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スコットランド人はロンドンに来て言葉の訛りを直すか
スコットランド独立は否定されましたが、彼らが独立心を持っていることが分かりました。 言葉のことで質問したいのです。 スコットランド人がロンドンに住んだ場合、彼らはスコットランド訛りの言葉を捨てて、ロンドン英語に改めようとするのでしょうか?コテコテのスコットランド英語だとロンドンでは通じないということがあるのでしょうか? その場合はどうするのですか? オーストラリア人やニュージーランド人がイギリスやアメリカに住んだ場合、彼らは自分の言葉をどうしますか? アメリカ内部でも同様だと思うのですが、例えば、南部の人が北部に住んだ場合、南部訛りは矯正して北部に合わせようとするのか、しないのか? 宜しくお願いします。
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- SPS700
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#2です。 >>私はある国に数年住みましたが、そこの国の人の大半(9割以上)の人がどういう性格で、どういう風に考えるのかは把握出来ました。注意していればそれば出来るものです。そういう経験があるので、ここで質問を出しているわけです。私などの驚きは、むしろ「どうしてこうも、同じ土地に住むと同じ考えしか出来ないようになるのか!?」なんです。 ありがとうございました。
- sknuuu
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>>日本に何年も住んでいる外国人で日本語を話そうという努力がない人には疑問を感じます >それはその人が日本語を習得しなくても生きて行けるからでしょう。 多くのことを書いてもらってこちらこそありがとうございます でも、私はこの文は意図的にこの表現にしました 「日本語を話"そう"という"努力がない"人」 別に日本語使う必要なければ使わなくてもいいですが 他言語の国家と違って、日本に住んでて、日本語に接しないはずがないです 日本で英語だけで暮らせるのはほんの人にぎりの人だけだと思います だから必然的に日本語を覚える必要があるはずなのですが、中にはかたくなに日本語を話さない人もいるようです(最初から覚える気がない) そして、日本の人は"外国人だから"で許してしまっているという実際の話しを聞いたことがあります 日本にいるなら日本語を話せ!、と言いたい人は多いはずです 特に、英語ではない言語出身者に対してはその傾向は強いです 自分の訛り(言葉)を脇に置いといて同化しようと努めようとするわけです、"必要があれば" ただ、必要がなければ自分の言葉を他地方(他国)でも貫き通す ただ、それが各々何割かという回答は出せません お国であってもそんなに簡単には調査できません 大阪などの西の人らは東の人らよりは自分の言葉を残しているなというのが私の印象です 色々な理由はあるでしょうが、彼らは自分ら"地方"に誇りを持ってますよね 東の人はそうじゃない、ということではなく、東の人はどちらかというと、歴史的に迫害されていたりするので、そういう流れが今でも残っているような気がします(東北出身者としての感想です) たぶん質問の方と私の言っていることは実は同じではないのかと思いました ただ、すれ違いが見えるのは 私は受け入れる側のことをまず考え、それに対して入っていこうとする人間がどう対処するか、の観点で回答しています つまり、"受け入れられるように"自分の言葉を変えるという考え 補足でいただいた話しは、どちらかというと"入っていく人間の根本的考え"のように感じました 行く先で自分と違う訛り(言葉)が話されていることはあまり関係なく、その人がどう考えるか もし、違っていたら申し訳ありませんが 自分の言葉をどうするかについてはどちらの方向も考えなくてはいけません 特にイギリスは階級社会がまだ根強く残っているので、発音に関して非常にシビアです どの階級の人はこういう話し方をする、というのがありありとわかります それは、各々の階級の人が"あえて他の階級の人と違う存在でいたい"という現れです だから、同化の方向ではなく、逸脱の方向です それは全く同じ地方(市や町)にいても同じです Glasgow訛りは、その訛りのひどい人は英語の先生になっちゃいけないと思うぐらい、まず聞き取れません でも「色々な発音に慣れる」ということを方針として、あえてそういう人を先生に採用する学校もあります 他の地方に行った人本人の意向は非常に大事ですが、それを受け入れる側のことも考える必要があるので、数字的な話しはできません ただし、"個人差"という言葉では整理できません これは社会的な話しです もし、数字的な傾向を知りたいのであれぱ、社会言語学などの文献を読むしかないと思います 私はこの手の研究は読んだことがありませんが、必ずある研究の一つかと思います 大学でのtextbookにはこういう内容が要約されているわけですが、スコットランドの話しになるとあるかどうかはわかりません 一般的なことしかお話しはできませんでしたが、好きですよ、私は、この手の話し こういうことに興味を持つ方がいるということで少しうれしい気持ちです
