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いじめっ子には相当の天罰がくだらないのでしょうか?
人を憎んでは幸せになれない? とあるサイトで『いじめっ子』と『いじめられっ子』について書かれている記事で。 いじめっ子は後にいじめたことを後悔して、大人になるといい人になる場合が多く 逆にいじめられっ子は、いじめられたことをいつまでも憎んでいるから卑屈な性格である。 と書かれていました。 確かに人を憎んでばかりいては幸せになれないのは理解できますが。 ここに『許し』の構造がある。と結ばれていたのですが。 いじめて勝手に悪いことしたなで済まされることなんでしょうか? いじめられた方は心理的、社会的にも問題を引きずってる場合もあると思います。 みなさんどう思いますか?
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- eroero4649
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俗に「殴られたやつはそのことを覚えているが、殴ったやつは忘れている」なんていいますからね。誰だって自分が傷つけられたことは覚えていても、自分が傷つけたことなんてひょっとすると傷つけた自覚さえない場合もしばしばです。 質問者さんをいじめていた人も、今インタビューしたら「いじめていた?そんなことしてないよ。ただ、ちょっとからかっただけだよ」なんてしれっと思っているんじゃないかって思いますよ。 あの尾木ママも、「いじめ問題でいじめっこが吊し上げられるとそのいじめっこが自殺するんじゃないかという人がいるが、いじめをする子は絶対に自殺しない。そんな事例聞いたことがない」といってましたね。 ある意味すごく悔しいことではありますが、いじめられたほうが思っているほどいじめたほうはいじめた相手を覚えていないと思うのですよ。ある意味「とるにたらない相手」と思われていると思います。 だから、そんなやつのことをいつまでも覚えておくのはこっちも時間の無駄だと思うのですよね。私も新入社員のときに嫌な先輩に散々いじめられましたが、顔はおぼろげに覚えているけど、名前も忘れた(思い出そうとも思わない)し、どんないじめをされたのかもう具体的には思い出せません。「嫌な野郎だった」という覚えがあるだけ・笑。それにもう一生会うこともないし仮に町でバッタリ会ったところできっとお互いに覚えてもいない(こっちもうろ覚えなので)でしょう。ひょっとしたら、もうどこかでお互いに気づかずにすれ違っていたとか、実は同じレジに並んでいたとかあったのかもしれません。
>いじめっ子は後にいじめたことを後悔して、大人になるといい人になる場合が多く >逆にいじめられっ子は、いじめられたことをいつまでも憎んでいるから卑屈な性格 ないない笑 ないですよー たった一つの意見であって鵜呑みにする必要はありません。 いじめっこは後悔してほしいから理想論で書いてるんでしょう。 現実社会においていじめっこが後悔することなんて1000人分の1ですよ~ 子供より大人の世界のいじめのほうが数億倍シビアだったりますよ。 パワハラモラハラセクハラオンパレードでしたほうが後悔ですと?後悔なんかは自分が罰を受けることに対しての後悔であって 相手がかわいそうで後悔なんかしないですよ。 にんげんってそんなにいい人ばっかじゃないのが真実で 学校ではそうならぬよう教育するはずだったんですが先生を筆頭に道徳の教育は学校ができた大昔の時代からノータッチでしたよ? 勉強しなさいとかはあってもあんまりいじめっこいじめられっこ理不尽とかやさしさとかは率先してされていなかった。 個々でいじめられないようにがんばれってくらいでした。 でも小学生でヤク◯並みの恐喝とか殺人事件まではなかったからね。 人間もともと野蛮で奇人が正体ですから。 社会で生きて行くにはルールを守らないといけない でもモラハラパワハラをルールにしてもばれなきゃいいやってやってるずる賢い人しかいない。 殺人も自殺にみせればいいってね。 そんなのに巻き込まれない、絡まれない、自分で解決する能力を養う必要がある。 それが低年齢化していて、小学生の時点で殺されないように気をつけるスキルを養わないといけない世の中にしたのは 全員の責任だと思う。 あと、いじめられっこは恨んで引きずるっていうのはまぁわかりますが性格が悪くなるのではなくて 他人により優しくなる人が多いですよ。 いじめっこはたいがいいじめられっこの気持ちはわからずじまいで人生を終えますから 成長しないまま終わるんです。 でもいじめられっこはある程度人間の心の中の真実に気付くので 成長を経てから人生を終えることが多いですね。 暴力団のまねっこを現代の小学生がしているから 科学はどんどん進化していくのに精神年齢がもどっちゃったのかね。 暴力団というか大量殺人犯みたいな感覚だよね。 イジメって裸にして生き埋めにしたりしてるでしょ。変人奇人の域で。 これって、刑務所に一人だけ看守を置いたら必ずその看守は囚人を虐殺しようとするんだよね。 人間なんて上下関係で上にたったら誰でもイジメに走るんじゃないの? しょうもない生き物だよ。 だれかが自分を美しいと思いたいから同じ人間を崇拝し始めただけであって 現実はしょうーもない奇人が人間の正体だと思うけど。 だからこそ調教していい人間にしてあげないとね。 いじめられてる子も自分の立場が上だったら結局いじめてるんだから。
イジメをする人を心底、愛せる人は凄い寛容な方だとは思います。だけれど私は心からイジメをする人を、これからも好きになったり信用することはないと言い切れます。一度でもイジメをする人間は、また同じように繰り返すので、最初は優しいのですが後々本性が現れて、また人を支配下に、置こうとするからです。私はイジメをする人間だけは絶対に関わり合いたくありません。また回答させていただきました。
- gouzig
