと思います。 何かが劇的に変わったというよりも、1つ1つの問題と毎日確実に向き合い 工夫していった結果だと思います。本田のすごさはその圧倒的な努力と工夫だと思います。 シーズンオフの時も、走力を上げるために 個人的に陸上の世界レベルの黒人を呼んで合宿を組んだりしています。 あとはここぞという時にリスクをとっても主張するメンタルでしょうか。 本田は失敗を恐れるよりも、5回失敗しても6回目で点が入ればいいくらいに考えているようです。 今回のFKのような場面でもしっかりと主張するようなメンタルが、チャンスを引き寄せていると思います。それができるのも普段の練習から周りに一目置かれているからだと思います。 本田の凄さは継続した努力と、対人コミュニケーションのバランス感覚にあるのだと思います。そういった継続性こそが本田の最大の強みだと思います。

23tomo-u
質問者

お礼

個人技と連携ですか。 言われてみればカカも移籍してたんですね。 昔の各球団の4番ばかり集めていた巨人を思いだいました。 適材適所でチームワーク、連携が大事ですね。 本田のメンタリティには頭が下がります。

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  • IXTYS
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回答No.2

本田圭祐にとってACミランはフェンロ、CSKAモスクワに次ぐ3チーム目。  前者のいずれのチームでも彼は二年目に本領を発揮しています。 一年目はなかなかチームに馴染めず、周りからも誤解されたりと苦労が絶えなかったのです。 それでも彼はそれを自分が努力する姿で周りの信頼を勝ち得て来ています。  フェンロではチームキャプテンを任され、CSKAでも積極的に若い選手にアドバイスをしています。 彼の持って生まれて持っているリーダーシップが二年目に入ると威力を発揮し、周りにも評価されて来るのです。   この視野の広さ、総合的な判断能力は日本人の特徴の一つと考えられます。 外国人で持っている人は意外に少ないのです。 それは日本が島国であったことと深い関係があります。 周りを海に囲まれ、外敵の侵入を受けることなく、守られて来ました。 外来の文化についても自分たちの間合いで取り込むことが出来たのです。 外来の勢力に抑圧され、強制的に受容を強いられることがなかったのです。 自分の判断で選択し、自由意思で物ごとを決定する習慣が身についているのです。  この日本人の自由意思による選択は他の選手へのアドバイスにも活かされています。 本田選手はフェンロでもCSKAでも他の選手に積極的にアドバイスする姿が目撃されています。 それも上からの命令調ではなく、そっと近づいて肩を組みながら静かに語りかける。 いつも笑みを絶やさず、静かに語りかける姿が指導者に驚きを与えています。 彼はCSKAではロシア語にも積極的に取り組んでいます。 これは他の選手と緊密なコミュニケーションを取りたい。 これも発信したいという目的があるから積極的だったのです。  日本人は語学が苦手でコミュニケーションが下手。 そう思われています。 決してそうではありません。 日本人は外来の文化を押しつけられるのではなく、自由意思で『良いとこ取り』をして来ました。 『良いとこ取り』が許されて来たという方がより正確だと思います。 だから難しいと思われる作戦でも実に深いところまで理解が出来ているのです。 これは日本人初のプロサッカー選手だった奥寺康彦選手にも言えることです。 彼はバイスバイラー監督の要請を受けてケルンFCでプレーしています。 当初はウィングでプレーしていましたが、監督の信頼を受け、より重要なポジションヘ移り、トップ下も任されています。 シーズン四年目には当時二部にいたベルタ・ベルリンに移ります。  これは二部にいたチームをブンデスリーグに昇格させたいと言う当時ドイツで最も革新的だった別の監督の篤い招へいに応える形で移籍しています。 チームでは今で言うボランチを任されます。 当時オランダで発明されたばかりとトータルフットボールを取り込みたい。 そのコーチ役でもあったのです。 奥寺選手の新規技術への対応の速さと理解の深さを見込まれての二部チームへの移籍だったのです。  彼は日本にもプロリーグを作りたいとの強い希望から1986年に帰国します。 7年後、Jリーグが発足します。 その時、ドイツから殆ど手弁当で多くの選手が日本にやって来ます。 その中にドイツチームの主力選手だったFWのリトバルスキー選手がいます。 彼は奥寺選手に多くを学んだ選手だったのです。 だから奥寺さんの助けになりたいと喜んで日本に来てくれたのです。 私たちは日本人なので何が本田選手は凄いのか良くわかっていません。 しかし周りにいる選手は彼の凄さを知っています。 彼は自分が持っているものを他の選手にも喜んで教え、アドバイスをします。 これは多くの南米やヨーロッパの選手には見られない特徴です。 日本人なら誰でもそうなのですが、外国人選手は必ずしもそうではありません。 本田選手の良さを指導者が理解すると積極的に彼を起用するようになるのです。  それは彼個人の長所であるとともに、日本人が共通して持っている長所でもあるのです。 

23tomo-u
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本文化と欧州サッカーをテーマに本になりそうですね。

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