- SPS700
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#2です。補足です。 >>スコットランド人がロンドンに住んだ場合、彼らはスコットランド訛りの言葉を捨てて、ロンドン英語に改めようとするのでしょうか? この最初の御質問の前提に、少なくとも比較人類学に興味をお持ちの方には珍しい単一言語の洗脳結果を見た思いがします。 多重の文化に出入りする人々には、多重の言語を獲得する、というヒトみんなが持っている能力を使います。義務教育で外国語を教えるのはその能力が誰にでもあると思うからです。 まさか東京で東京語を話す人は〇〇訛りを捨てて、東京日本語に改めたとお考えではありませんよね。 >>で、スコットランド人はどうなのかという質問です。私は比較人類学などに興味を持っている人間なので、「それは個人差がある」という回答には満足できないのです。 では比較人類学者さんにちょっとお尋ねしますが、大阪訛りを最大限に保持しようとする人の方が多いのか少ないのか、その割合を知りたいのです。一般的な回答は余り歓迎しません。当然のことだからです。
補足
再度の回答ありがとうございます。 >>まさか東京で東京語を話す人は〇〇訛りを捨てて、東京日本語に改めたとお考えではありませんよね。 勿論そう考えています。 >>多重の言語を獲得する、というヒトみんなが持っている能力 持っていることと、それを行使するかどうかは完全に別問題ですよ。行使するかどうかは、その人の意識の違いによって決まります。 >>大阪訛りを最大限に保持しようとする人の方が多いのか少ないのか、その割合を知りたいのです。 ある土地に何年か住めば、大体のことは分かって来ます。学者の統計や調査は必要ありません。経験則というのも立派な法則です。 ある国に行って、ある人にある質問をするとします。するとAという答えが返って来たとします。では、Aがその国の一般的な考えなのか? そうではないかも知れません。質問した相手が例外的な考えを持っているということも有り得ます。で、同じ質問を別の人にして、またAという答えが返って来たとします。私の経験では、この国の人の多くがAという考えをしている可能性が大です。3人目の人に同じ質問をして、またAという答えが返って来たとします。すると先ず、間違いなく、この国の大半の人はAという考えであると結論してもいいと思います。これは私の経験則ですが、これは統計学でも証明されているのではないかと思います(確かめていません)。以前テレビの番組で、偶然出くわしたインドの女性に「貴方より美しい女性を一人紹介して下さい」と頼み、紹介された女性にもまた同じことを頼んで、これを?回繰り返すと、インド一美人の女性に当たることになっていると統計学的に説明されていました。はっきりと回数は明示されていたのですが、何回だったかは失念しましたので「?回」と便宜上書きました。 パレスチナ人の3人に「イスラエルか好きか?」と訊いて3人とも「嫌い」だと答えたら、パレスチナ人の大半はイスラエルを嫌っていると考えていいと思います。 勿論、質問する相手も考慮しなければなりません。社会階層や男女差によって意見にバラツキがあると考えられる質問なら、質問する相手もバラツキのないようにしなければなりません。 英語の質問に関してはいつもよく回答していただき感謝しているのですが、こういう問題に関しては貴殿はいつも、一般的な回答しかしない方だなあと思っています。 学者に頼めが、はっきりとした数字を算出してくれるでしょうが、そこまでは必要ありません。イギリスやアメリカに数年住んでいる人の経験則を知りたいのです。 私はある国に数年住みましたが、そこの国の人の大半(9割以上)の人がどういう性格で、どういう風に考えるのかは把握出来ました。注意していればそれば出来るものです。そういう経験があるので、ここで質問を出しているわけです。私などの驚きは、むしろ「どうしてこうも、同じ土地に住むと同じ考えしか出来ないようになるのか!?」なんです。
