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段ボールに詰められた子供は虐待?
- 被虐待児は「死にたい」ではなく「消えてなくなりたい」と思うと書いてあり、まさにそれは私が幼少の頃から大学入学以前まで思い続けていたことでした。
- 祖母の躾は、私は胃腸が弱かったのですが、ごはんを残すと祖母はものすごい形相で「ごはんを残すような罰当たりは川に捨てる」といい、3歳くらいのものごごろついたばかりの私を段ボール箱に無理やり詰め、ガムテープを貼りました。
- 父もその後勉強しろ、だとか色々な理由でヤクザのように下から上まで人を睨めつけるような目線で私を見、「目ん玉飛び出るくらい殴られてぇか」と言ったり、殴られ、口が切れたりしました。最終的には母や私への家庭内暴力で警察のお世話になることになりました。
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明確な虐待です。 ですが、必ず離人症に至るかどうかはわかりません。 が、個人的には離人症に至っても不思議でないと思います。 以前このようなニュースがありまして http://www.kanaloco.jp/article/31216/cms_id/31046 >長男を段ボール箱に入れ、その上を布団で包んでいたことから、監禁致死罪に当たると判断したとみられる。 とあるように、普通に虐待の域を超えた犯罪行為です。殺人一歩手前の行為であったと言えるでしょう。 ガムテープなど貼ったら窒息する可能性が有りますし、 長時間窮屈な場所で同じ姿勢でいるとエコノミークラス症候群で死ぬ可能性も高いです。 そして、「段ボールに幼い子供を詰めるのが日常」である人物は「優しい人物」ではないです。 非常に辛い経験をされ、苦労したことでしょう。 心中察して余りあります。
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- mdhdis
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49歳の既婚ジジイです! 虐待も虐待 下手したら貴方 死んでましたよ! やり方が異常ですよね~ トラウマがないですか? そういう虐待が常に されてると 異常も異常に感じなく なっていきますよ~ 現実に貴方は ここに質問すると言う事は、 躾か虐待か わからなくてなっているじゃ ないですか~ 怖いですよ~ そういう人は 自分の子にも同じような事を してしまいますよ 今からでも遅くないですから 躾か虐待か? 判断が出来る目を 持ちましょう
お礼
年上の方からの御意見、有難いです。 そうですね、判断が出来る目を持ちたいです。 虐待された人間は善悪が普通の人と逆になると本で読みました。普通の人は欲求が満たされると安心し、虐待されたことのある人間は欲求を我慢することで安心するそうです。 私も欲求を我慢しがちなのですが、このままだと将来子供が出来たら子供にも我慢することを教えてしまうようになるかもしれないと思うと心配です。 どうしたら自分の価値基準をしっかり持てるか考えてみます。 どうもありがとうございました。
- tomban
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現在の判断から言えば、それは虐待行為になるでしょう。 しかし、過去であるなら、あなたの祖母…彼女にも彼女なりの「常識」があり、彼女が生きてきた時代からすれば「虐待」などという言葉自体、ともすれば世間に「笑われるようなこと」だったかもしれないですね。 おばあちゃんは、あばあちゃんの常識があって、生きてきた経緯がある。 あなたにはあなたの常識がある。 そして今は平成の世の中ですから、昔ならば当たり前にあったことが、今は非難されるべきこととされるのは、おかしなことではありません。 世の流れ、というやつがあるわけです。 だから、昔あったことを今に適用しようとするときには「時間経過」というものを忘れてはいけないのです。 それを鑑みた上で判断すること。 躾なのか虐待なのか?という意味では、それは虐待でしょうけど「虐待という言葉自体ピンとこなかった」昔の人にそれを言っても、嘆いても、詮無い話ですよ。 あなたが離人症だったか?ということも明確ではないのだし、ダンボール押し込めが原因かどうかもわかりようがない。 人によってはダンボールを突き破ろうと藻掻く人だっていますし、そういった人ならば、それが原因で神経的にまいってしまった、ということも、あまり感じてはいないはずです。 昔は昔、今は今、です。 原因を突き止めることが、今の状態の改善につながるということ「ばかりではない」わけです。 大事なのは原因を突き止めたとき、それをどう処理するか?ということにあるのです。 もっと言えば「原因なんかどうだっていいよ」と、あなたの今までの人生の何処かで思えていたとしたら、今のあなたはなかったと思います。 それが出来なかったのは、環境が劣悪だったせいだとは思いますが「これからも同じか?」というと「そうではない」はずですよね?。 …ですから「いつ切り替えるか?」ということが、今の状況を転回させて行く上で一番重要なことだということです。 過去を切り捨てていくのかどうか、ということです。
