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しつけと虐待の境目
近頃親による虐待が増えていますが、私がしつけとしてされてきたことは今の時代に当てはめると大方虐待になりそうです。 うちの場合は母親がとにかく厳しくて門限守らないと夜、父が帰ってくる10時くらいまで冬でも容赦なく玄関の外やベランダに閉め出されました。 拳で殴ることはなかったですが平手で頬を叩くのは普通のことで耳をひっぱって引きづられるようなこともありました。 でも私は自分が間違ったことをしたから叱られたのであって虐待とはとらえていませんし母もしつけの一環でしていたことです。 特に親子間も不仲などではないですし。 でも私が体験してきたあらゆることって今近所の人が見たりすると虐待にみられてしまいますよね。 私はそれで育ってきているのでもし将来子供を持つ事があれば同じしつけをするだろうと思います。 それは世間の目を考えた場合危険なことですか? ただこのしつけに良くないと感じるところが二つあります。 一つは嘘をつかなければならない体質になってしまうことです。 例えばなにか失敗をして素直に言ったら怒られる→叩かれる→だから本当の事は隠す→結局叩かれる。 このパターンがまさに私でした。 結局どっちみち叩かれるんです。 叩かれるのが恐いから嘘を上塗りしてしまう。 それから自分と友達が話していて目の前で友達が何気なく手を上に挙げたとします。 これに過剰反応してしまう癖が未だに直りません。 そうなると友達はとても驚きます。 理由は言いませんが『癖で…』と言っています。 いくらしつけでもここまでに子供をしてしまうのは嫌なのである程度の自制は効かせてもやっぱり体の痛みで覚えさせないとというのは変わりません。 まだ結婚もしていなければ子供もいませんが悩んでいます。 先にも書きましたが自分が受けたしつけを続けてしまうのがこの場合良いのか悪いのかみなさんの意見を伺いたいです。
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- futaharu
- ベストアンサー率48% (12/25)
うちは父が厳しい人でした。 悪い事をすれば容赦なく怒られる。その時は外に出されたり平手打ちされたりと色々でした。 でも、怒るばかりではなく、時間があれば一日中でも遊んでくれ、色々な場所に連れて行ってくれました。 私は今は勿論、子供の頃からそんな父を尊敬しています。 弟と年が離れているので解った事ですが、叩くにしても手加減していたし、 外に出す時も、常に違う場所から安全を確認していました。 十分反省した後は《怒られた》とは思えない程、優しく接してくれました。 言葉にすれば体罰と言われるのかもしれませんが、私にとっては体罰ではなく躾でした。 実際、我が家で飼っていた犬が出産をし、子育てをしていました。 子犬が悪い事をすると、親犬は容赦なく噛み付きます。でも、手加減しているから子犬は怪我をしません。 その後、親犬は子犬を優しく優しく舐めて可愛がります。 これは虐待ですか?それとも犬だから、そんな怒り方しか出来ないのでしょうか? 今は《怒れない親》が多い為、引きこもり等の子供が多いのではないでしょうか? 私にとって、親とは優しく、何でも相談でき、尊敬し、また怖い存在でもあります。 学校で嫌な行事がある時、『今日は学校に行きたくない』と言っても、 容赦なく引きずられてでも連れて行かれました。 でも、本当に悩んでいたり落ち込んでいる時は、親が仕事を休んででも話を聞いてくれました。 ただ愛情もなく(言葉で)怒るだけ。自分が腹がたったから怒る。 小さい頃はその怒り方でも十分怖いが、大きくなった時にナメられる怒り方しか出来ない。 これでは世間一般の体罰より悪い体罰ではないでしょうか? 質問者様の求めている回答とは違ってしまったかもしれませんが、 自分の親からされた躾の中で、自分にとって良いと思われた躾は実行し、 『あの時はこうして欲しかった』等の事があるのでしたら、それは自分なりに改善して躾をされれば良いのではないでしょうか?