- SPS700
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#2です。補足です。 スコットランドにはスコットランド•ゲール語(下記)と呼ばれるケルト系の言葉 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%AA%9E の低層と、SSE(下記)と呼ばれる表層のスコットランド系英語とがあり、#2では、後者だけに触れました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E8%8B%B1%E8%AA%9E したがってスコットランドの人は、SSE と標準英語のバイリンガルで、ケルト系の語彙の知識もある、と言う人が殆どです。 僕は Wee Geordie と言う映画(下記)が好きですがイギリスのオリンピック選手団の一人としてオリンピックに出るが、先祖代々のキルト(一見スカート)を絶対着ると言い張り、 たった一人、キルトを履いて入場式に出、満場の喝采を浴びると言う1955年の映画で、スコットランド式英語を聞きました。スコットランドの「気骨]十分、と言うところです。 http://www.youtube.com/watch?v=AG9GiDaDKZ8、
お礼
再度の回答ありがとうございます。
- sknuuu
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これは日本語の例で考えればすぐ答えは出ます 東京で働きたい地方の人間がいたとして、ただ東北弁丸出しであり、採用の面接に行ったら「お客さま対応がある仕事は無理ですね」と言われたら、是が非でも東京弁もしくは標準語を習得するよう努力するでしょう ただ、ふと、「客対応がない仕事だったらいいじゃないか」とトラック運転手や土木建築の現場仕事を探して、めでたく採用されました 現場に行ってみると、ほとんどが広島出身の人らで自分の南部弁が通じません 広島弁も理解できません 本人は広島弁を勉強しようとするでしょうし、他の人らも南部弁を教えてくれというかもしれません でももしかすると、広島弁が話せないというだけで、つまはじき扱いされるかもしれません 全く同じことは英語の世界でも、他の外国語においても当然起きていることです 言葉というのは結果して、「自分を理解してもらうためのもの、相手を理解するためのもの」なわけですから、当然お互い歩みよりはあるわけです だから、日本に何年も住んでいる外国人で日本語を話そうという努力がない人には疑問を感じます 仕事や生活環境によって日本語に触れることが少ない・必要ないということはあるでしょうが、純日本人の私としては「出てってくれ」という感情が少なからず出ることがあります 実は、ややもすると紛争に発展しかねない内容の話しです 言葉はニュートラルなはずですが、それを扱う人間が偏見などを持ってしまうものだから、ある人は「歩み寄り」、ある人は「敵対視」の方向に向かったりします だから言葉というのはnationalismに密接に関係しています
補足
回答ありがとうございます。 >>日本に何年も住んでいる外国人で日本語を話そうという努力がない人には疑問を感じます それはその人が日本語を習得しなくても生きて行けるからでしょう。 スイスの外人たちにも自分の国の言語しか話さない人がいっぱいいます。 私自身外国に数年住みましたが、生活に追われて現地の言葉は殆んど習得する機会がありませんでした。それでも生活できたからです。 他の方への補足と同じものを以下にコピペして失礼します。 個人差があるのは当然なんですが、大勢というか一般的傾向というのはないのですか?変えようとする人と、変えようとしない人の割合を知りたいです。 というのは、以前別の質問をしたことがあります。日本のように標準語というものを作って全地域の日本人にこれが標準の日本語だから習得しなさいと政府が音頭を取ったとしたら、すんなり日本人のように従いますか?そういう意味の質問をしたら、標準語なんて決めて統一しようとする国は日本しかなく、アメリカ人は誰でも自分の喋っている言葉が標準米語だと言うし、イギリスでロンドン政府がそんなことをしようものなら、スコットランド人は暴動を起こすだろうと、そんな回答ばかりをいただきました。日本人とは大分に違うと認識しました。 日本での話しだと、東京人が「他の地方から東京に移り住んだ人は皆東京弁をしゃべろうと努力するのに、大阪人だけはいつまでも大阪弁を喋る続ける」と不満気に語っていたのを聞きました。大阪人の意識は日本の非常識で、外人に近いのかなと認識しました。 で、職場や何かで意思が通じなければ当然、互いに歩み寄るということは勿論分かります。