お礼
なるほど。学校の体罰の問題が、昔は異常とは言われていなかったことが今は倫理的に良くないこととされているのと同じですね。 体罰の問題も、虐待も、された側が身をもって経験して、それを自分達はしたらだめだよね、ということで社会全体を通してそのことを客観的に見るようになり、問題提起してきた結果だとするなら、やはり私も昔の嫌な思いを次の時代に連鎖させないよう努力することが前向きになることかな、と思いました。 励ましの言葉、ありがとうございました。
- 783KAITOU
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当たらない、です。その当時の時代背景もあるでしょうが、食事をキチンと摂ってけっこうな子どもに育ってもらいたいという祖母の願いの方が優位になります。更に、子どもの教育は両親のものです。祖父母は、感情で孫と繋がる関係にあります。 あなたが離人症になったのは祖母のせいではありません。両親のせいです。祖母の顔色をうかがいながらの生活を強いられていた母親、そして、理屈よりも感情で家庭の人間に関わってきた父親のせいです。 母親はいつも祖母の方を向いて暮らしていたせいで、あなたに言葉を使った優しさとか、思いやり、親切な気持ちの差し出し方がぶっきらぼうになっていたのです。その結果、あなたは何気なく祖母の機嫌を損なわないように知るようになったのです。 又、父親が、あなたが小学4年生以降の年代に入った頃から、あなたの将来を見据えていろいろと無言の内に社会について教えるものですがその機会もなかったようですので、あなたは耐えず緊張を受け取るようになってきたのです。 これからは、ご自分の不都合な養育過程が理解出来た以上、それはそれ、これからは自力で社会と関わっても安心出来る方法を身につけることです。
お礼
まるでうちの家庭を知っているかのような鋭いコメントに驚きました。そうですね、母の愚痴は私がいつも聞き、父や祖母の矛先が母に向いたときはなんとか泣いてばかりいる母を守ろうとしてきました。私にとって家庭は決して安らげる場ではありませんでした。大人になってから、「私の話なんかどうでもいいから」が口癖の自分に気づきました。自分のことで怒ったり素直に喜んだりすることは今でも苦手ですが、大人になって人の心について勉強したり向き合うことの出来る環境にいることや、自立して生活できていることに感謝しています。 うちの家系は代々虐待が受け継がれてきたような感じですが、もし自分に子供が出来たらなるだけこんな辛い思いはさせたくありません。 そのためにも、まずは自分が安心出来る方法を見つけたいと思います。 励ましの言葉まで頂いて、本当に感謝です。
- black2005
- ベストアンサー率32% (1968/6046)
それを虐待と言わずして何と言う?と思いますけどね。 そのこと自体よりも、平常時(優しいとき)と怒ったときのギャップが原因かもしれません。 その道の専門家ではないから、”かも”としか言えませんが・・・ >父のことはともかく、 いや、抜きにして考えることはナンセンスでしょ。 両者の虐待で心に傷を負ったのだから、それを分けて考えることは無意味です。
お礼
確かに、祖母が早くに亡くなった分、そのギャップは今でも埋まらず、今だに恐ろしいと思います。認知的不協和とでもいいますか…普段が優しいから周りの大人も完全にその件は見過ごして居ました。家庭内不和で私の事どころじゃなかったというのが本音かもしれません。 そうですね、父のことはかなり影響しています。父のことは警察沙汰になったあとに親族間でも問題になり、明らかにおかしいというのはわかって居たのですが、幼少期の頃は父は優しかったため、どうも幼少期の頃の離人感は父のせいではなさそうだと思い、思い当たったのが父の母である祖母のことでした。 原因と言えば当時それを見て居ながら止めず、今となっては「おばあちゃんひどかったよねー」とまるで他所の家の話をするかのように当時のことを話す母とか、もう色々とあると思います。 こういうことって、加害者本人が気づかずにやっている所が怖いですね。 もっと芯のある人になってちゃんと現実を見れるようになろうと思います。
お礼
そうですよね…その頃家庭内の事情で祖父母に預けられており頼る人が祖父母しかおらず、必死で優しい部分を見つけようとしていたと思います。 ちなみにその祖母は私が中学生の時に脳卒中の「閉じ込め症候群」という症状に見舞われ、意識はあるのに3年の間眼球以外動かせない状態になりました。その時も私は祖母のことを優しい祖母だと思っていたので毎晩祖母を思って泣き、最終的にはそのような病気の人を支える仕事につきました。 しかし皮肉なことにその仕事をすることで自分の中にかなりの認知の歪みがあった、今もあることに気づきました。 どうしてうちの家族は悪口を言ったり怒鳴ったり暴力を振るうんだろう、どうして祖母がひどい目にあうのだろう、と答えを求め続けた日々でした。 今sokonさんからの回答を頂いて、優しい言葉に涙が出るとともに自分が単に変だったり弱かったりしたわけじゃないんだとほっとしています。 ありがとうございました。