- saori429
- ベストアンサー率12% (102/809)
>やっぱり体の痛みで覚えさせないとというのは変わりません。 でも、痛みを与えず覚えさせるのが一番だとは思いませんか? 私は、小さい子に言ってわからないから痛みで教えるというのは全くもって反対です。 いくら1歳や2歳でわからなくても、親の言葉の雰囲気や口調で叱られているのはわかるものです。実際うちの子(1歳8ヶ月)も、冷静に低く怖ーい声で叱るとやめます。 小さい子は、叩けばわかるというものではないです。叩けば「叩いていいんだ」と解釈する子もいます。何が悪いのかわからずに叩かれるからやめるでは、本当に無意味だと思います。 躾けで叩くことは絶対いけないとは思いませんが、言葉がつうじて話せる歳になるまで叩きたくないと思っています。 大きくなったら叩けばいいかというとやっぱりそれもよく考える必要があると思うんですね。 誰かを傷つける、わが子が傷つくおそれがある、それをすると一大事になる。そのくらいのことのときに痛みをもって教えるということは重要ですが、例えば宿題をしない。片付けをしない。そういうことでいきなり叩くのは???と思ってしまいます。 また、そのとき冷静かというのは本当に重要だと思います。自分が腹が立った勢いで叩くのでは、躾けでなく暴力です。叩きたくないけど、あなたのためを思っているんだということが伝わることが大事だと思います。 私達が子供の頃と今の子供とどこが違うのでしょう? なぜ、昔は体罰があってものびのび育ったのに、現代では虐待だとか子供の犯罪につながるのでしょう? 私がある先生に聞いた話では、今の子供は「孤独」なんだそうです。 外で遊ぶことも少なく、テレビゲームさえあれば、一人でも遊べる世の中です。 親に叱られた、先生に叱られたストレスを発散する場がないので、叱られたことがストレスになってどんどん積みあがり、そういう心の闇が犯罪へとつながっていくこともあるそうです。 叱るべき時は叱る。でもそれを発散させる場、友達との外遊びや家族とのふれあい。そういうものをできるだけ子供に与えてあげたいですね。そういう場さえあれば、体罰もしっかり受け止めてくれる子に育つのかもしれません。
- gabygaby
- ベストアンサー率31% (20/63)
まず、この問題を客観的に判断したいなら、 「お母様のしつけ方法をtokoro_sanはしない」という結論がでたとしても、 「お母様のしつけが間違っている」→「間違っているしつけにより育てられた自分はダメな人間だ」 とは絶対思わないでください。それとこれとは別です。 育児も学問と同様、進化するものです。昔はそうするのが良しとされていたのです。 現代で、記述の通りのしつけをしたら、それは虐待にあたるはずです。 私は、しつけと虐待の違いは『冷静か否か』で判断できると思っています。 tokoro_sanは子供を冷静に >10時くらいまで冬でも容赦なく玄関の外やベランダに 締め出せますか? お母様は冷静だったかもしれません。 が、これだけ虐待による被害がとりだたされている現代に、 自分の存在を否定してしまうかもしれない辛い質問をするような 生真面目で心の優しいtokoro_sanが冷静にできるとはとうてい思えません。 繰り返しになりますが、育児は進歩しています。 たくさん勉強していろいろなことを学び、 他のみなさんがおっしゃるとおり、tokoro_sanなりの子育てをされることを 切に祈ります。
- marialourd
- ベストアンサー率40% (6/15)
ある講演会で「叩いてしつけてよいのは3歳まで。それ以降は子どもの心に傷を残す」と聞きました。その代わり、3歳までは悪いことをしたら遠慮なく叩いていい(もちろん限度はありますが)そうです。逆に3歳までの子どもは言って聞かすということはほとんど効果がないとか。 記憶に残る年齢に入ったら体罰はいやな思い出として残ってしまうということなのでしょうね。叩かれていやだったという記憶だけにならない程度ならいいんじゃないかなあと個人的には思いますが。
- koitounyuu
- ベストアンサー率10% (2/20)