生きて行くため、生活していくため、当然そうせざるを得ないでしょう。 しかしそれは、生きて行く為の最小限にとどめ、スコットランド訛りを最大限に保持しようとする人の方が多いのか少ないのか、その割合を知りたいのです。 一般的な回答は余り歓迎しません。当然のことだからです。 というのは、同じ大阪出身で高校卒業まで大阪で育った人でも大きな違いがあるのです。小田実や竹村健一は誰に対しても、終生(竹村氏はまだ存命)大阪弁で喋りましたが、川端康成や村上春樹は完璧に東京弁で喋るようになりました。そして大部分の大阪人は小田竹村派なんです。意思疎通出来なければ問題ですが、出来るのにワザワザ必要のない部分まで、東京風に変えようとはしないのです。アイデンティティーに対する意識の違いだと思います。スコット風に喋っても通じるのに、ロンドンだからという理由で自分の持っているものを捨てて相手に合わせるということは、しないのではないかと思うので、それを確かめたくてしている質問です。 20才位になってから他地域に移り住んだ場合、言葉を直すのはかなりの意識的な努力がいると思います。それを克服して努力する人と、全く努力しない人の違いがあります。日本人に関して言うなら、大半は、つまり大阪人以外は(勿論、大阪人にも一部の例外はあります)、克服の努力をするということです。 で、スコットランド人はどうなのかという質問です。私は比較人類学などに興味を持っている人間なので、「それは個人差がある」という回答には満足できないのです。 折角回答いただいて申し訳ありません。
- SPS700
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言葉を変えたいと思う意欲と、言葉が変えられる時期、は別物です。しかもそれぞれに物凄い個人差があります。 英文法は、イギリス人には必要ないので、その始まりはスコットランド人のために出来た、と言う話さえありますから、これは昨日や今日に始まった話ではありません。 そう言った意欲とは別に、ある年齢に達すると生まれた訛りが固定して、抜けません。そこでご質問ですが 1。スコットランド人がロンドンに住んだ場合、彼らはスコットランド訛りの言葉を捨てて、ロンドン英語に改めようとするのでしょうか? する人もしない人もいます。 2。コテコテのスコットランド英語だとロンドンでは通じないということがあるのでしょうか? 目的が意思疎通なら調整の手段は無数にあります。 3。その場合はどうするのですか? 一種の多数言語の話し手になる訳で鹿児島の人が鹿児島弁と標準語を操るのと同じです。 4。オーストラリア人やニュージーランド人がイギリスやアメリカに住んだ場合、彼らは自分の言葉をどうしますか? これも同様です。 5。アメリカ内部でも同様だと思うのですが、例えば、南部の人が北部に住んだ場合、南部訛りは矯正して北部に合わせようとするのか、しないのか? する人も出来ない人もいます。南部出身の大統領が米国会では軽い南部訛りで話し、自分の選挙区に帰ると、おらが南部の、お国訛りをどさっと出して票集めに一役買うのはその例です。
補足
回答ありがとうございます。 個人差があるのは当然なんですが、大勢というか一般的傾向というのはないのですか?変えようとする人と、変えようとしない人の割合を知りたいです。 というのは、以前別の質問をしたことがあります。日本のように標準語というものを作って全地域の日本人にこれが標準の日本語だから習得しなさいと政府が音頭を取ったとしたら、すんなり日本人のように従いますか?そういう意味の質問をしたら、標準語なんて決めて統一しようとする国は日本しかなく、アメリカ人は誰でも自分の喋っている言葉が標準米語だと言うし、イギリスでロンドン政府がそんなことをしようものなら、スコットランド人は暴動を起こすだろうと、そんな回答ばかりをいただきました。日本人とは大分に違うと認識しました。 日本での話しだと、東京人が「他の地方から東京に移り住んだ人は皆東京弁をしゃべろうと努力するのに、大阪人だけはいつまでも大阪弁を喋る続ける」と不満気に語っていたのを聞きました。大阪人の意識は日本の非常識で、外人に近いのかなと認識しました。 で、職場や何かで意思が通じなければ当然、互いに歩み寄るということは勿論分かります。生きて行くため、生活していくため、当然そうせざるを得ないでしょう。 しかしそれは、生きて行く為の最小限にとどめ、スコットランド訛りを最大限に保持しようとする人の方が多いのか少ないのか、その割合を知りたいのです。 一般的な回答は余り歓迎しません。当然のことだからです。 というのは、同じ大阪出身で高校卒業まで大阪で育った人でも大きな違いがあるのです。