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「城之崎にて」について質問
志賀直哉の短編小説「城之崎にて」を読んで、疑問に思ったことがあります。イモリの話題に入る前に、こんな描写がありました。・・・桑の木の葉が一枚だけ揺れていて、作者が不思議に思い近づいて、勝手に納得して去ってしまう・・・という箇所です。 ここでは、なぜ一枚だけ葉が揺れているのか、その理由については明かされませんでしたが、この変な文章は、何か重要な意味を持っているように感じてなりません。 いったいこの現象の原因は何だったのでしょうか?また、物語の中でこの箇所の持つ意味は何でしょうか?
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まず、葉の揺れる原因ですが、例えばヨットのセール(帆)のことを考えてみてください。風を読んで、適切な角度に調節することで、推進力を生み出しますよね。 ここは、たまたまその一枚の葉が、他の葉と違って、「風もなく流れの他は総て静寂の中に」と感じられる、あるかなきかのかすかな風を受けて、その風の力でしなう(曲がる)角度になっているのです。 しかし、かすかな風ですから葉を推す力は弱く、葉はやがて自身の弾力でもとの角度に戻ります。そこで再びかすかな風を受けて、また曲がります。これの繰り返しで、「或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ」と揺れを繰り返します。 さて、この現象の持つ意味ですが、「さうしたら、その動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでかういふ場合を自分はもっと知つてゐたと思った」とありますよね。 「風が吹いてきた」とその直前にありますから、かすかな風の押す力と、葉自身の弾力の微妙なバランスが崩れ、葉は、風に押されるままになって動かなくなったのです。 いままでしきりに動いていたものが、動かずに静かになる。動きがなくなった分、寂しささえ感じさせる……、何か思いあたることはありませんか。 忙しくせわしく動いていた蜂。逃れようと必死の鼠(やがて動かなくなるでしょう)、さらには、それまで普通に生きていたイモリに石が当たり動かなくなる……。「かういふ場合」の見当は付くと思います。
補足
ありがとうございます。素晴らしい解説でした。