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いじめをする人間はとても心が弱いのです。 そして、家庭の中で不満が多いのです。 その鬱憤をいじめではらすのです。 しかし、そのようなことは大人になれば恥ずかしさに気がつきます。 心の中ではみじめだと思っているでしょう。 大人の社会ではいじめをするような人間はどんどん嫌われていくのです。 長い人生の中では決して幸せは得られません。 そういう制裁を受けていきのです。
イジメっ子は人からも神様からも嫌われているので最終的に地球上から抹殺されると思います。 そもそもイジメをする人を誰が好きになりますか?イジメをするような人を心から好きだなんていう人は戦争が好きだと言っているようなものです。誰もが心底、嫌っているのはイジメをするような利己的な性格の人です。 性格も良くて愛される人は皆に優しい人です。弱い者イジメをしている人は誰もが忌み嫌っているので見放されています。 光と闇は絶対に共存出来ないようになっています。光のグループは善人です。闇のグループは悪人です。いじめっ子は悪人の部類に入ります。悪人は、地球上から姿を消す日が近いと信じています。
還暦過ぎのオジサンです。 〉 いじめっ子には相当の天罰がくだらないのでしょうか? 60余年生きてきて『天罰』が下ったという例は寡聞にして聞いたことはありません。散々他人を踏み台にしてのうのうと左団扇で暮らし、大往生を遂げた例なら枚挙に暇がない。世の中ってそういうもんです。 〉 人を憎んでは幸せになれない? まぁね。過去を引きずってグチグチ考えているようでは目の前の現実に正しく対応することもできないってことでしょう。 〉 いじめて勝手に悪いことしたなで済まされることなんでしょうか? 第一、『悪いことしたな』なんて考えるのでしょうかね。それは『性善説』を信じて“いたい”者の幻想だと思いますよ。大抵は、忘れているでしょう。人間って都合の悪いことは忘れるように便利にできているんです。その筋の専門家に言わせれば、それも人間という生命体の『自己防衛』のスイッチらしいですね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”いじめっ子には相当の天罰がくだらないのでしょうか? ” ↑ 下りません。 いじめっ子ぐらいの方がたくましく育ち 社会で成功する可能性が高くなります。 憎まれっ子世にはばかる、です。 ”人を憎んでは幸せになれない?” ↑ そんなことありません。 他人の不幸は蜜の味です。 こういうのは、事実ではなく、心構え、道徳 です。 現実とは異なります。 ”いじめて勝手に悪いことしたなで済まされることなんでしょうか?” ↑ 子供みたいなことは言わないように。 現実を見てください。 悪い事を平気でやるぐらいの人の方が成功していますよ。 ”みなさんどう思いますか?” ↑ 世の中不条理ですね。 そして不条理が当たり前なのです。 こうあるべきだ、という当為と事実を混同しないようにすることが 大切だと思います。 強いモノが勝つのです。 そして勝てば官軍です。 それが人類の歴史です。 グダグダ言わないで、強くなれば良いのです。 勝てば、いじめたいじめられた、なんてのは 笑い話になります。
- kaitara1
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いじめっ子というのは、世の中から受け入れられないことをいつも恐れています。その恐れを消そうと再びいじめを繰り返すというように非常にみじめな状態に置かれています。委事務の被害者から見ればいじめっ子というのは怖いものなしのように見えるのも無理はありませんが、早晩それではやっていけない運命にある非常に弱い存在という意味です。しかも本当に悪いのはいじめっ子をたきつけて自分は観客になっている人たちです。古代ローマ帝国の円形闘技場でライオンと戦っている剣闘士が必死に戦っているのを飲み食いしながら楽しんでいたローマ市民のような人たちです。
- alterd2001
- ベストアンサー率20% (33/162)
社会には、いわゆる「サイコパス」と呼ばれる 「良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく 社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り 好きなように振る舞う」(Wiki)という怖ろしい人間が 25人に1人というかなりの高確率で存在するようです。 彼らは一見普通の生活をしていて しかも社会的成功者にも居るということですから始末に負えません。 ですので、彼らに「天罰が下る」とは限らないように思います。 そこで、最重要なのは、いじめられる側がいかに彼らの餌食にならないかだと思います。 その為には、「避ける」「逃げる」「味方を作る」「実力をつける」等 あらゆる方策を取らねばなりません。 そのサイトの記事については いじめた人間で反省しない人間もいる事 いじめられたから強くなれた人間もいる事を見落としている 偏った記事だと思います。
- dogday
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>いじめて勝手に悪いことしたなで済まされることなんでしょうか? いじめるには特に理由はなくても、いじめられるには相応の理由があるからね。 で、いじめられる理由の大部分に、心理的、社会的に平均点以下の弱点があるので。 いじめられっこの中にもいじめる人が発生する以上、 いじめる側にはあらゆる多様性があって、許す人もいれば、許さない人も、赦される人もいるけど、 いじめられる側は、心理的、社会的に問題があるから、心理的、社会的にも問題を引きずる人が多いのであって、 鶏が先か卵が先かの議論だと思われます。 いじめられっこが天罰を願っても、いじめはなくならないのですよ。天は民に等しく民事不介入。 「天に変わってお仕置きよ!」みたいなのは、代理人の仕事ですので。
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