小田実や竹村健一は誰に対しても、終生(竹村氏はまだ存命)大阪弁で喋りましたが、川端康成や村上春樹は完璧に東京弁で喋るようになりました。そして大部分の大阪人は小田竹村派なんです。意思疎通出来なければ問題ですが、出来るのにワザワザ必要のない部分まで、東京風に変えようとはしないのです。アイデンティティーに対する意識の違いだと思います。スコット風に喋っても通じるのに、ロンドンだからという理由で自分の持っているものを捨てて相手に合わせるということは、しないのではないかと思うので、それを確かめたくてしている質問です。 20才位になってから他地域に移り住んだ場合、言葉を直すのはかなりの意識的な努力がいると思います。それを克服して努力する人と、全く努力しない人の違いがあります。日本人に関して言うなら、大半は、つまり大阪人以外はほぼ全員(勿論、大阪人にも一部の例外はあります)、克服の努力をするということです。 で、スコットランド人はどうなのかという質問です。私は比較人類学などに興味を持っている人間なので、「それは個人差がある」という回答には満足できないのです。 折角回答いただいて申し訳ありません。
- TooManyBugs
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ひとによるとしか言えませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 個人差があるのは当然なんですが、大勢というか一般的傾向というのはないのですか?変えようとする人と、変えようとしない人の割合を知りたいです。 というのは、以前別の質問をしたことがあります。日本のように標準語というものを作って全地域の日本人にこれが標準の日本語だから習得しなさいと政府が音頭を取ったとしたら、すんなり日本人のように従いますか?そういう意味の質問をしたら、標準語なんて決めて統一しようとする国は日本しかなく、アメリカ人は誰でも自分の喋っている言葉が標準米語だと言うし、イギリスでロンドン政府がそんなことをしようものなら、スコットランド人は暴動を起こすだろうと、そんな回答ばかりをいただきました。日本人とは大分に違うと認識しました。 日本での話しだと、東京人が「他の地方から東京に移り住んだ人は皆東京弁をしゃべろうと努力するのに、大阪人だけはいつまでも大阪弁を喋る続ける」と不満気に語っていたのを聞きました。大阪人の意識は日本の非常識で、外人に近いのかなと認識しました。 で、職場や何かで意思が通じなければ当然、互いに歩み寄るということは勿論分かります。生きて行くため、生活していくため、当然そうせざるを得ないでしょう。 しかしそれは、生きて行く為の最小限にとどめ、スコットランド訛りを最大限に保持しようとする人の方が多いのか少ないのか、その割合を知りたいのです。 一般的な回答は余り歓迎しません。当然のことだからです。 というのは、同じ大阪出身で高校卒業まで大阪で育った人でも大きな違いがあるのです。小田実や竹村健一は誰に対しても、終生(竹村氏はまだ存命)大阪弁で喋りましたが、川端康成や村上春樹は完璧に東京弁で喋るようになりました。そして大部分の大阪人は小田竹村派なんです。意思疎通出来なければ問題ですが、出来るのにワザワザ必要のない部分まで、東京風に変えようとはしないのです。アイデンティティーに対する意識の違いだと思います。スコット風に喋っても通じるのに、ロンドンだからという理由で自分の持っているものを捨てて相手に合わせるということは、しないのではないかと思うので、それを確かめたくてしている質問です。 20才位になってから他地域に移り住んだ場合、言葉を直すのはかなりの意識的な努力がいると思います。それを克服して努力する人と、全く努力しない人の違いがあります。日本人に関して言うなら、大半は、つまり大阪人以外は(勿論、大阪人にも一部の例外はあります)、克服の努力をするということです。 で、スコットランド人はどうなのかという質問です。私は比較人類学などに興味を持っている人間なので、「それは個人差がある」という回答には満足できないのです。 折角回答いただいて申し訳ありません。
補足