今まさに子育て真っ最中の者です。 実は、子供に手を上げてしまうことがあります。 でも、それは体の痛みで覚えさせるためと言うよりは、「なんでわかんないんだよう!」という腹立ちをぶつけているだけ。後でとても嫌な気持ちになります。体で覚えさせるため、というのはこの嫌な気持ちをまぎらわす、後から出た言い訳のような気がします。 門限の話がでていましたが、それ以外の平手打ちや耳を引っ張られたときに、どんな悪いことをしたか覚えてらっしゃいますか?「痛くて泣いたことは覚えていても、何故痛い目にあったのかは覚えていないことが多い。だから体罰は無意味」と読んだことがあります。案の定、まだ小さいわが子はあんなに叩かれたのに、又同じことをくりかえしているんですよね~・・・は~・・・。 体罰の結果、あなたは嘘つきになってしまった。怒られた理由は、嘘つきになってでも体に覚えさせなければならない重要なことだったのでしょうか? 世間の目、という以前に、かわいいわが子を嘘つきにするリスクを重要視してくれればと願ってやみません。育児は奇麗事ではできませんから、つい手を上げてしまうこともあると思います。でも、あげるときに「これは私が自己満足でやっていることだ」ということを確実にいいわけなしで自覚していることは、非常に重要なことだと思います。
- mama-mu
- ベストアンサー率20% (30/147)
貴女がいつかママになった時、貴女は貴女の子育てをすれば良いのであって、自分がされたことをくり返す必要はないと思います。「あれは良かった、本当に感謝してます!」と心から思えることならともかく。そもそも、貴女はお母様のような人になりたいですか? お母様は貴女の目標? お母様を否定できない←虐待によって否定できないよう刷り込まれている→正しいと信じ込むことで自分もくり返す……私にはこんなふうに見えます。 悪いことをしたら、親はそれを叱らなくてはなりませんが、まず「悪いことをしないように育てる努力」が必要だと思います。 悪いことをしてしまった時でも、怒鳴ったり殴ったりしなければ諭せないのは大人として情けなくありませんか? 大切なのは「世間の目」ではなくて親子の信頼関係、そこに愛はあるのかってことではありませんか? かく言う私の母もかなりのものでしたが、母は間違っていたと思うし、私は自分がされてイヤなことは人にもしない主義なので、母とは正反対の子育てをしています。 子供を見ているとフッと自分の子供時代を思い出して涙が溢れたりしますが、私はもう自分の母のことはあきらめました。「虐待は連鎖する」と言いますが、断ち切ることは可能ですし、断ち切らなくてはいけないと思います。 あるカウンセラーが言っていました。「過去と人は変えられないが、自分と未来は変えられる」……どうですか?
- Yatobi
- ベストアンサー率42% (120/285)
小生の家もちょっと厳しかったですね、躾は。 ただし母だけが…で、父は子育てに参加してなかったので、専らこっぴどく叱られた憶えがあるのは母からのみ。 いまでも頭上がらないかも。 躾と虐待なんですが、個人的に気に成った時期があって調べていたら、「躾は当人の人格を育てる物・虐待は当人の人格を否定する事」だとする話を知り、ストンと納得しました。 躾による体罰は、言って聞かせて改善しない場合の明確な罰のスタイルとして、個人的には有っていいのではないかと思っています。 有っていけないのが体罰の後、延々と「許さない状態が続く事」ではないかと。 当人が反省しているのに許してもらえなかったら、もう反省する意味すら失われ、ひたすら自分を守ることしかしなくなるのではないかと思います。 「過ちは罰する・罰して許す・正しく出来る様に成ったら褒める」の三点セットじゃないと、多分教育効果なんか無いんじゃないかと愚考します。
お礼
「躾は当人の人格を育てる物・虐待は当人の人格を否定する事」 なるほど! 私の場合この間かもしれないです。 かなり怒った勢いで人格否定されたこともあります。 回答者さんと同じでうちも父がさっぱり怒らなかったです。 怒られた記億がさっぱりありません。 なので母一人で両親分のしつけをされた気もします。 未だに母の機嫌を伺いながら行動してしまう癖は抜けませんが小さい頃は嘘をつきまくっていた(質問中にある理由から)のですがそのところは直ったのでこれはこれで良いしつけだったのかと思います。 自分に良い影響を残してくれた部分は引き継いでいこうかと思いました。 ありがとうございました。