再度の回答ありがとうございます。 大体、貴方の考えが分かったと思います。 「郷に入りては、郷に従え」という諺が日本人は好きですね。この諺を口にする人は多いですが、この考えに真っ向から反対意見を述べている日本人にはまだお目にかかったことがありません。 外人はどうでしょうか?一応「Do in Rome as Romans do.」という英語の諺があるようですが、外人たちは好んでこの諺を使っているでしょうか?私の体験では一人も遭っていません。 私の体験では、このようなことを口にされると非常に不愉快でした。相手の理不尽な点を指摘しているのに、「ここはスペインなんだからスペインのやり方に従え!」とか「ここはお前の国じゃないんだから、この国のやり方に従え!」ってよく言われました。日本でも韓国人や中国人に対して言う人が多いですよね。「日本のやり方が気に食わないのなら、自分の国に帰れ!」って。 私は、相手がこう言う時、相手に非常な傲慢さを感じます。自分のテリトリーに入った人間には、自分のやり方に従わせて当然だと思っている傲慢さ。 「日本では日本人は皆、日本語を使っているんだ。お前も日本語を使え」ということですよね。これ、傲慢に感じませんか? ローマ人が「Do in Rome as Romans do.」と言ったのだとしたら、ローマ人は非常に傲慢な人種だったのですね。 大体、私は自分のテリトリーであるという意識が大嫌いです。我々はどこに住もうと、人間としては平等の権利を持っているはずです。自分の好みも信条も何を喋ろうと自分が決める権利があるはずです。 私が見たところ、日本人は1つのものに統一するのが好きな民族のように見えます。「多様性」を口にするのは、その反動だと思います。統一しようとする能動側もそうですし、される受動側もそうされるのが好きなようです。しかして、日本では、この統一というのがスムーズに進みます。反対者がほとんどいないからです。 私は「多様性」はそのまま、認めるべきだと思っています。不都合があれば、その部分だけ調整すればいいだけで、多様性は可能な限り認めるべきだと思っています。多様性を認めないという意味は、相手のアイデンティティーを認めないということです。日本人はこれを当然のようにやりました。韓国や台湾の人に日本語を強制し、彼らの言葉を抹殺しようとしました。アイヌ人もこれをやられてアイヌ語は消滅寸前です。 「日本にいる間くらいは、日本語を喋れよ」と言いたいのでしょうが、その根拠は何でしょう?我々が日本人として生まれて日本に住んでいるのは、偶然でしょう。僅か数十キロ離れた韓国に生まれて育った韓国人が、何かのハズミで日本に住むようになった。日本人だって何かのハズミで韓国に住むことになるかも知れない。 たまたま生まれた土地を、自分のテリトリーと考えるのはおかしい。国家が国境を定め色々うるさい規則を押し付けますが、私は本源的に考えたいです。 今度生まれて来る時は、ドイツ人としてドイツに生まれてみたいな。あの国のやり方は自分の性に合っていそうだな、なんて考えています。つまり、私は日本人に生まれたのは偶然だったと思っています。 私の勉強して来た宮城音弥氏の性格学によると、東北人は「弱気」の要素が強く劣等感を抱きやすい。自分より他人が優れていると思う傾向がある。東京には全国から人が移入しているが、特に東北人の言葉のコンプレックスが問題になるのは、「弱気」のせいだと説明しています。東京人の言葉が優れていると感じ、自分の言葉を捨てて東京言葉を獲得しようと努力するわけです。例えば大阪人は東京言葉が優れているとは思わないから、東京でそのまま大阪弁を喋り続けるのです。言葉のコンプレックスがあるかないかの違いです。 外国の宿で偶然、熊本出身で東京に住んでいる日本人に遭いました。その人が私のことを「関西訛りだから関西の方だなと思いました」と言いましたが、この「関西訛り」という言い方に違和感を感じました。「訛り」っていうと、矯正すべきものという意味合いが含まれていて、見下げた言い方でしょう?貴方が「グラスゴー訛り」と書かれたのを読んだ時にも貴方の意識を感じました。地方の言葉を少し、見下げている意識があるようです。「訛り」という言葉自体に既に、見下げた響きがありますね。 私は東北人のように自分の言葉が他の言語より劣っているとは100%思っていませんでしたから、その人に「関西訛り」という言葉を使われた時、大きな違和感がありました。日本人の多くは東京言葉を上にみていますから、”東京訛り”とは言わないでしょ。言葉に関して日本語には「訛り」と言う語しかありませんから、私も仕方なく「スコットランド訛り」などと書くことがありますが、それはスコットランド人に対する侮辱になると思っています。それで「スコットランド風の言葉」と書くことがあります。 >>自分の言葉をどうするかについてはどちらの方向も考えなくてはいけません 勿論そうですが、受け入れ側は相手のアイデンティティーを尊重しなければなりません。相手の持っているものを抹殺しようとしてはなりません。 基本的に我々は何時如何なる所でも、自由であるべきなんです。最大限の自由はあるべきだというのが、私の人生の結論です。縛ろうとする輩が多過ぎます。 ということで・・・